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千歳烏山「妙寿寺」

法華宗 本覺山「妙寿寺」  世田谷区の寺町にる法華宗の寺院です
秋のお彼岸入りの日、お墓参りに行きました

緑に囲まれた伽藍には四季の花々に彩られます

山門を入ると秋の風情いっぱいでした

梵鐘  関東大震災で破損した梵鐘だそうです

宮沢賢治誌碑「雨ニモマケズ」

つつじ庭園の先が本堂に続く入り口

墓参を終えて山門に続く道、墓地が本殿の裏手なのです

本堂にお参り

 

鍋島客殿  麻布区(現在は港区)飯倉狸穴にあった蓮池藩鍋島家の住宅だったっそうです

(麻布飯倉は以前長く住んでいた場所の近くで、現在ロシア大使館あたりです)

つつじの開花時期は見事です

 

鍋島客殿に続く入り口  現在も妙寿寺の玄関です

 

北烏山の寺院通りには関東大震災により当地に移転した多くの寺院が並ぶ、通称烏山寺町通りと
呼ばれていている静かな通りです、お彼岸中は多くの人で賑わいますが、この日はまだ朝の内
でしたから静かな墓参でした。

 

(9月20日)

朝顔・ほおずき市

入谷の朝顔市と、浅草のほおずき市を紹介しましたが、もう一ヶ所のこちらも4年ぶりの文京区の朝顔・ほおずき市に出かけました

 

文京区の「傳通院」前回は桜の季節に紹介した名刹ですが、この日は朝顔市の会場です

 

朝8時前に着いたのですが、朝顔がなくてこれから出すのかと思ったのですが、売り切れと知り
びっくりでした、4年ぶりの開催の2日目でしたから仕方ないかな

 

本堂にお参りします

室町時代の応永22年(1415)に開創されました、慶長7年(1602)に徳川家康公の
生母於大の方の菩提寺にしたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました

 

境内には千姫をはじめ徳川家康公ゆかりの女性の墓が多くあります

 

本堂から見た境内、いつもなら参道いっぱいに朝顔が並んでいるのです

 

8時過ぎでもかなり暑くなっていました

 

傳通院から善光寺坂を行くとすぐに「澤蔵司稲荷」(たくぞうすいなり)の前に出ます

 

慈眼院は元和6年(1620)傳通院塔頭寺院として創建されました、この学寮で修行に励まれた
多くの学僧の中に、わずか3年で宗義を極めた澤蔵司と言う修行僧がおられました

 

ある夜、和尚の夢に現れた澤蔵司は「余は千代田城内の稲荷大明神である。かねて勉強したいと
思っていた長年の希望ここに達した、今より元の神に帰るが、長く当山(傳通院)を守護して、
恩に報いる」と告げて暁の雲にお隠れになりました、そこで傳通院の住職は境内に稲荷を祀られ
澤蔵司稲荷となりました

こちらはまだ展示の準備中でした

 

すぐお隣には「月山堂善光寺」 傳通院の塔頭寺院として、慶長7年(1602)徳川家康公の
生母於大の方の念持仏をご安置し開創。

 

於大の方は、家康公とご自身の現世・後世安楽を願い、この年持物に手を合わせていたと
伝わっています、古来より月参堂とも呼ばれ、これは月に一度の寺参りを勧めるとともに、
月は仏さまに喩られており、仏さまのお堂をお参りするお堂を指すことに由来します

 

大輪朝顔の展示

 

変化朝顔も展示されていました、こちらも久しぶりでした

 

寺前の道は善光寺坂と呼ばれ、朝顔会場とほおずき会場を結びます

 

こちらはほおずき市会場「源覚寺」 「こんにゃくえんま」

 

例年入り口の2段にぎっしりとほおずきの鉢が並んでいますが

 

こちらも待ちかねた人々により残り少なくなっていました

 

焔魔堂にお参り

毘沙門天堂

 

塩地蔵

 

鐘楼のそばには弥勒菩薩像

 

いろいろお参りできました。

 

(7月23日)

浅草寺「四万六千日」ほおずき市

金龍山 浅草寺は子供のころから出かけている懐かしい場所です

 

月曜日でしたが混むのではと思い早めに行きました、仲見世のシャッターはまだほとんど下りて
いる時間でした

 

四万六千日(しまんろくせんにち) 7月9,10日は境内で「ほおずき市」があります

 

8時半ごろだったかしら、もうほおずきを買い、宝蔵門の前で帰り道のような人も見かけました

 

粋な姿の女性、ぼつぼつほおずきの出店が開く時間になっていました

 

浅草寺にも外国人観光客が多くなりました

 

宝蔵門(仁王門)をくぐったところ、スカイツリーが見えます

 

宝蔵門を抜けるといつも振り向いて見ます、大わらじが掛かっています

 

そして本堂に向かいます

 

四万六千日には雷除けのお札が頂けます

この日に参拝すると46000日分、一生分の観世音菩薩の功徳を得られると言われています、この
46000という数字は米1升の米粒の数とも言われ、1升と1生をかけたものともいわれるそうです

四万六千日の縁日の参拝は江戸時代に定着し、われ先に参拝しようと言う気持ちから、前日から
境内は参拝者で賑わいため9,10日の2日間になったようです

 

46000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため「1生分の功徳が得られる
縁日」なのです

 

雷除けのお札がありました

 

観世音菩薩の功徳に感謝して参詣して江戸情緒を味わいます

 

ほおずきのお店が以前より数も少ない気がしましたが、まだ時間も早かったからでしょうか、
境内はこれから晩まで参拝者で埋まるようです

 

赤くなくて目立ちませんが、緑色のほおずきがたくさん生っています

 

本堂横の阿弥陀如来仏にもお参りしましょう

 

宝蔵門の所から見える隅田川の向こう側のスカイツリーが近く感じます

 

好きな伝法院通りですが、この日は午後「お棚経」で菩提寺からお坊さんがみえる予定で
帰宅しなければならず、伝法院通り散策は次の機会にしました

 

仲見世は混んできたので裏通りを歩きました、右手の路地に甘味処があるのでちょっと期待
しましたが時間が早すぎました、でも汗が止まらず、珈琲店で一息ついて帰宅しました。

 

今年は夏の風物詩、入谷の「朝顔市」と浅草寺の「ほおずき市」に行けました。
このままコロナの心配が無くなり、毎年開催されることを願うばかりです。

 

(7月10日)

九品仏「浄真寺」

浄真寺は九品仏駅からすぐ近くで、九体(九品)の阿弥陀仏をご安置していることから
「九品仏」として知られるお寺さんです

 

世田谷区奥沢の九品山 唯在念仏院 浄真寺の総門

 

境内に入ると緑がいっぱいでした

 

山門(仁王門) 別名「紫雲門」とも呼ばれ、寛政5年(1793)の建立、一対の仁王像、
楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置されているほか、風神雷神の像もあって、寺全体の
安全が意図されています

鐘楼  仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名楼の誉れ高く、
宝永5年(1708)の建立です、梵鐘は文化財に指定されています、楼の四周に刻まれた
十二支は作者不詳であるが、名作としてとくに有名だそうです

本堂の向かいに三つのお堂が並ぶ左端の下品堂はまだ扉が開かれてなかった

 

龍護殿 (本堂)もまだ閉まっていました、間もなくお坊さんが各お堂の扉を開けに
周り始めました

 

本堂には「釈迦牟尼如来」を安置 また本堂は「龍護殿」とも言われます
お姿を見てお参りできました

 

緑いっぱいの本殿の美しい庭

 

仏足石

 

本堂正面です

 

本堂の向かい側の上品堂を中心に、右に中品堂、左に下品堂と配置しています

 

扉が開けられた左端の下品堂

 

阿弥陀如来座像が三体安置されています

 

こちらは上品堂、各堂宇には阿弥陀仏像が三体ずつ安置されています

 

中品堂は堂宇耐震工事中で残念ながら拝観できませんでした

 

開山堂  衆生救済のため、江戸時代の高僧である珂碩上人は、九躰の阿弥陀佛像と一躰の
釈迦牟尼佛像を造立し、淨眞寺を創建しました

 

開山堂の横で梅の実を摘んでいた方々に聞いてみたら梅ジュースを作るそうです、そんな季節に
なったのですね、今年は私も数年ぶりに梅ジュースを作りました

 

境内は楓の木も多く新緑もきれいでしたが、赤く色ずく頃はまた美しいでしょう

 

東門

 

閻魔大王さまにもお参りしました

 

正式名称は「九品山 唯在念佛院 淨真寺(浄真寺)」

九躯(九品)の阿弥陀佛をご安置している事から「九品仏」として知られているお寺さんです。

 

工事が終わり、阿弥陀仏が九体揃ったときもう一度お参りしたいと思いました。

 

 

(5月27日)

 

 

 

五台山「竹林寺」

高知の旅3日目はバスで目的地まで行くことにしましたが、朝から雨が降っていました

駅前の観光会館の横から出発のバスのチケットは買ってありました、9時出発です

 

30分ほどで最初の目的地である竹林寺に到着 山門に向かいました

 

五台山 竹林寺 四国霊場第31番札所 雨の中でも何人かのお遍路さんも見かけました

 

こちらはお参りだけして本堂への参道に戻ります

 

雨の中は風情もありますが、、、

 

本堂(文殊堂) 文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂と呼ばれる本堂は1644年、土佐二代
藩主山之内忠義公により造営されました

 

今日こちらに現存する最古の建造物、国重要文化財です、お参りさせた頂きました

 

四国巡礼のお遍路さんでしょうか、私のような旅行者と違い予定の日程で周るのでしょうから
雨の日は気の毒と思いました

 

五重塔 古くは三重塔があったそうですが、明治32年の台風により倒壊
塔再建を悲願とし、昭和55年、高さ31m、総檜造り、鎌倉時代初期の
様式をもつ、五重塔として復興しました

塔内にはインド・ブッタガヤより勧請された仏舎利を納め、初層内陣に
大日如来をお祀りしているようです、外からのお参りになりました

 

大師堂 弘法大師を祀る太師堂、本堂とは対照的に簡素な趣のお堂です

 

新緑が一段と美しい参道です

 

雨の中さすがに参拝する人が少なかったです

 

ひと時心を癒してもらったツツジは色鮮やかでした

もう一度「虚空蔵菩薩堂」の前を通り、書院に立ち寄りました

 

雨の中でしたが、庭園も見たかったのです

 

ふすま絵に少し驚きパンフレットを見ました、「竹林寺x宿り音サウンドインスタレーション」
こちらは3月11日~4月9日  (バックに音楽が流れていたような気もします)

竹林寺所蔵の昭和38年に制作された襖絵、堂本印象画伯出展作品「風神」「雷神」「太平洋」
「瀬戸内海」  抽象で描いた初めての襖絵だそうです

迫力ある斬新な襖絵でした

竹林寺開創1300年記念特別公開 体感! 堂本印象-その美の世界
「竹林寺襖絵x宿り音サウンドインスタレーション」とパンフレットには書かれていました

(音楽は及川潤耶氏)

 

庭に気を取られて、襖絵を見ただけで通り過ぎてしまいました

 

書院・名勝庭園  入母屋造りの主屋、切妻造りの玄関、庭園と一体となった江戸時代後期の
四国地方に希少な書院建築として高い評価が認められているそうです

 

書院を取り囲むように広がる庭園は、鎌倉時代後期に作庭、江戸時代中期に今の姿に
改められたといわれます、高知県下三名園のひとつに数えられ、2004年に国名勝の指定を
受けたそうです。

 

「秘仏本尊文殊菩薩の特別ご開帳」は、4月15日から1か月でした。

開山・行基作と伝えられる本尊・文殊菩薩は古来「日本三文殊隋一」の
霊場と尊ばれています。

本尊は秘仏にして50年に一度のご開帳と定められていますが、この度の
百年に一度の記念にあたり、特別ご開帳です。(次回は2064年)
本堂内陣で、文殊菩薩さまを直接拝むことができるそうです。

この日は4月6日、旅の日程が決まってから知り、本当に残念でした。

土砂降りの雨の中、山門前から少しの間去りがたい気持ちでした。

 

次の目的地は「牧野植物園」です。

湯島聖堂

「仰高門」   延面積10.73m2、昭和10年(1935)4月竣工

湯島聖堂は、江戸幕府の儒官だった林羅山の邸宅に寛永9年(1632)に私塾とともに設けられた
孔子廟が、元禄3年(1690)に当地に移されたことに始まる

 

学問の樹とも呼ばれる「楷の木」各地の孔子廟に植え継がれている

 

「孔子銅像」  丈高4、75m 重量1,5トンで孔子像の銅像は
世界最大だそうです

 

 

「入徳門」  宝永元年(1704)建造   聖堂内唯一の木造建造物

 

 

「杏壇門」  間口20m 奥行4,7m 入母屋造り、杏壇とは山東省曲阜にある孔子の教授堂の
遺址のことだそうです

 

「大成殿」

孔子廟(儒教の祖である孔子を祀る廟所)儒教の廟なので建物は中国風です

 

 

私塾は寛政9年(1719)には幕府直轄の昌平坂学問所として再編され、明治4年に廃止となったが
聖堂はそのまま残った

 

聖堂横の坂道に「昌平坂」の碑

 

聖堂のすぐ前は御茶ノ水駅、電車の上の橋が聖橋です。

 

お茶の水駅のこちら側は自然の地形としてはかなり高い位置で江戸城の外濠が見えたとか、
そして「お茶の水」の由来は、江戸時代、徳川家のお茶を淹れるための水がこの地から
湧いていたことに由来します、御茶ノ水駅近くにそれを示す石碑があります。

萩寺「龍l眼寺」

慈雲山 無量院 龍眼寺 (萩寺」  天台宗のお寺さん

萩寺の名で親しまれている龍眼寺の境内入り口

正面左には、「つき見ともみえずや露あり庭の萩」 榎本其角
「ききしより見る目ぞまさるこの寺の庭に散り敷く萩の錦は」
大納言家長郷

正面右には、「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」 松尾芭蕉の句
 

本堂  夢どのを模し、八聖(正)道にちなんだ八角のお堂

八聖道とは、理想の境地に達するために実践する正しい行いや
生活態度のこと。

創建は1395年、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村にはやっていた
疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。

 

本堂脇の不動堂

その後寺の湧き水で洗顔すると目が良くなると眼病平癒の観世音として
信仰を集め、龍眼寺と改名しました。

 

江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称”萩寺”として
多くの文人墨客が訪れ「江戸名所絵図」には萩をめでる人々で賑わう様子が描かれています。

 

萩の開花には少し早かったようです

 

 

本堂への参道には亀戸七福神の布袋尊を安置する「布袋堂」

 

客殿の前庭園、緑豊かなお寺さんです

 

満開なら見事でしたが、咲き始めたばかりのようでした

 

山門に書かれていた句碑もありました、都内の芭蕉句碑37基の中で最も古い句碑だそうです

 

小道入り口でにこやかなお顔の布袋尊が迎えてくれます

 

少しだけ咲き始めていた萩の棚の下には彼岸花も咲き始めていました

 

振り向くと素敵な小道でした

 

彼岸花が彩を添えてくれました

 

小さな池には鯉がいっぱい!

 

色が薄くて見にくかったですが、ビルの奥にスカイツリーが見えます

 

萩の花が見られるところもありました

 

素敵な境内です

 

本堂に向かう参道入り口の地蔵堂には子護八起地蔵尊(ねごやおきじぞうそん)を安置

 

入り口前の横十間川に沿った道は狭く、山門全体を撮るには、道を渡ります、本当に緑豊かな
お寺さんです。

秋というよりまだ日差しが夏のように暑い日でした、、お彼岸少し前ですものね。

 

 

帰り道、バス停に向かう道、正面にはスカイツリー、真っ青な空に
映えます。

バス停2つ先のスカイツリー入り口で下りてソラマチに寄るつもり
でしたが、真夏のような日差しに、汗をかいてしまい予定変更
帰宅してしまいました。

 

(9月16日)

朝の「築地本願寺」散策

久しぶりに築地本願寺に出かけました、気温が上がるという予報に朝8時半ごろ着いたのですが、
もっと早く家を出ればよかったと後悔したほどの日差しになっていました

 

築地本願寺は親しみを感じます、中学から高校まで浄土真宗系の女子校で礼拝でお経を
読んでいました

 

本堂は二階です

 

何か法要が行われるようで、ご本尊阿弥陀さまのお姿はみえませんでしたが、お参りをしてから
少しの間こちらにいたら何となく気持ちも落ち着きました

 

今年は関東大震災100回忌法要の年だったのでしたね

 

1階に下りる階段あたりの動物たちです、牛はお釈迦様の姓の由来ともされるインドの
神聖な生き物

 

右の獅子は釈迦経典に出てくる「獅子吼」(ししく)が由来とも、左の馬は白い馬に乗って
お釈迦様が出家したと伝わります

 

お釈迦様の母親が白い象が体内に宿る夢を見たとされる、この動物たちは妖怪や幻獣好きとして
知られた伊藤忠太氏  築地本願寺内には、彼が仕掛けたかわいい動物たちが各所に配されて
いるようで次回はもう少し探してみましょう

 

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人像、逆光でお顔が見えませんでした
中高時代に親鸞聖人の教えを学びました、そしてかなり前になりますが
流刑地越後にも出かけ足跡を訪ねたことも懐かしく思い出します

 

創建400年を誇る、浄土真宗本願寺派の寺院、独特の空間や美しがあります 「開かれたお寺」
にはいつもお参りの人が絶えません

 

前回はコロナで営業してなかった「本願寺カフェ」にも立ち寄れました

 

以前から食べてみたかった朝食を予約してないので待ちましたが、思いがけず頂けました

 

それがこちら「18品の朝ごはん」です、その由来は、築地本願寺のご本尊である阿弥陀さまは
すべての生きとし生けるものを救うために48の誓願を立てられました。
その中心となるのが「あなたを決して見捨てない」と願い誓われた、「第18願」です。
18番目の誓願にちなんで18品をそろえた「18品の朝ごはん」を通じて、仏様の願いを味わい
ましょうと書かれていました。  18品目を美味しくいただきました

お盆に敷かれていたのは、それぞれ小鉢の名前が書かれた紙でした、おかゆとおみそ汁で18品

真ん中の段右手が見えなかったけど、これは「海苔明太」、左端はおかゆその上は「築地松露」
卵焼き、このように「築地江戸一甘口昆布の佃煮」とか「築地紀文のお魚とうふおぼろ揚げ」
など地元の食材を取り入れています

 

カフェの外側です、広いカフェでしたが予約の人が多く、飛び入りの順番待ちが長かったです。
一人で朝食を楽しむ人も多く、ほかの朝食メニューもあります。

私は朝が早く、早朝歩きをしたあと6時前後には朝食です、この朝もすませて来たのですが、
席に着けたのは10時頃でしたし、思いがけないことでしたので、おかゆが苦手ですし迷い
ましたが、興味には負けて早お昼として頂くことにしたのです。

思いがけないひと時を過ごすことができました。

 

(9月6日)

「江戸三十三観音札所」番外「海雲寺」

曹洞宗、龍吟山海雲寺は建長3年(1251)僧不山によって開基、はじめは庵瑞林といい
海晏寺(かいあんじ)境内にあり臨済宗でした

慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和上を開山とし曹洞宗に改め
られ、寛文元年(1661)「海雲寺」になりました

 

本堂  ご本尊「十一面観音菩薩」

 

「千躰荒神堂」 海雲寺の鎮守である千躰三宝大荒神王が祀られている
三宝荒神は一般には台所や竈の守護神として信仰される神で、仏教の神ではあるが日本発祥の
神である

 

鐘楼は大正時代初期の建立

 

境内で見かけたのは山茶花でしょうか、とてもきれいでした。

 

「江戸三十三観音札所」の番外「海雲寺」も訪れました。

 

日程や日数も決めてのお参りではなく、気ままに「江戸三十三観音札所」巡りをしました。
それでも達成感と供に安堵の気持は感じました。

「江戸三十三観音札所」巡り、順不同でしたがご覧いただきありがとうございました。

「江戸三十三観音札所」33番「龍泉寺」

仁王門  開口(阿)那羅延金剛・閉口(吽)密迹金剛・階上には韋駄天を祀る

 

独鈷の滝  投げた独鈷が落下したところから湧き出した霊泉

 

清竜大権現を祀る「垢離堂」

 

大本堂  泰叡山龍泉寺(目黒不動)天台宗 寛永寺の末寺です
ご本尊 目黒不動明王(秘仏12年に一度 酉年に御開帳

目黒不動尊縁起によれば「慈覚大師が大同3年(808年)比叡山に向かう途中目黒で宿を取った
その時不動明王の夢を見たのでその像を彫り安置した、それが寺の始まりである」といわれます

その後大師は堂宇を造営し、寺号を「龍泉寺」としました

幕府の保護が厚く、江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわいました
関東最古の不動霊場です

大本堂の背後にある大日如来像 、銅製の胎蔵界大日如来坐濠

大日如来は不動明王の本地仏

延命地蔵尊

 

「地蔵堂」 地蔵尊(無仏時代の救世仏、女性や子供を守る)

 

「観音堂」 江戸三十三観音霊場の結願札所  「聖観音、千手観音、十一面観音」を祀る

 

11月末でしたが境内に十月桜が咲いていました。

 

(2021年 11月28日)