しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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萩寺「龍l眼寺」

慈雲山 無量院 龍眼寺 (萩寺」  天台宗のお寺さん

萩寺の名で親しまれている龍眼寺の境内入り口

正面左には、「つき見ともみえずや露あり庭の萩」 榎本其角
「ききしより見る目ぞまさるこの寺の庭に散り敷く萩の錦は」
大納言家長郷

正面右には、「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」 松尾芭蕉の句
 

本堂  夢どのを模し、八聖(正)道にちなんだ八角のお堂

八聖道とは、理想の境地に達するために実践する正しい行いや
生活態度のこと。

創建は1395年、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村にはやっていた
疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。

 

本堂脇の不動堂

その後寺の湧き水で洗顔すると目が良くなると眼病平癒の観世音として
信仰を集め、龍眼寺と改名しました。

 

江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称”萩寺”として
多くの文人墨客が訪れ「江戸名所絵図」には萩をめでる人々で賑わう様子が描かれています。

 

萩の開花には少し早かったようです

 

 

本堂への参道には亀戸七福神の布袋尊を安置する「布袋堂」

 

客殿の前庭園、緑豊かなお寺さんです

 

満開なら見事でしたが、咲き始めたばかりのようでした

 

山門に書かれていた句碑もありました、都内の芭蕉句碑37基の中で最も古い句碑だそうです

 

小道入り口でにこやかなお顔の布袋尊が迎えてくれます

 

少しだけ咲き始めていた萩の棚の下には彼岸花も咲き始めていました

 

振り向くと素敵な小道でした

 

彼岸花が彩を添えてくれました

 

小さな池には鯉がいっぱい!

 

色が薄くて見にくかったですが、ビルの奥にスカイツリーが見えます

 

萩の花が見られるところもありました

 

素敵な境内です

 

本堂に向かう参道入り口の地蔵堂には子護八起地蔵尊(ねごやおきじぞうそん)を安置

 

入り口前の横十間川に沿った道は狭く、山門全体を撮るには、道を渡ります、本当に緑豊かな
お寺さんです。

秋というよりまだ日差しが夏のように暑い日でした、、お彼岸少し前ですものね。

 

 

帰り道、バス停に向かう道、正面にはスカイツリー、真っ青な空に
映えます。

バス停2つ先のスカイツリー入り口で下りてソラマチに寄るつもり
でしたが、真夏のような日差しに、汗をかいてしまい予定変更
帰宅してしまいました。

 

(9月16日)

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朝の「築地本願寺」散策

久しぶりに築地本願寺に出かけました、気温が上がるという予報に朝8時半ごろ着いたのですが、
もっと早く家を出ればよかったと後悔したほどの日差しになっていました

 

築地本願寺は親しみを感じます、中学から高校まで浄土真宗系の女子校で礼拝でお経を
読んでいました

 

本堂は二階です

 

何か法要が行われるようで、ご本尊阿弥陀さまのお姿はみえませんでしたが、お参りをしてから
少しの間こちらにいたら何となく気持ちも落ち着きました

 

今年は関東大震災100回忌法要の年だったのでしたね

 

1階に下りる階段あたりの動物たちです、牛はお釈迦様の姓の由来ともされるインドの
神聖な生き物

 

右の獅子は釈迦経典に出てくる「獅子吼」(ししく)が由来とも、左の馬は白い馬に乗って
お釈迦様が出家したと伝わります

 

お釈迦様の母親が白い象が体内に宿る夢を見たとされる、この動物たちは妖怪や幻獣好きとして
知られた伊藤忠太氏  築地本願寺内には、彼が仕掛けたかわいい動物たちが各所に配されて
いるようで次回はもう少し探してみましょう

 

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人像、逆光でお顔が見えませんでした
中高時代に親鸞聖人の教えを学びました、そしてかなり前になりますが
流刑地越後にも出かけ足跡を訪ねたことも懐かしく思い出します

 

創建400年を誇る、浄土真宗本願寺派の寺院、独特の空間や美しがあります 「開かれたお寺」
にはいつもお参りの人が絶えません

 

前回はコロナで営業してなかった「本願寺カフェ」にも立ち寄れました

 

以前から食べてみたかった朝食を予約してないので待ちましたが、思いがけず頂けました

 

それがこちら「18品の朝ごはん」です、その由来は、築地本願寺のご本尊である阿弥陀さまは
すべての生きとし生けるものを救うために48の誓願を立てられました。
その中心となるのが「あなたを決して見捨てない」と願い誓われた、「第18願」です。
18番目の誓願にちなんで18品をそろえた「18品の朝ごはん」を通じて、仏様の願いを味わい
ましょうと書かれていました。  18品目を美味しくいただきました

お盆に敷かれていたのは、それぞれ小鉢の名前が書かれた紙でした、おかゆとおみそ汁で18品

真ん中の段右手が見えなかったけど、これは「海苔明太」、左端はおかゆその上は「築地松露」
卵焼き、このように「築地江戸一甘口昆布の佃煮」とか「築地紀文のお魚とうふおぼろ揚げ」
など地元の食材を取り入れています

 

カフェの外側です、広いカフェでしたが予約の人が多く、飛び入りの順番待ちが長かったです。
一人で朝食を楽しむ人も多く、ほかの朝食メニューもあります。

私は朝が早く、早朝歩きをしたあと6時前後には朝食です、この朝もすませて来たのですが、
席に着けたのは10時頃でしたし、思いがけないことでしたので、おかゆが苦手ですし迷い
ましたが、興味には負けて早お昼として頂くことにしたのです。

思いがけないひと時を過ごすことができました。

 

(9月6日)

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「江戸三十三観音札所」番外「海雲寺」

曹洞宗、龍吟山海雲寺は建長3年(1251)僧不山によって開基、はじめは庵瑞林といい
海晏寺(かいあんじ)境内にあり臨済宗でした

慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和上を開山とし曹洞宗に改め
られ、寛文元年(1661)「海雲寺」になりました

 

本堂  ご本尊「十一面観音菩薩」

 

「千躰荒神堂」 海雲寺の鎮守である千躰三宝大荒神王が祀られている
三宝荒神は一般には台所や竈の守護神として信仰される神で、仏教の神ではあるが日本発祥の
神である

 

鐘楼は大正時代初期の建立

 

境内で見かけたのは山茶花でしょうか、とてもきれいでした。

 

「江戸三十三観音札所」の番外「海雲寺」も訪れました。

 

日程や日数も決めてのお参りではなく、気ままに「江戸三十三観音札所」巡りをしました。
それでも達成感と供に安堵の気持は感じました。

「江戸三十三観音札所」巡り、順不同でしたがご覧いただきありがとうございました。

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「江戸三十三観音札所」33番「龍泉寺」

仁王門  開口(阿)那羅延金剛・閉口(吽)密迹金剛・階上には韋駄天を祀る

 

独鈷の滝  投げた独鈷が落下したところから湧き出した霊泉

 

清竜大権現を祀る「垢離堂」

 

大本堂  泰叡山龍泉寺(目黒不動)天台宗 寛永寺の末寺です
ご本尊 目黒不動明王(秘仏12年に一度 酉年に御開帳

目黒不動尊縁起によれば「慈覚大師が大同3年(808年)比叡山に向かう途中目黒で宿を取った
その時不動明王の夢を見たのでその像を彫り安置した、それが寺の始まりである」といわれます

その後大師は堂宇を造営し、寺号を「龍泉寺」としました

幕府の保護が厚く、江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわいました
関東最古の不動霊場です

大本堂の背後にある大日如来像 、銅製の胎蔵界大日如来坐濠

大日如来は不動明王の本地仏

延命地蔵尊

 

「地蔵堂」 地蔵尊(無仏時代の救世仏、女性や子供を守る)

 

「観音堂」 江戸三十三観音霊場の結願札所  「聖観音、千手観音、十一面観音」を祀る

 

11月末でしたが境内に十月桜が咲いていました。

 

(2021年 11月28日)

 

 

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「江戸三十三観音札所」32番「観音寺」

「仁王門」

世田谷区下馬の「世田谷観音寺」 初めてお参りしました

 

「阿弥陀堂」 京都二条より移築されたもので、三層の建物は金閣寺を
模したものと言われています
ご本尊は阿弥陀如来像

参道の正面が観音堂(本堂)です

境内にはいろいろな木々があります、珍しい三鈷の松、多羅葉樹や楠の大木、大老松や
多くの種類の梅の木などです、11月下旬だったので木々が色ずいていました

お参りしている人が数人いらしたので、下で待っていたところ、お堂内にカメラを向けて
いる人がいてあとで見たら扉に写真OKと書いてあり私も撮らせていただきました

 

ご本尊「正観世音菩薩」 脇侍は日光菩薩、月光菩薩、布袋尊、マリア観音です

 

観音堂のおとなりは特攻観音堂
かつて華頂の宮家の念仏堂で、天井には当時をしのばせる菊のご紋が見られ、
「特攻平和観音尊像」が奉安されているようです

鐘楼

 

池の中の「夢違観音像」
悪い夢(二度と経験したくないこと、思い出したくないことなど)を
良い夢に変えてくださる観音様と言われています
法隆寺の夢違観音(87㎝)を拡大模写したお姿だそうです

六角堂(不動堂) ご本尊「不動明王ならびに八大童子」

 

こちらは裏門  木々の多い静かなお寺さんでした

 

裏門はバス通りに面しています   右手の建物が観音堂(本堂)です

 

(2021年11月28日)

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「江戸三十三観音札所」31番「品川寺」

旧東海道を行きます

 

東京都指定重宝である「江戸六地蔵一番」のお地蔵さん

 

真言宗醍醐派別格本山 「品川寺」東海道に面した品川寺(ほんせんじ)は、平安時代前期に
開創され、「品川」の地名の由来となった。

1300年間、町を見守る品川区で最古のお寺

お参りしたのは桜が咲き始めたころでした

 

ご本尊は水月観音(非公開) 東海道七福神の毘沙門天を祀っています

寺宝は「正観世音菩薩像」「薬師如来像」

大梵鐘は品川区とスイス・ジュネーブ市の友好関係を結ぶきっかけとなり
駅前通りが「ジュネーブ平和通り」と名付けられた由縁となりました

 

梵鐘の周りの小さな石造りの七福神も指定文化財です

 

七福神と一緒にお参りした小さな仏さん

 

指定文化財「弁天堂」

品川寺の歴史は、品川の町そのものです。

 

(3月21日)

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「江戸三十三観音札所」30番「一心寺」

豊盛山 延命院「一心寺」 創建は安政2年(1855)真言宗智山派の寺院です

ご本尊は成田山の分身である不動明王、古くから延命と商売繁盛の寺として信仰を集めています

 

今回「江戸三十三観音札所」巡りを思いついたのは、昨年11月に始めてお参りしたときに、
こちらを見てからでした

 

よく手入れされたかわいい庭です

 

毎月28日が縁日で、その日は素焼きの皿(ほうろく)を裏返しにして
頭にのせて灸をすえる「ほうろく灸」が体験できるそうです

 

今回は2回目の東海道品川宿でした

 

前回はこちらで一休みさせていただきました、以前歩いた時より歩行者が少なく
少し寂しいような「東海道品川宿」でした。 (曜日や時間帯も違ったかも知れませんね)

江戸時代好きとしましてはやっぱり楽しい街歩きでした。

 

(3月21日)

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「江戸三十三観音札所」13番「護国寺」

惣門  本坊に通ずるところにあり、形式は社寺系のものなので、大名屋敷の表門の形式で、
柱や冠木なども太く、全体にどっしりした構えである。五代将軍徳川家綱公の祈願寺でもあり
将軍と桂昌院の御成のための格式高い門が造営された

 

「不楼門」昭和13年建立、様式は京都鞍馬寺の門を基本に設計されたようです

 

現在の観音堂(本堂)は元禄10年(1697)正月、大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が
挙げられた大建造物で、その雄大さは都内隋一のものと賞され、しかも震災・戦争の大災害に
襲われながら、姿も変えず、江戸のおも影を今に伝え、訪れる人々に安らぎの場として親しま
れています

本堂に向かう道にいろいろな石仏が見られます

ご本尊は如意輪観世音菩

薬師堂  元禄4年(1691)の建立。  小規模ながら元禄期の標準的な遺構です

八重桜が満開でした

霊廟

新緑が美しい境内

多宝塔 昭和13年建立、塔は石山寺の多宝塔の(国宝)の模写で、ご本尊は大日如来像を安置

不楼門の内側からの眺め

 

仁王門に向かう参道

 

音羽富士にちょっと立ち寄りました

 

富士道

以前訪れた時は頂上まで登りました

 

今回は自信がなくてやめました、近いですが結構急な道なんです

 

つつじが咲き始めていました

 

大本山護国寺の仁王門  徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門です。

建立は元禄10年(1697)造園の観音堂(本堂)よりやや時代が後と考えられ、正面の両脇に
金剛力士像(右側は増長天・左側は広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。

 

(4月17日)

 

(傳通院と護国寺は何回か訪れていて、少し後回しになってしまいました)

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「江戸三十三観音札所」12番「傳通院」

傳通院(でんづういん)山門

 

桜が満開でした

 

浄土宗 無量山 寿経寺 傳通院 本堂 ご本尊 阿弥陀仏

江戸時代から残っていた山門や当時の本堂はすべて戦災で焼失してしまったので、昭和24年
(1949)に再建されました、現在の本堂は昭和63年(1988)の戦後2度目に再建されてもの

「江戸三十三観音菩薩」 無量観世音菩薩

 

慶長8年(1603)徳川家康が生母お大をこの地に葬った、のちに堂宇を建立し傳通院となった
傳通院はお大の法名にちなむ、将軍家の帰依も厚かった

 

こちらでも満開の桜が見られました

 

境内には、お大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの
女性の墓が数多くあります

 

桜と山門の内側からの美しさも格別でした

 

賑やかな朝顔市の時には、想像もつかない静けさでした

 

傳通院に出かけたのは文京区の朝顔市の時が多く、桜の季節は初めてでしたが本当に美しく
桜も満喫しました。

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「江戸三十三観音札所」23番「大圓寺」

 

曹洞宗 金龍山 大圓寺 山門

 

八百屋お七を供養するために建てられたほうろく地蔵、このお地蔵はお七のために熱した
焙烙(浅い素焼きの土鍋)をかぶって焦熱の苦しみを受けているとのことで、首から上の
病気平癒に霊験ありといい、祠の前には願いを記した多くの焙烙が納められています

墓域には幕末の先覚者である砲術家の高島秋帆、小説家であり樋口一葉を終生助けた
斎藤緑雨が眠っているそうです

 

戦後に再建された本堂  ご本尊は聖観世音菩薩  曹洞宗の寺院

安土桃山時代の慶長2年(1597)に神田に創建され、現在地へは慶安2年(1649)に移転

 

慶安2年現地に移り久しく「駒込の大円寺」と呼ばれました

 

こちらも静かな境内でした

 

山門を出るとこんな道でした。

 

(2021年11月)