しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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「亀戸天満宮」の梅の花

真っ青な空に伸びたスカイツリーがとてもきれいな日でした

 

「香梅園」から徒歩で10分ぐらいでしょうか、梅の花の名所亀戸天満宮
にも立ち寄りました

 

境内に入るとこの場所からいつも1枚撮ってしまいます

 

正面の本殿の左は藤棚です、右が梅の花、梅の花がだいぶ咲いていました

 

赤い欄干と白い梅の花が素敵です

 

藤の花の季節になると左側が主役になります

 

本殿にお参り

 

太宰府天満宮の紅白の梅の花です

 

太鼓橋は2か所にあります

 

太鼓橋の袂の梅の木には紅白の花が咲いていました

 

紅梅殿

 

大好きな一枚です

 

2か所で梅の花を楽しんだ幸せな日でした。

 

 

(2月22日)

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小村井「梅屋敷」

各地の梅の花が話題になり、私も出かけてみました

 

亀戸の香取神社の「小村井香梅園」

 

何回か紹介していますが、この季節に少し暖かくなると梅の花が気になります

 

開花期が2月下旬となっていますが、雪の降る日があったり、寒さにより開花が少し違うのです
ネットでも様子が分からず、いつも気にしながら出かけます、 今年は咲いていました!

境内に入るとすぐ右手にこんな素敵な一角があります、中に入れます

 

「香梅園」の中でもいろいろな種類の梅の花が見られます、これは「御簾の内」

 

「錦光」  少し早咲きと遅咲きがあるのでしょうが、日差しが当たるところの違いも

 

「藤牡丹枝垂」は淡いピンクの花

 

咲き方の違いも分かります

 

香梅園の中は独り占めでした

 

「見驚」

 

朝だったので見物の人は少なかったです。

香りを楽しもうとそっとマスクを外したりしましたが、あまり香りが感じられなかった。
見物の人がほとんどいなかったのでもっとマスクを外してもよかったかもしれません。

色とりどりのきれいな梅の花に癒された朝でした。

 

(2月22日)

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唐戸「赤間神宮」

関門海峡を隔て門司港から遠くに見えた赤間神宮にお参りしました
源平壇ノ浦の合戦に敗れ。わずか8歳で関門海峡に入水された平清盛の孫である安徳天皇を
祀っています

対岸から見た時印象的だったこの赤い水天門は、鮮やかな竜宮造りで国登録有形文化財

「海の中にも都はある」という二位の尼の願いを映したものと言われます

 

境内には平家の武将たちを祀った「七盛塚」や、平家の幽霊たちに壇ノ浦の合戦の哀しい
物語を琵琶を奏でながら語った「耳なし芳一」の像などがある広い境内ですが、今回は
残念ながら奥までお参りできませんでした。

水天門を境内から見ると、海も見えて、本当に竜宮城を想像します

 

安徳天皇の御陵もあり、皇室の方が下関をご訪問される折には必ずお参りされるようです

 

下関最大のお祭りは、平家の女官たちが遊郭に身を落としながらも、年に一度安徳天皇の
命日に連れ立ってお参りしたことかが起源とされる「先帝祭」です。

そのメインイベントが5月3日の「上臈道中」。まさに上記のお祭りの光景を表したもので
昔の遊郭があったとされる場所から神社までを、十二単に打掛を付けた5人の花魁が町中を
練り歩きます、外八文字を踏む艶やかな姿を見に多くの参拝者で賑わうそうです。

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「和多都美神社」

豊玉町の由来にもなった豊玉姫命「海彦山彦」の神話で知られる彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
を祭神とする海宮

 

磯良恵比寿

 

パワースポットととしても知られる神社だそうです

 

海に面して立つ鳥居は、大潮の満潮時には2mも海中に沈むそうです

 

竜宮城伝説もあり、海で調査が行われたことがあるようです

 

海から神社に向かって並ぶ五つの鳥居、神秘的な空地が流れているような神社でした。

 

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壱岐「小島神社」

壱岐のモンサンミッシェルと称される人気スポットとして紹介されていた写真を借りました
潮が引いた時にできる道です

 

前日夕方は満ち潮で、神社に渡る参道がありませんでした

 

普段は海に浮かぶ島にある小島神社  干潮時の数時間だけ海から参道が現れて、歩いて参拝
できる神秘のパワースポットと案内にありました

 

島に向かって一直線の道が現れています

 

思ったより広い道でした

 

島全体が神域とされるため、小枝一本も島の外に持ち出してはならないという習慣があるそう、
地元のお年寄りが数人貝を採っていました、小さなカキのようでした

 

島の前の鳥居がなんだか神秘的に見えます

 

島の横にもう一ヶ所鳥居があり、その先が山に登る道に続いています

 

小さな社があったのですが、またまた写真が撮れてなかった、撮ってからすぐ電源を切る
のがいけない! と分かっているのですが、またやってしまったようです、一人づつしか
通れないような道だったので人の気配に少し慌てました

浜辺に小さな貝殻がたくさんありました

 

”貝は茹でて晩酌のお供”と、小さな巻貝を集めていた年配の男性が言ってました

 

印象に残る鳥居でした

 

参道の正面から見る島と鳥居は格別です

 

満潮時には想像できなかった道でした

 

この日は干潮があと何時間かしら なんて思いながら、小島神社をあとにしました。

 

 

小島神社からすぐの所で見えた橋は青島大橋、橋の先には内海湾、幡鉾川をカヤックに乗り,
古代航路を航海する体験ができるそうです。

 

この日は午後のフェリーで対馬に向かいました。

 

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「天手長男神社」と「月読み神社」

駐車場から徒歩で鳥居の所まで来ると、鳥居の下に階段がみえました

 

覗くとかなり高低差がありました

 

でもまだ階段は続いていました

 

この神社は「天手長男神社」 137段の苔むした 階段があるようで、下からでは大変でした

 

山頂に社殿がありました、壱岐国一宮の格式のようです

 

お参りする人もいなくて静かな神社でした

 

駐車場まで戻ると木に登る動物が見えてビックリ!

動かないので恐る恐る近づいてみたら木のうろの模様でした、どう見ても動物に見えますよね

 

 

次にお参りしたのは「月読神社」 鳥居の前がすぐ道路で、鳥居の所から社殿が見える神社でした

 

急な階段を上るとすぐお社です

 

御祭神は月讀命(つくよみのみこと)天照大御神の次に生れたとされる神のようです。
暦、潮の干満など月にまつわるすべてを行い、安全などの願い事を生き入れてくださる、
全国に点在する月讀神社の総本社とされています、毎年旧暦の9月23日の例大祭では
壱岐神楽が奉納されます。

 

調べてみたら島内に150社以上の神社があるそうです、よても周りきれない数でした。

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宮崎神宮

宮崎旅行の最終日

 

この日は宮崎駅から電車で出発

 

これはハイウエイバス、なんだか宮崎らしい色のような気がしました

 

駅前広場

 

最寄り駅で下車、私は宮崎神宮に向かいます、寂しいような森の中の道でした

 

宮崎神宮の参道に着きほっとしました

 

森に囲まれた静かな神社でした

 

創建は、社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)
(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳をたたえるために鎮祭
したのが始まりと伝えられています

宮の前(さき)に町が開けていったことが、「宮崎」という地名の由来とも言われています

 

毎年秋に行われる例大祭は、市民から「神武さん」といわれており、御神行列の他、
ミスシャンシャン馬などが市内中心部を練り歩く宮崎有数のお祭りだそうです

お参りした翌日が例大祭のようでしたが、静かで人影も少ない神社でした。

 

 

神宮の周りはこんな森なんです、徒歩8分で息子たちと待ち合わせている場所なのですが
人に出会うとほっとするぐらい寂しい森の中の道でした

 

待ち合わせたのは博物館、ようやく着きました

 

こちらも開館しているのかしらと思うほど人の気配はありませんでした

 

お参りしなかった息子たちは一足先にこちらに立ち寄っていました

 

お神楽は映像でしたが、終わったばかりでした

 

なつかしい昭和の家の風景

 

こんな明かりも見覚えがあります

 

こちらも懐かしい足踏み式ミシン

 

何年ごろだったかは案内を見ませんでしたが、畳と丸テーブル、子供の頃を思い出す光景です

 

懐かしいおもちゃやなど

 

駄菓子屋さんの風景、店番はおばあちゃん

 

赤い丸型のポストに紙芝居の自転車、ひと時子供の頃を思い出していました。

 

 

散策のあと、宮崎空港に向かいました。

 

宮崎の旅は全行程晴天に恵まれ、良い旅でした。
この日は都合で神奈川県内に宿泊。

 

(10月27日)

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高千穂神社

高千穂神社は行ってみたい場所でした

 

高千穂にはたくさんの神社があり、古から伝わる神話や伝説に登場する
神々をお祀りしています

 

高千穂峡八十八社の総社で、1778年に再建されており、五間社流造で九州を代表する本殿

 

神楽殿  高千穂に伝承される神楽は神話の物語性が強いのが特徴で、代表的な4番は
「手力雄の舞」天照大神を見つけ出す、「鈿女の舞」天岩戸より誘い出す、「戸取の舞」
天岩戸を開く勇壮な舞、「御神体の舞」二神による国造りの舞だそうです

 

カメラに収まり切れない巨樹でした

 

夫婦杉  縁結びの神様として有名な高千穂神社、2本の幹がつながった
この杉の周りを夫婦、恋人友達と手をつないで3回まわると、縁結び、
家内安全、子孫繁栄の3つの願いがかなうと言われています

 

杉木立の間から差し込む夕日も美しく、神秘的な高千穂神社でした。

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神田明神

「隋神門」 昭和51年に昭和天皇御即位50年の記念として建立、総檜・入母屋造

 

正式名称は「神田神社」 東京の中心、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲市場
108町会の氏神様です  「明神さま」の名で親しまれています

 

 

御祭神は一之宮 だいこく様、二の宮 えびす様、三之宮 まさかど様

御神殿は昭和9年に竣工 (左側でちょっとした作業中だったので写真が右寄りになりました)

 

関東大震災後に復興された現社殿とともに建立された狛犬

 

正面を向いているのは非常に珍しいそうです

 

魚河岸水神社  神殿横の小道に並ぶ神社

 

小舟町八雲神社

 

大伝馬町八雲神社

 

江戸神社

 

やっと少しだけ顔をのぞかせてくれたのは”あかりちゃん”

 

通りかかる人が名前を呼んでもなかなか顔を出してくれなかった

 

「文化交流館」1階 初めてなので見学しました

 

カフェもありました

 

「東京神田神社祭禮之図」

神田明神祭りは、山王祭とともに江戸城内将軍の上覧に供せられたので、天下祭りとと言われて
江戸っ子が盛大に執り行った祭りです

 

石造りとしては日本一のだいこく像だそうです

 

髄神門の内側には「因幡の白兎」など、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻、新馬1対を
配している

 

外回りには四神(朱雀・白虎・清瀧・玄武)の彫刻が飾られている

 

江戸城の東北の鬼門に位置していたため江戸の産土神(うぶすながみ)
として幕府の尊崇を受けていました

 

鳥居すぐ横の天野屋さん

 

甘酒が有名です

 

少し雰囲気が変わっていたように思いました

 

暑い日だったので冷たい甘酒を頂きました

 

お店にはこんな品が並びます、納豆など買いました。

 

 

(10月3日)

 

 

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「大河への道」伊能忠敬

 

これは富岡八幡宮の境内にある伊能忠敬の像です
少し前に写真を撮ってあるのを思い出しました、早歩きを体の痛さで休んだ早朝、テレビ
クルーが八幡宮を訪れるのを知り、家から近いので出かけてみました

 

明るく見えますが、朝5時頃だったと思います

 

永代通りは車道も歩道もこんなに人通りがない時間でした。

 

 

「大河への道」という伊能忠敬の映画が上映されているのを知り出かけました。

 

千葉県香取市、市役所総務課に勤める主人公は、市の観光振興策を検討する会議で意見を求め
られ、苦し紛れに大河ドラマ制作を提案、思いがけずそれが通り、郷土の偉人、伊能忠敬を
主人公とする大河ドラマの企画が立ち上がってしまう

 

ところが企画を進めるうちに、日本地図を完成させたのは伊能忠敬ではなかった!?
彼は地図完成の3年前に亡くなっていた!

という驚きの事実が明らかに、、、

江戸と令和、2つの時代を舞台に明かされていく日本初の全国地図誕生秘話

 

世界を驚かせた「初の日本地図」完成から200年、その裏に隠され続けた秘密が明らかにされる

 

夢とロマンを抱き55歳から地図作りを始めた伊能忠敬
根気と執念で日本地図を測量すること17年、歩いた距離は、地球一周分、そして1821年
ついに日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」(伊能図)は完成した・・というのが
歴史の授業で習うこと、しかし、200年の時を経て常識をひっくり返す映画が誕生した

 

出演者全員が二役です

 

企画を進めるうちに、日本地図を完成させたのは伊能忠敬ではなかった!?
彼は地図完成の3年前に亡くなっていた!

 

という驚きの事実が明らかに・・・

 

江戸と令和、2つの時代を舞台に明かされていく日本初の全国地図誕生秘話、そこには
地図を完成させるため、伊能忠敬の弟子たちが命を懸けて取り組んだとんでもない隠密
作戦があった

この国の正しい姿をきちんと形にすることが外国から守るはじめの一歩

 

名もなき人々が歴史を変えた実話の物語

 

忠敬は49歳の時に息子に家督を譲って隠居し、江戸に出て深川に隠宅を構えた。
幕府天文方高橋至時(よしとき)の門弟となり、天文学を本格的に学んだ。

忠敬は隠宅に本格的な天門観測施設を整備し、至時から学ぶとともに、恒星の高度角の
観測など、天文観測に明け暮れた。

 

江戸時代に蝦夷地から九州まで17年かけて測量し、日本全図の完成に向けて指揮をとった。
全国測量は隠居後の55歳から始まり71歳まで続けられたが、地図の完成を見ることなく
73歳でその生涯を閉じた。

 

映画は意外な結末でした。