映画」カテゴリーアーカイブ

映画「仕掛人・藤枝梅安」

江戸時代好きで池波正太郎氏ファンです、今年は生誕100年になるそうです。

「仕掛人・藤枝梅安」は「鬼平犯科帳」「剣客商売」とともに時代小説の大家・池波正太郎氏の
三大シリーズとして長く愛されている作品です。

この映画を見たのはもう数か月前になりますが、第1作と2作が別々に上映されました。

世の中には、生きていてもらっては世の中のためにならぬ人間どもが、〔法〕の網の目から
こぼれ、ぬくぬくと生きている。
本格の仕掛人は、そうした連中のみを目ざして殺しをおこなうのがたてまえであった。

映画やテレビでいろいろな俳優が梅安を演じていますが、今回の主人公は大ファンの豊川悦司さん
が演じてます、主人公の梅安は2つの顔を持つ人物、人の命を救う鍼医と人を殺める仕掛人です。

仕掛人とは”蔓”(つる)から依頼を受け標的を暗殺する、報酬の半金を前金で受け取り、仕掛け後
残りの半金を受け取る。

1作は江戸、そして幼いころ自分を拾って鍼医にしてくれた恩人の墓参をするため相棒の彦次郎と
供に京に向かう、一作目の終わりの長々と解説の場面が終わった後、二人が京に向かう道中の
場面が写り、初めて2作目があることを知りました、ひと月後ぐらいに2作目が上映されました。

思いがけない共演者の天海祐希さんが”かっこよかった”、 梅安の恋人おもん役は菅野美穂さんで
した

こちらも思いがけない写真、黒の衣装に身を包んでいるのは共演者の4人と監督

「人間は善いことをする傍らで悪いこともする。悪も含めて人間である。
登場人物の人生を映画の中に焼き付けた河毛俊作監督です。

 

2作品が続けて上映されることは知らずに1作目を見て、見終わるときに2作目があることを
知ったので、二倍楽しめた気分でした。

映画「エルヴィス」

ミッドタウン日比谷に映画「エルヴィス」を見に出かけました

 

TOHOシネマズ日比谷のある4階ロビーからの日比谷交差点方面

 

緑の多いこちらは道路の向かい側の日比谷公園

 

「エルヴィス」はここで見ました、ウイークデイなのに満席に近く驚きました

 

エルヴィス役のオースティン・バトラー、来日した時テレビで見たのとは印象が違ってました

 

究極のミュージック・エンターテイメント!
世界史上最も売れたソロアーティスト、エルヴィス・プレスリー

大好きでした、当時映画館に通いました、映画もヒットしていました

 

ストーリーは衝撃的でした

 

1935年 ミシシッピー州で誕生  これは実物のエルヴィス

取り巻く人々がたくさん登場しました、知らなかった!一番ショックだったのは
トム・パーカー大佐、エルヴィスの人気に目を付けて「キミをインドの王様より
金持ちにして見せる」とエルヴィスのマネージャーになった

 

懐かしい若いころの写真

謎が解けました、海外公演を願ったエルヴィス、でもかなわなかった、
それはパーカー大佐が、密入国者でパスポートを持てなかったからだった!

 

映画のシーン、たくさん見ました

 

ピアノの横で座ったまま歌うエルヴィス本人の姿、その時はもう立ち上がって歌うことが
できなかったことあとで知りました

 

42歳の若さでこの世を去ってしまったエルヴィス・プレスリー
当時ニュースで知ったときはショックでした。

映画「峠」最後のサムライ

もう10年以上も前になると思いますが、会津を旅した時、只見町で
河井継之助記念館を見て興味を持ち司馬遼太郎の「峠」を読みました

今回映画になり楽しみに出かけました

 

越後長岡藩に生まれ、文武に秀で陽明学を修め、水練、馬術、槍術に
長じ特に砲術の研究を深めました

 

27歳の時、江戸に学び、佐久間象山の門をたたくなど勉学に励みます、
その後一時帰国して藩政に参与するが、安政5年(1858)再び江戸に赴き
横浜、長崎などに遊学して広く世界の動きを検分してゆきます

 

慶応元年(1865)39歳の時、郡奉行となりその非凡な才能は多くの人の注目を集めます
後に家老上席となり政務を担当しました、大いに藩政を改革し、長岡藩をして奥羽の雄藩と
しての基礎をつくりあげました

 

妻を愛し、国を思い、戦いのない世を願った継之助でした

 

西軍5万人に、たった690人で挑んだ ”最後のサムライ”

慶応3年(1867)大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は旧幕府軍(東軍)
明治政府軍(西軍)に二分していた、慶応4年戊辰戦争が勃発した、越後の小藩長岡藩の家老
河井継之助は東軍・西軍いずれにも属さない武装中立を目指す

戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために戦争を避けようとした
だが、平和を願って臨んだ談判は決裂、継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を
交えるという決断を下す。

 

映画を見たあと、また読み返しています。

 

 

(6月29日)

「大河への道」伊能忠敬

 

これは富岡八幡宮の境内にある伊能忠敬の像です
少し前に写真を撮ってあるのを思い出しました、早歩きを体の痛さで休んだ早朝、テレビ
クルーが八幡宮を訪れるのを知り、家から近いので出かけてみました

 

明るく見えますが、朝5時頃だったと思います

 

永代通りは車道も歩道もこんなに人通りがない時間でした。

 

 

「大河への道」という伊能忠敬の映画が上映されているのを知り出かけました。

 

千葉県香取市、市役所総務課に勤める主人公は、市の観光振興策を検討する会議で意見を求め
られ、苦し紛れに大河ドラマ制作を提案、思いがけずそれが通り、郷土の偉人、伊能忠敬を
主人公とする大河ドラマの企画が立ち上がってしまう

 

ところが企画を進めるうちに、日本地図を完成させたのは伊能忠敬ではなかった!?
彼は地図完成の3年前に亡くなっていた!

という驚きの事実が明らかに、、、

江戸と令和、2つの時代を舞台に明かされていく日本初の全国地図誕生秘話

 

世界を驚かせた「初の日本地図」完成から200年、その裏に隠され続けた秘密が明らかにされる

 

夢とロマンを抱き55歳から地図作りを始めた伊能忠敬
根気と執念で日本地図を測量すること17年、歩いた距離は、地球一周分、そして1821年
ついに日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」(伊能図)は完成した・・というのが
歴史の授業で習うこと、しかし、200年の時を経て常識をひっくり返す映画が誕生した

 

出演者全員が二役です

 

企画を進めるうちに、日本地図を完成させたのは伊能忠敬ではなかった!?
彼は地図完成の3年前に亡くなっていた!

 

という驚きの事実が明らかに・・・

 

江戸と令和、2つの時代を舞台に明かされていく日本初の全国地図誕生秘話、そこには
地図を完成させるため、伊能忠敬の弟子たちが命を懸けて取り組んだとんでもない隠密
作戦があった

この国の正しい姿をきちんと形にすることが外国から守るはじめの一歩

 

名もなき人々が歴史を変えた実話の物語

 

忠敬は49歳の時に息子に家督を譲って隠居し、江戸に出て深川に隠宅を構えた。
幕府天文方高橋至時(よしとき)の門弟となり、天文学を本格的に学んだ。

忠敬は隠宅に本格的な天門観測施設を整備し、至時から学ぶとともに、恒星の高度角の
観測など、天文観測に明け暮れた。

 

江戸時代に蝦夷地から九州まで17年かけて測量し、日本全図の完成に向けて指揮をとった。
全国測量は隠居後の55歳から始まり71歳まで続けられたが、地図の完成を見ることなく
73歳でその生涯を閉じた。

 

映画は意外な結末でした。

 

映画「HOKUSAI」

久しぶりに家の近くの映画館に行きました、10時20分からの上映でしたが観客は
10人ほどでした。

 

江戸時代の天才画家、「葛飾北斎」楽しみな映画でした。

 

90年の生涯で描いた作品3万点以上

 

米ライフ誌の「この千年で最も偉大な功績を残した100人」に
レオナルド・ダ・ヴィンチなどと並び、日本人でただひとり選ばれた
世界的アーティスト、葛飾北斎

 

そのダイナミックで独創的な浮世絵は時代を超えて世界中の人々を魅了し、国内では「富嶽
三十六景 神奈川沖浪裏」が2020からパスポートに採用され、2024年に導入される新紙幣の
絵柄になることも決定してます。

 

左から北斎青年期/老年期
自らを画狂人と呼び、絵にすべてをささげた天才絵師
若き日に苦悩を重ねるが、苦心の末開眼。圧倒的な
画力と唯一無二の創造性でヒット作を量産、芸術家が
抑圧される中で、筆で抗い続ける不屈の革命家。

蔦屋重三郎  絵や本の版元であり、出版販売もしている耕書堂店主
北斎、歌麿、写楽など、江戸を熱狂させる絵師を続々育て、出版した
当代きってのプロデューサー、早くから北斎の才能を見抜き、
気にかけている。

蔦屋重三郎にも興味があるのですが、北斎とは10歳違いだけど47歳で
没しているため70歳過ぎて「波の画」でメガヒットした北斎を知らなかったのです。

左から柳亭種彦  武士の家系でありながら文才に溢れ、剣よりも筆を好んだ戯作者、
北斎とは幾度もタグを組んでいる盟友、芸術を取り締まる立場でありながら身分を隠し、
強い信念をもって作品を作り続けた。

喜多川歌麿 江戸中に名をはせた美人画の大家、表情や構図など独自の表現方法で人気を博す。

コト    北斎を陰ながら支えた良妻、老年期の北斎の右腕として活躍する娘・お栄を生み、
育てた母でもある

高井鴻山  小布施の豪商で北斎の高弟、北斎を小布施に招き、老いた北斎は4回も小布施に
出向いた

青年期に関する資料がほとんど残されていないため、歴史的資料を
徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生み出されたオリジナル・
ストーリーだそうです。

町人文化華やぐ江戸の町。 貧乏絵師の北斎はある日、希代の版希の
版元。蔦屋重三郎に才能を見出され、一躍人気絵師になる

その後70歳から描いた「冨獄三十六系」が大衆を魅了する。誰もが知る
あの豪快な波の絵が生まれた。
発表作品は3万点

 

富士山が見える砂浜で休む北斎

 

1760年生まれ  6歳ですでに筆を取っていたという記述あり。

68歳の時に脳卒中になったが、お手製の薬で治してしまった。
86歳で信州小布施に旅行、80歳を過ぎて江戸~小布施往復4回
その距離なんと2000km
1849年 90歳 浅草にて没

生涯に引っ越し93回

大量生産の浮世絵版画なのにオークションで1枚1億円超の値付いたそう。
19世紀最高の画家でした。

 

映画 「Knives out」

ミステリーの女王アガサ・クリスティーにささげられた作品、アガサと聞いて見たくなりました

監督 ライアン・ジョンソン

YouTubeで見つけたキャストの対談、探偵役はダニエル・クレイグ、ジェームス・ボンド役
でおなじみです

お相手はジェイミー・リー・カーティス

ジェームスボンド役でしか見たことがなかったダニエル・クレイグにも興味ありでした

女性看護師役のアナ・デ・アルマス

舞台はニューヨーク郊外の大きな屋敷、世界的ミステリー作家の85歳の誕生パーティーで
家族が集まった、翌朝彼は遺体で発見される、、、

1週間後匿名の人物からの依頼を受けた名探偵ブランの登場

長女のリンダ役のジェイミー・リー・カーティスは存在感もあり素敵でした

古い時代の話と思っていたらスマホが登場して、予備知識なしで見たので古い屋敷に
きしみ音がすごい階段、そしてアガサと揃ってましたから

密室殺人、スリルとユーモア、それほど名探偵と思えなかったブランのキャラクター

アカデミー賞の脚本賞にノミネートされた作品です。
こうして出演者を見ても一癖も二癖もありそうな面々ですよね。

 

ただいま上映中です、興味を持たれた方はどうぞ。

 

(2月13日)

映画 「男と女」人生最良の日

日比谷シャンテのゴジラの前を通り

映画館はすぐ近く、何回か紹介した香港飲茶のお店と同じビルです

懐かしいと言っても新しい映画を見に行きました

クロード・ルルーシュ監督をはじめスタッフ、キャストが再集結、スクリーンに蘇りました

「男と女」♪ダバダバダ~で始まるフランシス・レイの音楽もヒットしました

「男と女」20年後も見ました、でもちょっとがっかりでした、でも、、、

53年後は、、、

アヌーク・エーメは年を重ねても素敵でした

ジャン・ルイが長年追い求め愛し続けた女性だったのです、ジャン・ルイの息子に頼まれて
アンヌは会いに行きます

ところがジャン。ルイは今では徐々に過去の記憶を失い始めていたのです

とある海辺の施設で余生を送っているジャン・ルイ

アンヌのことをかすかに思い出したのでしょうか、しかし

相手がアンヌだと気が付かないジャン・ルイはアンヌへの思いを話し始めるのだった

いかに自分が愛されていたかを知ったアンヌはジャン・ルイを連れて思い出の地へ
車を走らせる

愛し合った2人がなぜ分かれたのでしょうか

アンヌは答えます、彼の周りに女性が多すぎたと

かつてはレーシングドライバーとして、一世を風靡する注目を集める存在だったジャン・ルイ

幸せなひと時だった  アンヌ  アヌーク・エーメ

ジャン・ルイ  ジャン=ルイ・トランティニアン

そしてアンヌはスタントマンの夫を亡くし、悲しみから抜け出せないでいました

それぞれの子供の学校が一緒だったのです、子供に会いに行き出会った2人

あの時の2人の子供たちも再会

残念ながら2018年にフランシスレイは他界していました、本作では
2曲の楽曲を完成させています。
あの懐かしい曲が流れたときはちょっと胸が熱くなりました。

 

自分も同じように年を重ねて、感じることがありました、20年後の
2人の物語はちょっとがっかりしましたが、53年後は素敵でした。

ホイットニー ~オールウエイズ・ラブ・ユー~

1月4日から公開された「ホイットニィー ~オールウイェイズ・ラブ・ユー~」を見ました。

 

2012年2月12日、衝撃のニュースが世界を駆け巡りました、信じられない、信じたくない
ニュースでした。49歳の若さでした。

実母シシー・ヒューストンも歌手で1963年ニュージャージー州ニューアーク生まれ

有名なゴスペル・グループ、スウイート・インスピレーションズの
メンバーである母に、ディオンヌ・ワーウィック従姉妹を持ち、
幼いころより母シシーにスターになるべく育てられた。

ボビィー・ブラウンとの結婚式は92年7月、翌年女児を出産
幸せだったころです。

92年「ボディーガード」にケビン・コスナーと主演、女優デビューと
ともに映画は世界的大ヒットを記録。
「ボディーガード」の成功とボビー・ブラウンとの結婚を境に、
ホイットニィーの人生は驚くほどの勢いで転がり落ちて行く、、、。

1986年11月東京武道館のライヴを見ました、ステージでサンダルの
のストラップが切れてしまい曲の終わりに靴を取り替えたのを思いだし
ました、同じ靴を何足か持ってきているのだなと印象に残っています。

「ボディーガード」の主題歌「オールウエイズラブ・ユー」は音楽
史上最高の売り上げを記録したシングルのひとつです

晩年のホイットニーにはショックな場面もありました。

ホイットニーは自分の母親シシーが.家を多く開けていた少女期の孤独
から、娘にはなるべく親密に接していたけど、結局うまくゆかなかった。

 

素晴らしい映画とともにこの素敵でかわいい笑顔は忘れません。

映画「マンマ ミーア」

前回の続編 舞台は、愛の女神アフロディテの泉の伝説が残るギリシャの夢の楽園
カロカイリ島

左から若きドナ、中央はソフィそして右が母親ドナのその後

ソフィはドナの夢だったエレガントなホテルをカロカイリ島で完成させる、そのオープニング
パーティーに集まる人たち。

 

時はさかのぼり若きドナは大学を卒業後、自分を見つけるため広い世界に飛び出す決意をする

親友のロージーとターニャに見送られてまずパリにその後目的地カロカイリ島へ

現在のヒロインと母ドナの親友ロージーとターニャ

そして3人の父親、本当の父親は誰も知らない、この3人がまたかっこいい

左側ピアース・ブロスナンはおなじみ007/ゴールデンアイで5代目ジェームス・ボンドを襲名
以降シリーズ4作品に主演、素敵なおじさまになっていました、ほかの2人も有名な俳優

もちろん若いころの3人も出てきます

メリル ストリープ 今は亡き母ドナ役 やっぱり素敵でした、そしてドナの母親役はシェール
ドナの大学卒業式にも現れなかった母親がどこからともなく現れる。

 

「マンマ ミーア」は大ヒットしたミュージカルの映画版の続編です。

何といってもABBAの大ヒットした曲、既成曲で構成されていますからもう知っている曲が
ダンスミュージックとして次々聞けるのですからちょっと興奮しました。

本当に素敵な映画でした。

銀座ランチ「サラマンジェ・ド・イサシワキサカ」

映画「空海 美しき王妃の謎」を見るため友人と待ち合わせたのは日比谷。

私たちにが若いころから演劇や映画の街として歴史のある日比谷にこんなビルが
オープンを待ってました。

大スクリーンの「映画の宮殿」が29日に開業する複合施設「東京ミッドタウン日比谷」です。

ここに三井ビルがあり、遠い昔、2階の「日東コーナーハウス」で、
映画を見た後にチキンバスケットと紅茶を楽しんだ思い出があります。

時々向かいのシャンテには出かけるのですが、しばらく工事中でした。
右隣の三信ビルは広場になっていて工事の囲いが取れたらすっかり変わっていました。

 

映画はかなり奇想天外でしたが楽しみました。
夢枕獏作ということ以外まったくの予備知識なく見た友人は
「こういう映画だと知らなかった」と驚いていました。

 

 

ランチは映画館からほど近いこちらのお店に決めていました

 

フランス中部のリヨンは、豊かな食材に恵まれる美食の都として名高いところです

 

貧乏人のフォアグラのパテ  限りなくフォアグラっぽいお気に入りのひと品

ねっとりとしたパテとフランスパンはベストマッチです

友人の前菜は、ニシンと菊芋のマリネ  ちょっとお味見させてもらいました、酸味が程よく
かなりお料理に詳しくグルメ通の友人も気に入っていました

 

パンにはオレンジの自家製ジャムが添えてあります

 

こちらのお店はこのお料理が目当てなんです クネル・ド・プロシェ 川マスのクネル
ふわふわの食感にやや濃厚なクリームソースでも数本食べられてしまいそうな美味しさです

クネルに添えられていたのは麦でしょうか、ソースと一緒に頂きます
ふわふわ食感のクネルと歯ごたえのある粒々は食感の違いが心地よいです

 

デザートも選べます こちらは友人のチョイス ブラマンジェ

 

私はティラミス、手前の粒々はチョコレート、ねっとりした食感のティラミスに
カリカリした粒のチョコレートが口の中で混ざり合うのが意外なおいしさでした

食後のエスプレッソにはかわいいお菓子が添えられていました。

丁寧に作られたお料理で、シェフおすすめのコースはいつも大満足です。