しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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旧御室御所・世界遺産「仁和寺」

仁和2年(886)に光孝天皇が勅願し、遺志を継いだ宇多天皇が2年後の完成。明治維新に
いたるまで門跡寺院としての時を刻んだ、皇室ゆかりの寺院。

 

仁王門の前に立つと広々した境内と中門が見えます

中門方面はあとで見学します

仁王門を入るとすぐ左手の表門から本坊を先に見せていただきます

大玄関から白書院に向かいます

勅使門前 白書院の南庭    この日も晴天に恵まれ12月の青空がきれいでした

右手に仁王門が見えます

北庭に向かいます

皇族や貴族とゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特徴です

北庭

五重塔が見える北庭

仁和寺の御室桜は有名です、襖絵は御室桜でしょうか

宸殿、黒書院、北庭など見せていただきまし

いよいよ中門を入ります

左手が有名な御室桜、八重咲で色も濃い目の美しい桜、ソメイヨシノより少し遅咲きだった
ように思います

右手には五重塔上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない
姿が特徴、遅咲きの御室桜とのコントラストが見事なんです

正面は金堂です

鐘楼

京都では珍しい道路に面した「仁王門」(京都3大門のひとつ)より足を一歩踏み入れると
広大な境内には国宝の「金堂」をはじめ、多くの重要文化財があります。

こちらも見物の人は少なく、一人でゆっくり見物させていただきました。

 

連日慌ただしい見物が続き、この日の午後は、お土産を選んだり、少しゆっくり
お茶を飲んだり、午後のひと時を楽しみました。

 

(12月16日)

 

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「大雲山 龍安寺」

紅葉が美しく色を添える山門を入ります

室町幕府の有力者であった細川勝元が1450年に創建した禅寺です

京都府右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院

石段正面の建物は庫裡で、禅宗寺院建築の簡素にして重厚。特に木組みと白壁の調和が美しい

一面に白砂が敷き詰められた中に大小15の石が配置されている石庭 「虎の子渡しの庭」とも
呼ばれる方丈前庭園、作者や作庭年は不明ですが、禅の悟道を表す名庭として知られています

今では枯山水の庭園で世界的に知られていますが、ここまで有名になったきっかけは1975年に
エリザベス2世が龍安寺を公式訪問した際に石庭を称賛したのがきっかけだそうです。

こちらのつくばい(手水鉢)は水戸光圀が寄進したといわれます、水面に映す侘助(椿の花)
が趣を添えますが今回は見えませんでした

禅の格言である「吾、唯足るを知る」 満足する心を持つという言葉が刻まれています
禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道です

真っ赤な散りもみじと木に残るモミジが緑の間から見える美しい景色です

庫裡から方丈に続く廊下に漢学者の寺西乾山筆の屏風がありました

この時期ならではの庭園を散策しました

こちらのモミジは色とりどり

静かな庭園道です

透き通るような赤や黄色の葉が美しくて思わず ”きれい” といってしまいました

こちらでも紅葉を独り占めの感じでした

この広い庭園に寂しいくらい人の姿がありません

こちらの庭園散策でこんなに人に出会わないのは初めてでした

鏡容池を中心とした池泉回遊式庭園、かつてはオシドリが群れ遊んだことからオシドリの池と
呼ばれていたそうです、今は水面に龍安寺の山や木々を映しほっとするような景色です

静かな庭園の散策は心洗われる感じでした。

 

「大雲山 龍安寺」は世界文化遺産ですから見物の人も多いかもと少し気がかりでした、
これほど閑散としているとは思いませんでした。

こちらの前に金閣寺に立ち寄るか少し迷いましたが、この日最初の訪問を龍安寺にしまいた。

 

(12月16日)

 

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浄土宗総本山「知恩院」

 

 

壮大なスケールの大寺院、我が国現存の木造の門として最大級の三門です、元和7年(1621)
徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立されました。

一般に寺院を称して「山門」と書くのに対し、知恩院は「三門」と書きます、これは「空門」
「夢相門」「無願門」という悟りに通ずる三つの解脱の境地を表す門(三解脱門)を
意味します

浄土宗の開祖・法然上人が草案を結んで布教の拠点とした地、その後豊臣秀吉や徳川家康の
庇護もあり、多数の堂宇が立ち並ぶ大寺院に、三門は国宝。
楼上内部は仏堂となっています、以前公開されたとき入ることができました

御影堂も国宝 元祖法然上人の御影を祀ることから、「御影堂」と呼ばれます
壮大な伽藍は、お念仏の根本道場です

 

 

寶佛殿

境内には拝観の人が数人でしたが、こちらの建物の所にだけ拝観の人を見かけました

経蔵 「重要文化財、内部非公」

ひとつ残念だったのは、知恩院の七不思議を見なかったことです、また次回の楽しみに
しましょう

夕日に美しく映える三門でした。 三門を見ていて思い出したのですが、右手女坂のわきに
普段は公開していない庭園があったように思いますが、案内を見たら「友禅園」とありました
こちらも見せて頂いたことがありました、いろいろ懐かしい思い出がある京都です。

 

この日は早めにホテルを出て洛北、一乗寺の詩仙堂から圓光寺、曼殊院、東山の永観堂
南禅寺、金地院から青蓮院そして知恩院と巡りました、久しぶりの京都とは言えあまりに
1日で歩きすぎましたが、天候にも恵まれて素敵な1日でした。

 

(12月15日)

 

 

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天台宗 「青蓮院門跡」

代々皇族が住職を務めた門跡寺院  青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院仮御所」
として国の史跡にも指定されているそうです

よく京都に通っていたころ夜のライトアップが美しかったのを覚えています

こちらから入れました

龍心池 花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋がかかります、中央には
二千貫に近い大石があり、あたかも沐浴する龍の背のようです

十文字手水鉢 渡り廊下に面して巨大な一文字の自然石の手水鉢がおかれている、これは
豊臣秀吉の寄進になる「一文字手水鉢」といわます、三月から四月にかけて、紅梅が美しく
咲き誇り、それが手水鉢の水面に映りこみ見事だそうです

本堂 (熾盛光堂 しじょうこうどう)宝形造の小堂

宸殿前の庭 ずっと前ですが、こちらの庭園のライトアップを見たことがありました、
経文でしたか芝生に文字が浮き上がって見えて幻想的な美しさでした。

華頂殿の庭

事務所前の掛け軸

京都に行くとこちらを訪れることが多かったように思います、静かな落ち着いた雰囲気が
好きでした、にぎやかな東山で拝観の人もそう多くはなく、いつも静かだったように思います。

 

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南禅寺塔頭「金地院」

 

南禅寺から数分のところにある「金地院」に立ち寄りました

金地院庭園を散策しました

家康の死後境内に作られた東照宮です

「鶴亀の庭」 特別名勝で、小堀遠州が作庭にあたった、木と石で鶴と亀が表現されています
右手が鶴、左手が亀のようです

金地院には6つの門があるようですがこの先の建物も門の一つでしょうか

この日建物内ではなにか行事があったのか声が聞こえていて、方丈に入りませんでした

寺宝もいろいろあるとあとで知りました、この日は庭園だけ見せていただき

金地院を後にしました

南禅寺道を出たところに、水運を担ったインクラインのあと、こちらは桜が名所でしたかしら

この後、岡崎道を行き黒谷の「金戒光明寺」と「真如堂」に向かうか迷いました

平安神宮の鳥居前まで迷いました、東山あたりは人が多いと思い避けていましたが、夕方近く
なり、人出も引いた時間かしらと訪れたいお寺さんが2カ寺ある東山方面に向かいました。

 

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大本山「南禅寺」

永観堂の前の道を行くと間もなく南禅寺北門に出ました

臨済宗南禅寺派の大本山 歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな、、」
の台詞で有名な三門です

法堂に向かう参道のモミジも少し残っていました

法堂 法式行事や公式の法要が行われる場所で、南禅寺の中心となる建物です

本坊 東山の緑を背にして立つ庫裏です

本坊の左手には唐破風の大玄関があります。この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されます

龍虎の間

方丈庭園  江戸時代初期の代表的な枯山水庭園です俗に「虎の子渡し」と呼ばれ、
江戸初期以降に見られる樹木と石を一ヶ所にまとめた広い余白が楽しめる有数の名園です

品格のある大方丈の庭園は昭和26年に国指定の名勝となりました

六道庭園 「如心庭」が解脱した心の庭あるの対して、この「六道庭」は六道輪廻の戒めの
庭です。六道輪廻とは、天井・人間・修羅・畜生・飢餓・地獄の六つの世界を我々は生まれ
変わり続けるという仏教の世界観のことだそうです

回廊に囲まれた坪庭

「華厳庭」

「龍吟庭」 池は豢龍池(かんりゅういけ)

 

南禅寺といえばこの赤煉瓦のローマ水道橋に似た水道橋、「水路閣」です

疎水は琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で南禅寺横を通っています

紅葉が映えるアーチ

このアーチも素敵です、撮影のスポットになっていました

途中にあったのは鐘楼でしょうか?

疎水の流れを見に上がりました

ずっと前ですがこの流れに沿って歩いたことがありました、たしか
蹴上に出たように思います、なんだか懐かしかった

桜もいいですが、紅葉も素敵です

アーチに見とれてこの日は南禅院に立ち寄るのを忘れました

三門にも入れたのでしょうか、気が付かなくて残念でした

絶景が見られたでしょうに

紅葉が美しかった

しばし見とれました

三門はやはり見ごたえがあります。

 

久しぶりの南禅寺はやっぱり素敵でした。

次の目的地に迷いながら南禅寺を後にしました。

 

 

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「禅林寺 永観堂」

一乗寺からの帰り道、少し予定を変えてバスを南禅寺道で下車、先に立ち寄ったのは
大好きな「永観堂」でした、昔から京都に行くと必ずのように立ち寄ったお寺さんです。

 

東山の裾野は近代の政財界の要人がこぞって別荘を構えた風光明媚は土地柄、モミジで名高い
永観堂があるのは、その奥座敷といったところ

浄土宗西山禅林寺派の総本山

約3000本ものモミジが境内を真っ赤に埋め尽くす、東山屈指の紅葉の名所で、
「モミジの永観堂」と親しまれています

何度となく訪れるのはもう一つ目的がありました、お会いしたい仏像があるのです

大玄関から入ります

禅林寺が大きく発展したのは永観律師の時代です、律師は境内に施療院を建てるなど、
恵まれない人々のために奔走、永観律師を慕う人々によって禅林寺はいつしか永観堂と
呼ばれるようになりました

唐門 天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門、釈迦堂との間に盛砂が作られている、
勅使はこの盛砂を踏んで身を清めてから中に進んだそうです

阿弥陀堂に向かいます

お堂はかなり上です

 

「三鈷の松」の木の前を通り

臥龍廊を

上ります

美しく残っているモミジを見ながら

阿弥陀堂(本堂)に向かいます

私がお会いしたかったのは

「みかえり阿弥陀さま」

”永観おそし” と振り向いたお姿です

この「みかえり阿弥陀さま」は修行する中興の僧永観律師の前に阿弥陀如来が現れ、律師を
振り返った姿といわれます

阿弥陀さまは正面からではお顔が見えにくく、横の小さな扉が開いてお顔を見られます
この日阿弥陀堂には誰も参拝者がいなくてゆっくり対面出来て感動したひと時でした

こちらには紅葉の季節でない時も何度か訪れていますが、一度だけみかえり阿弥陀さまが
どこかの展示でお留守の時がありがっかりしたことがありました

 

阿弥陀堂から離れにくかったですが、しばらくして参拝の人が見えて阿弥陀堂を後にして
境内に出てみました

散りもみじの中にまだ赤や黄色の葉を残す木もあり、嬉しかった

 

阿弥陀堂

多宝塔  上部は円形、下部は方形の二重塔

こんなに鮮やかな赤い葉も残っていました

宝生池の周りを一回りしました、例年11月下旬ごろからこの境内は人で埋まっています

久しぶりの永観堂でなんだか名残惜しい感じがしました、出口近くの売店の方と話をしたら
三鈷の松の葉で作ったお守りをいただきました

紅葉が遅かったとはいえ12月も半ばで少し諦めていましたが、こんなに美しい紅葉が楽しめて
嬉しかった、振り向いた時また来たいと思いました

散りもみじをこんなに美しいと感じたのは今回の旅行が初めてでした。

今まで紅葉のピーク時を選んで出かけていましたし、自由に日程も
決められました。
早くそんな日常に戻れることを改めて願いました。

 

 

永観堂を出るとお昼の時間を過ぎていることに気が付き、門のすぐ前のお店に寄りました

 

にしんそばも魅力でしたが、モミジそばを見つけて注文しました、紅葉したモミジはお麩で
湯葉と野菜たっぷりの美味しいおそばでしたが、この時まだ少し気持ちが興奮気味で、
よく覚えてなくて写真を見て思い出したのです。

 

この日も強行軍でこの後まだ数か所のお寺さんに寄りました。

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「曼殊院門跡」

 

坂道を歩き、この先にお寺さんがあったかしらなどとちょっと心配になりましたが、
15分ほどで曼殊院の勅使門に着きました、入場はその先北通用門でした

 

曼殊院は門跡寺院です

延暦年間(778-806)、宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建
されたのが曼殊院の始まりだそうです

曼殊院枯山水庭園は2つの書院の南側に広がっていますが、いちばん目を引くのが庭園中央に
位置する亀島です。亀島の中央には樹齢400年の五葉松が植えられており、その根元には
曼殊院型燈籠と呼ばれるキリシタン燈籠が設置されています

大書院前には遠州好みの枯山水庭園が広がっています

 

水の流れをあらわした砂の中に鶴島と亀島を配しています

 

大書院の周辺には霧島ツツジが植えられていて季節になると美しい花が見られます

 

建物内はほとんどの場所が撮影禁止ですから庭を撮ることになります

 

 

このお寺さんには幽霊の掛け軸があり、撮影すると不幸が降りりかかると言われています。
いつも怖いもの見たさに見てきます、いろいろいわれがあるようですが、広い書院の中で
今回は見物人も少なくちょっと立ち止まっただけで通り過ぎました。

 

ずいぶん前ですが曼殊院の弁天堂のあたりにお蕎麦屋さんがあり、お昼時は込み合っていたので
見物する前に予約をしてから帰りに立ち寄ったのを覚えています。
今回弁天池のあたりを見たのですが、お店らしきものがありましたが、営業しているかわからず
あまりに寂しい景色だったので通り過ぎてしまいました。
20年以上も前のことですから変わりますね。

 

今回の京都の旅は久しぶりですが、こんな時期なのであえて人の多い中心地から離れた
お寺さんの散策にしようと思いこの日は大好きな一乗寺辺りを選びました。
選んだ場所は良かったのですが、この時廻った詩仙堂、圓光寺、そして曼殊院ではほとんど
人に会わなくて寂しいくらいでした、やはりほどほどに見物の人がいたほうがいいですね。

 

 

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「瑞巌山 圓光寺」 

次の目的地には詩仙堂から徒歩3分ほどで着きました

初めて訪れた時は紅葉の美しさに驚きました

こちらは初めて見ます、そのはずです平成の枯山水である奔龍庭でした、渦を巻き様々な
流れをみせる白砂を雲龍に見立て、天空を自在に奔る龍を石組みであらわしているそうです

今回は12月も半ばになってしまい、一面敷紅葉でしたがこれも美しかった

臨済宗南禅寺派の尼寺です

1601(慶長6)年 徳川家康が学校として建てたお寺さんです

紅葉の名所は「十牛之庭」中門をくぐります

なんと素敵な水琴窟、縁が広い盃型の手水鉢はあまり例がなく、古くから「圓光寺型」として
多くの趣味人に愛されてきたそうです

緑の絨毯が真っ赤に染まっています、こちらでこの光景は初めて見ます

それでも少し残っている赤い葉が鐘楼に映えます

竹とのコントラストも素敵ですが竹林の道は一人では寂しかったです

不思議な所に万両の木を見かけました

真っ赤な木の下はこんなに美しい緑なんです

全く人影はなし、ここにいた間、誰にも出会いませんでした

寂しいぐらい独り占めの紅葉見物になりました

また静かな道を歩きます

一乗寺最後の目的地「曼殊院」に行くのに坂道が続きます、15分ほど歩けば着きますが、
その間車2台ほどに出会っただけで、久しぶりの道で少し心細い感じでした。

 

何度も通った道ですが、こんなに人に出会わなかったのは初めての気がします。

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京都洛北 一乗寺「詩仙堂 丈山寺」

京都駅から一乗寺下り松町までは市バスで50分近くかかります。
バス停から徒歩6~7分坂道を行くと小さな門があります、一乗寺の最初の目的地はこちらです。

「詩仙堂」です入り口の小さな門「小有洞」から石段を登ったところに中門「老梅関」
そこをくぐると詩仙堂の書院があります

ししおどしの響く情緒あふれる唐様庭園がひろがる書院です、サツキの丸い刈込の奥に紅葉が
見られるのですが、ほとんど散ってしまったようです

庭に出ることができます

江戸時代の文人・石川丈山が隠居所とするため自ら手掛けた山荘です、狩野探幽の描いた
中国三十六歌仙像を掲げることからこの名が付きました

深山のような庭園です

現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺だそうで、ご本尊は馬郎婦観音(めろうふかんのん)です

1986年5月9日、英国王室チャールズ皇太子と故ダイアナ妃が来日された折、京都へ
お越しになった際にこちらに立ち寄られたそうです

こちらの庭園でもこの時の見学者は私一人でした

散りもみじが寂しげでした

庭園から見た書院も趣があります、いつもはここで庭を眺める多くの人が見られるのですが
この日は寂しいくらいでした。

 

 

大好きな詩仙堂の前の道を左折して住宅地の道を行きます。

次の目的地はここから数分です、詩仙堂を訪れた時は必ずこの道を行きます。

 

(12月15日)