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映画「峠」最後のサムライ

もう10年以上も前になると思いますが、会津を旅した時、只見町で
河井継之助記念館を見て興味を持ち司馬遼太郎の「峠」を読みました

今回映画になり楽しみに出かけました

 

越後長岡藩に生まれ、文武に秀で陽明学を修め、水練、馬術、槍術に
長じ特に砲術の研究を深めました

 

27歳の時、江戸に学び、佐久間象山の門をたたくなど勉学に励みます、
その後一時帰国して藩政に参与するが、安政5年(1858)再び江戸に赴き
横浜、長崎などに遊学して広く世界の動きを検分してゆきます

 

慶応元年(1865)39歳の時、郡奉行となりその非凡な才能は多くの人の注目を集めます
後に家老上席となり政務を担当しました、大いに藩政を改革し、長岡藩をして奥羽の雄藩と
しての基礎をつくりあげました

 

妻を愛し、国を思い、戦いのない世を願った継之助でした

 

西軍5万人に、たった690人で挑んだ ”最後のサムライ”

慶応3年(1867)大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は旧幕府軍(東軍)
明治政府軍(西軍)に二分していた、慶応4年戊辰戦争が勃発した、越後の小藩長岡藩の家老
河井継之助は東軍・西軍いずれにも属さない武装中立を目指す

戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために戦争を避けようとした
だが、平和を願って臨んだ談判は決裂、継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を
交えるという決断を下す。

 

映画を見たあと、また読み返しています。

 

 

(6月29日)

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