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明石海峡大橋

明石海峡大橋を淡路島に渡ったところのサービスエリアで、橋を眺めることにしました

 

神戸市垂水と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた全長3911mの吊り橋

 

パールブリッジの愛称を持つほど、その佇まいは美しい

 

本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」
として供用されており、交通も本四架橋の橋の中では最も多く、四国と近畿、さらには本州の
かく大都市間を結ぶ交通の要になっているそうです

 

1日に1,400艘以上の船舶が航行するそうです

 

大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、今回の旅で見た関門海峡とはまた違う美しさでした

 

かなり広いサービスエリアはお土産を買う、修学旅行でしょうか学生さん達や観光客で結構
混んでいました。

これから淡路島の見物ですから、ちょっとのぞき見した感じで、ワクワクしました。

 

(12月13日)

「好古園」

姫路城の入場のチケットを買うとき好古園のことを知りました。
それで好古園の入場券付きにしたのですが、場所は姫路城の中でなくお堀沿いに5,6分歩いた
ところで、9つの庭が集まる巨大庭園でした。

 

姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、姫路市政100周年の」平成4年(1992)に開園

 

江戸初期(1618)に武将・本田忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷跡に9つの庭園を造りました

 

「お屋敷の庭」から入ると、12月12日でしたが庭園内の紅葉がまだきれいでした

池泉には紅葉の奥に何か所か滝がありました

ここは花の庭、門を通ったところもあったのですが、それぞれの庭の
名前もわからずに通り過ぎてしまったようです

茶の庭、夏木の庭、松の庭、花の庭、築山池泉の庭など巡りました、素敵な庭でした。

 

好古園を出ると姫路城のお濠の所にでました

 

「姫路城」と「好古園」を一人でゆっくり見物しました。

 

 

神戸への帰り道、明石で下車、町を散策して「魚の棚商店街」(うおんだなという愛称だそう
です)に立ち寄りました。
活気のある商店街で、明石焼き屋さんを見かけて立ち寄りました、明石焼きを焼いているのが
見えるお店で満席でしたがすぐに入れて、本場の明石焼きを楽しみました。
これで1人前、多いようですがふわふわで薄味のだし汁につけて完食しました。

商店街の中の角店で、外から焼いているのが見えました。
良い雰囲気だったのに、お店の写真を忘れてちょっと残念!

商店街で名物の「いかなごのくぎ煮」も美味しいのが買えました。

 

帰りの電車の中で見かけた明石大橋、少し前から見えたのですが、カメラを用意している間に
通り過ぎてしまいました。

翌日この橋を渡り淡路島見物に向かったのでした。

 

(2022年12月12日)

 

「姫路城」

姫路城の駅を大通りに出ると正面に小さく姫路城が見えました、徒歩で15分ほどでしょうか
お濠のところに出ました

大手門から入場します

世界文化遺産・国宝「姫路城」です

白い姿を目にしただけでワクワクしました

菱の門 表玄関にふさわしい城内で最も大きい門、両柱の上の冠木(かぶき)に木彫りの
菱の紋があることから、この名前が付けられました

大天守と乾小天守、西小天守などが見えました

城内の道は迷路のようになっています

ようやく天守閣に通じる道に出ました

かなり距離がありました

10月桜でしょうか満開の木がありました

人一人がやっと通れるような門など、敵を容易に大天守へ到達させない
様々な工夫があります

ようやく天守閣に入れました

入ったところは大天守の地階です

流しや厠などありました

東西大柱があります

姫路城にゆかりの武将たち

正面突き当りが姫路駅です

二階は破風の間

釘の頭部を隠すための装飾、6枚の葉をデザインしていて、葉と葉の間に猪目と呼ばれる
ハート形の隙間ができます (ガイドさんの説明が聞こえて興味を持ちました)

大天守には多くの武具掛けがあり、天守が武器倉庫としても使われていたことを示しています

天守内はこんな急な階段で、下りるとき少し怖かったです

5階が東西2本の柱の最頂部で、地下から5階の梁まで通し柱となっています
接合部分は昭和の補修の際に鉄板で補強しています

長壁(刑部)神社 姫山の自主神で、近代になって天守内で祀られるようになった、
江戸時代には城内の小高い場所に鎮座していたようです

江戸時代のここからの眺めはどうだったのでしょうか

姫路駅まで本当に直線道路です

6階は壁面すべてに窓が開けられる予定でしたが、築城途中で設計が変更され、四隅の窓を
塞いだことが分かったそうです

別名は「白鷺城」  冬の青空にも映えて美しいお城でした。

 

 

二の丸あたりにこんなところもありました、播州皿屋敷で知られる「お菊井戸」です

 

姫路から江戸までの距離と時間  (江戸時代好きとしてはちょっと興味のある内容でした)
姫路城主、酒井忠以の「玄武日記」によれば、姫路に6か月滞在したあと19日かけて妻子のいる
江戸へ戻りました。

大名行列は約400m、東海道山陽新幹線のぞみ16両分、1回の費用は1億7千万円
大名行列はその土地の収穫高によって定められていました。
32万石の鳥取藩で2000両との記録が残っています。

15万石で距離もやや短い姫路藩の場合、想定される費用はその約半分1000両程度で
約1億7千万円。
大名行列の最大の経費は人件費です、経費節約のため雇っていたアルバイトが3~6割程度の
記録もあります。

日程の徒歩19日は車で約7時間、新幹線で3時間45分、、、

 

長くなりました。

朝の神戸港

7時過ぎ朝日がまぶしいほどの神戸港

 

フェリーを降りるとバスが待っていて神戸駅までの送迎がありました。

 

この日はホテルに荷物を預けて、1日息子夫婦と別行動にしました。
私は姫路に出かけました。

 

12月の旅の続き「小倉散策」

北九州の台所旦過市場  鮮魚を中心に野菜、食肉、乾物、果物、蒲鉾、製菓など120件ほどの
店舗数と、その食材の多さに驚く歴史ある市場だそうです

 

その歴史ある市場が2度もの大規模な火災に見舞われたのです

 

ニュースで聞いた時、聞き違いかと思いました

 

励ましが書かれたたくさんの石片を見かけました

 

木造の店舗が密集する旦過市場

 

残念ながら日曜日でしたから、ほとんどのお店が休みでした

 

小倉は私は初めての散策でした

 

小倉城も初めてです

 

今回は都合で中に入っての見物はしませんでした。

 

 

小倉駅から鹿児島本線で3駅の戸畑駅下車

 

駅から若戸大橋の船乗り場に向かう道はなんだか閑散としていました、人通りがないのです

 

戸畑区から若松区を結ぶ、若戸渡船乗り場

 

料金は100円

 

片道3分で着いてしまいます

 

吊り端は長さ627mです

 

洞海湾に架かる赤い橋は若松・戸畑のシンボル的存在

 

1962年の開通当時、東洋一の長さを誇り、日本の長大吊橋の先駆けと賞されたようです

 

若戸渡船は古くから市民の暮らしに欠かせない交通手段として活用されています

 

乗ってきた船はすぐ戻っていきました

 

片道3分はあっという間、”ポンポン船”の愛称で親しまれてきたそうです

 

こちら側は若松地区

若松側橋の近くにレトロな建物が見られました、ほかにもいろいろな建物があったようです

 

「旧ごんぞう小屋」

北九州市では昔、石炭荷役をする沖中士を「ごんぞう」と呼んでいました
ごんぞう小屋はもともと洞海湾の渡船発着場として明治34年に建設され、その後昭和40年ごろ
までまでにごんぞうの詰め所として利用されていたそうです、今は休憩場になっています

 

我が家の菩提寺のお坊さんで、ご住職の後輩にあたる方がこの若松出身だそうで、住所は
知らなかったのですがご実家あたりを少し散策しました、見つかりませんでしたが、、、

 

出入り船舶見張り所あと

 

若戸渡船に初めての女性船長という記事を見ました、最後まで残り見ていたのですが
こちらが初めての船長さんだったのでしょうか? 横浜市出身のようです

 

駅まで戻るとすぐ向かいの建物で「戸畑祇園大山笠」が展示されていました

 

今年は開催されるといいですね。

 

この日はフェリーで神戸に向かいました、到着は翌朝です

 

 

夕食はフェリーのレストランでした

 

フェリーは温泉付きです

 

レディースルームです、何人乗りか気になっていました

 

この日は私一人だけ、入り口は鍵がかけられますが、寂しいくらいでした。

 

2023年 1月4日

「明けましておめでとうございます」

 

晴天に恵まれたお正月でした、富岡八幡宮の近くに行ってみたのですが、大変な人出で
お参りしないで戻り、気になっていたので朝歩きを開始した4日朝7時半ごろに、お参りに
出かけました。

 

さすがにこんなに閑散としていました

 

朝日が差し込む中ゆっくりお参りできました

深川不動尊参道の永代寺です

 

不動尊のほうは、出勤途中の方たちでしょうか、ちょっとした列になっていました

 

本堂には入れませんでしたが、お参りは出来ました

また日を改めて本堂の中でお参りしたいと思います。

 

「本年もどうぞよろしくお願い致します」