牧野植物園南門近くの温室内のこのサボテンは覚えていませんでした
牧野植物園のバス亭は竹林寺の一つ先です、でも竹林寺でバスを降りた時に植物園の入り口が
見えて不思議に持ったのですが、竹林寺の見物が終わったとき雨もかなり降っていたのでその
入り口に行ったら、思いがけず(MY遊バス)竹林寺前の停留所が植物園の南門の所でした、
バスをひと停留場乗らないといけないと思っていたので嬉しかった。
衣類が少し濡れてましたから建物内の展示は嬉しく一息付けました、でもはじめは花も
あまり目に入らずゆっくりスタートしました。
写真を撮ったのでこの温室の花はきれいだったのは覚えているけど、気持ちが落ち着くまで
よく覚えていないのです
温室内は暖かくてほっとしました
ゆっくり見物して気持ちも落ち着きました
珍しい花を見かけましたヒスイカズというマメ科の植物で、フィリピンの固有種、ルソン島
やミンドロ島の低山の標高100~1000mの熱帯雨林の渓谷に自生しているそう、ここでは3~5月
が開花時期で、花の長いものは1m以上にもなるそうです、握りこぶしほどの特異なさやの実が
生ると説明にありました
先の見えない細い階段の道を行くか、このまま道なりに行くか迷いましたが、雨もかなり
降っていて濡れた足が気になり、この道に入るのを諦めました
オオデマリも咲いていました
こちらの道を進んだのです
咲いている花には(咲)という札があります
こういう場所でもよく見ると、何種類もの花が見られます
ひときわ色鮮やかなのはキリシマツツジでした
オキナグサ、こんな姿は初めてでした、翁草は和名のようですが、ぴったりですね
晴れていたらこの先の広場に行きたかったです
雨を逃れて建物の中に入りました
これが桜草ですね
似た花に見えましたが、名前を見ると全部違いました、たくさんの種類があるのですね
外に出ると牧野富太郎氏の銅像が見えました、先ほどの50周年記念庭園を行くとこの前に
出たのでしょう
ここは残念ながら登る元気がありませんでした
起伏に富んだ地形を利用、自然環境と調和を意識して、各植物を適地に栽培しているそうです
ようやく建物のある所に着きました、回廊があると教えてもらった展示館でした
こんな展示もありました
NHK朝ドラに出演の方たちもいらしたようですね
植物分類学の研究に94年の生涯を捧げた高知県出身の植物学者牧野富太郎博士
(1862~1975)
高知の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を見つけて
いきました
1884年、22歳で上京し、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の
研究に打ち込むようになります
94年の生涯において収集した標本は約40万枚といわれ、蔵書は約4万5千冊を数えるそうです
新種や新品種など1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として
知られています
からくり人形で独自の世界を構築するムットーニが、初めて実在の人物「牧野博士」を
モデルとして生み出した作品です
ある夜、植物学者の目の前で標本が動き出し、故郷の初年時代へと彼をいざないます
1940年には現在でも研究者や愛好家の必携の書である「牧野日本図鑑」を刊行
牧野博士を育んだ高知県の豊かな自然を、山地から海岸に至るまで多様な環境に生育する
植物を自然さながらに観察できます
展示館シアターもありました
ようやく回廊のところに出て、屋根の下を歩けました
回廊脇にも花がいっぱい見られます
「植物園を造るなら五台山がええ」90歳を超えた牧野博士のこの一言で、四国霊場第31番札所
「五台山竹林寺」跡の周辺を譲り受け、1958年に開園したそうです
こちらが正門を入ったところでした、ここから入場しようと思っていたのです
記念館本館にレストランがあったのでランチを楽しみました
シェフお勧めの一皿はチキンのレモンソースという名前だったと思います
パリッと焼かれたチキンに地元の生姜とレモン味のソースは爽やかでとても美味しかった
ご飯にもよく合いました(こちらはご飯のみです)
帰りは土佐の植物生態園の中を通り、正門からバス停に向かいました
ユキモチ草が咲いてますとの札
ここから入る予定だった正門に着きました
竹林寺のひとつ隣のバス停が植物園の正門前です、バス停ひと停留所分もの広さがある
植物園です。
この日は竹林寺とこの2か所で一日過ごす予定でした、雨だったのが本当に残念でした。
MY遊バスは桂浜が終点でしたが、この天候では諦めて高知駅に戻りました。
(4月6日)
余談ですが、92歳の親しい友人が、昔住んでいた近くにいつも庭に草がいっぱいな
家があり、どうして草を取らないのかしらと思っていたお宅が牧野さんの家だったと
後で知ったそうです。
(4月24日、昨日が牧野氏のお誕生日でした)
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