しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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 特別展「国宝東寺-空海と仏像曼荼羅」

真言宗総本山の京都・東寺は平安京遷都に伴って建立されたのち、空海が真言密教の
根本道場とした。
空海が構想し講堂に安置された21体の仏像からなるのが「立体曼荼羅」今回は
最多15体がお目見えしました。
そしてほとんどが全方向から見られる展示でした。

早く出かけたいと思いながらようやく出かけられたのは5月27日、6月2日まででしたから
チケットは上野駅構内で購入しても「平成館」の入り口で30分待ちでの入場でした。

 

 

国宝 「兜跋毘沙門天立像」  中国 唐時代・8世紀

中国・唐時代に造られた、異色の毘沙門天像 腰が高い細身のスタイル
中央アジア風の甲が特色で、日本でも各地で模刻が造られるなど信仰を
集めた。平安京の羅城門に安置され、都を守護したと伝えられる。

重要文化財 「阿弥陀如来坐像」

空海が始めた最重要の法会「後七日御修法」の堂内の様子が再現して
紹介されていました、興味深かったです。

重要文化財 「五大虚空蔵菩薩坐像」 唐時代・9世紀

今回撮影が許された「帝釈天騎象像」

着甲し、武器である金剛杵(こんごうしょ)を手にする仏法の守護神

もとはバラモン教のインドラ神で、ブラマー神である梵天とともに
仏教に取り入れられ対で表されることが多い。

須弥壇の上では、西方に配置される。

ゆったりと象に乗る姿はインド風で、奈良時代までの帝釈天の表現とは
異なる、空海がもたらした新しい情報に基づいて造られたそうです。

今は蓮華の座に代わるが、五仏や五菩薩も当初は鳥獣の台座に座して
いた可能性がある。

前期と後期で展示の入れ替えがありましたが、見ごたえのある仏像を
ぐるっと回って全方向から見せていただけるのも魅力でした。

開場に入ると、イヤホンガイドを聞きながらゆっくり楽しめました。

 

あまりにも忙しく過ごしていたので、ほっとしたひと時でした。

素晴らしい「東寺展」に京都に出かけたい気持ちもますます強まります。

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京都「大法恩寺」展

上野公園は晩秋の色でした

噴水と花と博物館

最終日の前日でした

見事な銀杏の木です

楽しみに出かけました

右端は馬頭観音菩薩立像

”慶派スーパースター” 快慶、定慶、行快の名品が並びました

運慶の弟子・定慶作重要文化財に指定された唯一の六観音さまです

会期中の後半はこちらの「六観音菩薩像」の光背が外されたのです
ぐるっと後ろ姿まで見せていただけて、なんだかいつもにもまして
六観音さまたちが身近に感じられました

こちらは快慶作釈迦の10人の弟子「十大弟子立像」の三象ですが、
例えば優婆離は持律第一 基本に忠実、戒律を守ることが重要です

阿那律は天眼第一 眼は見えませんが心の眼で見通せます

迦旋延は論議第一 教団きっての理論家で問答が得意です

十大弟子立像、10体揃って寺外初公開なのだそうです

京都の「大報恩寺」ご本尊の釈迦如来坐像は快慶の一番弟子、行快の代表作のひとつです
須弥壇に安置されているご本尊は秘仏で、年4回ほどの公開だとか、こちらも寺外初公開です

千本釈迦堂の名で親しまれる「大報恩寺」は鎌倉時代の1220年に
義空上人が開創した古刹です

千本釈迦堂の名前の由来は、秘仏ご本尊「釈迦如来坐像」が祀られる
本堂が、貴族から庶民まで幅広い信仰を集めた釈迦信仰の中心地であり
近くに京都を南北に縦断する千本通があることにもとづくようです。

寺内で、現在は別々に安置されている秘仏でご本尊「釈迦如来坐像」と
釈迦の10人の弟子「十大弟子立像」が同じ空間に展示されていました。

 

思いがけず写真撮影が許された仏像が1体ありました

聖観音菩薩立像です

光背が外された珍しいお姿

光背だけを見るのは不思議な感じです

その美しいお姿を多くの人が写真に収めていました

ぐるっと回れるのですが

前から写真を撮っている人が多いですから
後ろ姿を撮るときは少し遠慮して急いで
写したためか残念ながらほとんどブレて
しまいました。

 

ドーム屋根は表慶館、左側は本館

平成館を出ると何やら音がしていたので見ると大きなクレーンが
作動中で、西の空が淡いオレンジ色になっていました。

「大法恩寺」展に出かけられたのは展示最終日の前日でしたから
混雑を予想して午後から出かけました。

平成館を出たところの風景です。

何かと気ぜわしい年の暮れに、穏やかな心に残るひと時を過ごせました。

 

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江戸の七夕飾り

深川江戸資料館に七夕飾りを見に出かけました

大鵬関は名誉区民だそうです

導入展示室には松平定信、鶴屋南北など深川ゆかりの人物が紹介されています

この日の目的はこちら「江戸の七夕飾り」です

七夕飾りは思ったより大きくてびっくり

表通りの大店(おおだな) 多田屋  干鰯(ほしか)〆粕(肥料)魚油を扱う店

大店の土蔵のところに七夕飾り

大店向かいの八百屋さんの店先には夏野菜が並び

当時卵は高価だったようで今のお金で350円ぐらいだったとか、手前のかごには茗荷

隣のつき米屋は米問屋から仕入れて庶民に売っています

唐臼という器機で精米します

その先木戸のところにも大きな飾り

木木戸の稲荷鮓やさん

木戸を抜けると船宿が2軒 飲食や宴会もできる小料理屋のようなところ

猪牙舟(チョキ)を使って船頭が人や荷物を搬送します

火除け地と呼ばれる広場にも願い事や和歌を書いた短冊、商売繁盛を願った大福帳など、
様々なものをつけた飾りがありました

火の見櫓の前には二八そばの屋台

こちらは長屋 松次郎さんは船宿の船頭

洗濯物越しにも飾りが見えました

三味線の師匠  於し津さんの家の縁側には朝顔の鉢植え

こんな路地の雰囲気がいいですね

つき米屋の職人秀治さんは妻と小さな子供の3人暮らし

棒手振りの政助さんは、あさり、しじみのむき身を天秤棒で担いで売るのが仕事

長屋住民の共同スペースにも七夕飾りがありました

この路地の突き当りは大店、表通りは路地も少し広い

鳴き声も聞こえ動く屋根の上のネコちゃん

願いを叶えるために、屋根の上に天高く立てた色とりどりの笹竹が風になびいています。

短冊は青・赤・黄・白・黒(紫)の五色、これは中国の思想である五行説から。

商売繁盛や家の繁栄を願い、大福帳もつけてあります。

水と深くかかわるすいか・ひょうたんは雨乞い、豊作祈願などの意味も。

筆・硯は書道の上達を願うのだそうです。

 

 

七夕飾りは「名所江戸百景」に描かれた七夕の日の江戸の町並みを
参考に再現したものだそうです。

江戸時代の七夕飾りは大きくて願い事もいっぱいでした。

 

(7月7日)

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すみだ北斎美術館

両国の「すみだ北斎美術館」は昨年11月で開館1周年を迎えました。

1月まで開催されていた開館1周年記念展もにぎわっていました。

 

出かけた日も青空にスカイツリーが美しく映えていました

 

少し前の催しになりますが、紹介したいものがありました

開館1周年記念展は江戸時代の趣味人たちが新春に「摺物」と呼ばれる版画を
贈り合う習わしがあったそうです

北斎とその弟子たちも、神様をはじめとする多くのおめでたい図像を
描いています、北斎一門が手がけためでたい作品が展示されました

開館から1周年、まるごと福づくしのおめでたい北斎展です

 

北斎家の一間  前回紹介できなかった北斎の居間の再現です

 

北斎の筆を持つ手が時々動きます、リアルすぎて薄暗い部屋ですからちょっとドキッとします

 

娘のお栄(阿栄)(雅号は応為)晩年は北斎と起居を共にしていました。

父親譲りの画才で特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代作をしたとも
いわれる。
北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と語ったとも伝えられる。

「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、
そのまま号としたとも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と
大津絵節から取って呼んだからという説や、あるいは北斎の雅号の一つ
「為一」にあやかり、「為一に応ずる」に意を込めて「応為」と号した
とする説もあるそうです。

応為の性格は父の北斎に似る面が多く、やや慎みに欠いたという。
男のような気質で任侠風を好み、また衣食の貧しさを苦にすることは
なかったといわれる。

応為は北斎に似ていたが、ただ煙草と酒を好んだという。ある日、
北斎の描いていた絵の上にキセルからたばこの火種を落としたことがあり、
これを大変後悔して一旦禁煙したものの、しばらくしてまた元に戻って
しまったという。(北斎の弟子露木為一の証言による)

北斎親子は魅力的です。

 

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特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」

楽しみにしていた特別展です、金曜日の夕方出かけました。

 

仁和寺と御室派寺院の秘仏や本尊など66体を集める特別展。通常は非公開の傑作の数々に
会える千載一遇の好機と知り楽しみにしていました

 

不動明王座像 広島大聖院の重要文化財

大阪「道明寺」 秘仏ご本尊「十一面観音菩薩立像」
国宝で月に2度の御開帳

国宝 「薬師如来坐像」非公開の秘仏 京都仁和寺
像高12㎝白檀を精緻に彫刻し、金箔で細やかな文様を施してあります

国宝 蒔絵冊子箱 京都「仁和寺」の国宝
極楽の鳥があでやかな文様の美しい箱でした

馬頭観音菩薩坐像 福井「中山寺」のご本尊は秘仏で33年に一度の
ご開帳  重要文化財

秘仏ご本尊「如意輪観音菩薩坐像」 兵庫「神呪寺」(かんのうじ)
年に一度のご開帳

「降三世明王立像」は福井妙通寺 寺外初公開の重要文化財

 

国宝 「孔雀明王像」 京都仁和寺蔵

密教修法の孔雀教法を修する際の本尊画像、貴重な仏画です

 

 

千の手を持つただひとつの観音さまが、江戸時代の出開帳以来初めて東京へお出ましです

 

千手観音信仰は8世紀前半に日本に伝わった。
無限を意味する千本の手が衆生を救済するのです。

 

大阪 葛井寺の秘仏 千手観音菩薩坐像 (国宝)
お厨子に安置されているため、ご開帳の時にも見ることがかなわない、
様々な角度からの千手観音様のお姿を見せていただけました

孔雀の羽のように広がる大小合わせて1041本の手を持ち

大小11のお顔を持ちます

手一つ一つに眼が描かれています

千の手、千の目、11のお顔を持つ現存最古の千手観音像です。

 

西国33所、第5番札所である葛井寺のご本尊で、天平彫刻最高傑作の
一つ、優美な表情、均整の取れた体や衣は、究極の天平美です。

 

 

 

僧侶の修行道場のため通常非公開の仁和寺観音堂内部を、約370年
ぶりの観音堂改修工事を記念して特別再現され、撮影可能エリアとして
大人気でした。

 

観音堂内に実際に安置されている仏像33体

壁画も再現し、一般には触れることのできない堂内の厳かな空気も体感できました。

 

 

真言宗御室派総本山の仁和寺 仁和4年(888)に宇多天皇が創建
全国に約790寺の総本山で、貴重な寺宝が多く伝わります。

 

仁和寺が所蔵する名宝と、御室派寺院の宝物を一堂に集めた展覧会を
ゆっくり見物出来て心休まるひと時でした。

 

国立博物館の開館は午後5時までですが、金曜、土曜日は午後9時まで公開しています。

 

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すみだ北斎美術館

10月にしては記録的な雨が続き、気分転換に大江戸線両国駅「江戸東京博物館」前の
地下鉄出口を出て北斎通りを5分ほど歩いた「すみだ北斎美術館」に出かけました

ちょっと驚いた外観でした、1年前の11月に開館、行きたいと思っていた美術館です

右手に回るとこんな切れ込みのようなふしぎな感じのところがありました

そして正面入り口はこちら、明るい館内です

窓も三角

パフォーマー北斎に興味津々

現代のイベントですがモニター映像で大ダルマの様子が分かりました

 

最後に100倍速で全貌を見ました

江戸と名古屋の北斎の大パフォーマンス

江戸と名古屋を駆ける?

「北斎大画即書引札」

今から200年前の文化14年(1817年)葛飾北斎は名古屋城下の活況を利用しつつ、
自身の「北斎漫画」宣伝のため、120畳大の紙を使って達磨を描くパフォーマンスを
開催したのだそうです

名古屋にさきがけて江戸でもダルマや布袋や馬など大きな絵、米粒に雀2羽の極小画の
製作したことなども伝えられています。

浮世絵だけでなくパフォーマーとしても活躍した北斎、多くの人が行きかい活気を呈した江戸、
名古屋などの都市でこのようなパフォーマンスが多く行われたそうです。

「パフォーマー北斎」を始めて知り、思いがけない北斎に出会った感じでした。

 

「北斎漫画」十四編 「駱駝」

「北斎漫画」十二編

 

左ページの中央、本を読んでいる男性、こんな姿で北斎が背中に布団をかけて一心に絵を
描く人形が飾られています、時々筆が動いてびっくりしました、傍らに娘お栄(後の応為)が
キセルを持って見守っています。

北斎漫画

 

「百物語 さらやしき」

「新版浮世両国橋夕涼花見見物之図」 大判錦絵

 

 

富嶽三十六景 「神奈川沖浪裏」

「凱風快晴」

「山下白雨」

尾州不二見原

 

最近葛飾北斎の話題をよく耳にします。
アメリカの有名雑誌が選定した「この千年でもっとも重要な功績を残した100人」
日本人として唯一選ばれたのが「葛飾北斎」だったとか。

 

 

美術館は公園内です

この日スカイツリーは上部が雲に隠れていたりでした

公園の一角に生誕地の案内板、この近くだったようです。

葛飾北斎は生涯に30余りの名を名乗り、最初の名前が時太郎、6歳のときから絵を描きだし
北斎の絵との付き合いは84年にもなります。

 

家から遠くない美術館、オープンして1年も出かけなかったのはもったいなかったと
感じた日でした。

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ディズニー・アート展

同世代で小さい頃からデイズニーを楽しんでいた友人のTeiさんと出かけました。

 

1928年ウオルト・ディズニーは

「蒸気船ウイリー」を公開、1枚の絵に命を吹き込む魔法の歴史はここから始まりました。

「ピノキオ」は1940年の作品

描かれている絵が動いて見えるパラパラ漫画、アニメーションのルーツはそんな素朴な
喜びから始まりました。

どんなキャラクターも始めは話すことも動くことも出来ません、しかしピノキオが魔法をかけられ
「いのち」を宿すようにキャラクターたちは数々の魔法により命を吹き込まれ、ある日突然
いきいきと動き出すのです。

「バンビ」は1942年

「ファンタジァ」「ダンボ」「ラテンアメリカの旅」などが1940年代の作品です。
日本で公開されたのはずっと後ですが、いきいきと動く動物たちのしぐさが本当に可愛かった。

 

1950年代に入ると「ふしぎの国のアリス」「わんわん物語」「眠れる森の美女」などの名作を
生み出します。

 

「リトルマーメイド」 1989年

「リトルマーメイド」をきっかけにディズニーアニメーションは2度目の黄金時代をむかえます。

1990年代には「美女と野獣」「ライオンキング」「ポカホンタス」「ムーラン」その他多くの
作品が公開されました。

この頃よりCGをはじめとしたデジタル技術を徐々に取り入れデジタルならではの表現を
追求してゆきます。

 

「アナと雪の女王」 2013年

「ベイマックス」 2014年

ベイマックスの顔は日本の神社で見かけた鈴から生まれたと聞いたのを思い出しました。

「モアナと伝説の海」 2016年

ミッキーマウスの誕生から「モアナと伝説の海」まで約90年分の原画が公開され
そのほとんどが日本初上陸でした。

手書きの原画やスケッチが世の中に公開されることは珍しいことなのです。

 

 

こちらはミュージアムショップ  (写真OKでした)

ダンボも可愛かった、ミッキーマウスは初期の頃とだいぶ顔が変わりました。

こちらも行列で、少しだけ待ちました。

 

私にはディズニーのいちばんの思い出は子供の頃に見た映画、それは夢のよう。
1世紀近い間、世界中の人々に愛さるディズニーは、懐かしさいっぱいでした。

 

 

会場の「日本科学未来館」には始めて行きました。

 

こちらは地球について最新の科学データやツールとともに考えるゾーンのようです

解説とともに地球が映し出されます

美しい色の地球

日本列島が見えました。

1階からの見物でしたが、寝そべって見られるソファーなどもありました。

 

「日本科学未来」こちらではアクティビティーやドームシアターなども楽しめるようです。

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奈良博物館 「正倉院展」

奈良で楽しみだった「正倉院展」、以前3回ほど見たことがありますが、久しぶりの奈良博物館です。
9時開始でしたが8時15分に着いたときにはこんな光景になっていました、この列はチケットを持った
人の列で、入手してなかったことを後悔しました。

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当日券を買う人の列は別です、チケットの販売は8時半でした、どんどん列が長くなるのを見ながら
別のところに並んでいました。

 

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古都奈良の秋の風物詩となりつつある「正倉院展」は、今年で68回目です。
東大寺の近くのある「正倉院」では奈良時代(8世紀)の聖武天皇ゆかりの
品など約9000件の宝物が守り伝えられてきました。
今回の展示物を少し紹介します。

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「板締め染の屏風」木下で岩に乗り振り返っている尾長鳥が表わされています
これは2枚の板に図柄を彫り、布地を挟んで染料を注ぎ染めたもの、同様に
染めたもう一枚の布地を裏返して、2扇で対象のデザインになっています。
聖武天皇が身近に飾っていたものと思われます。
2扇とも縦148.7cm、横53.7cm

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「大幡残欠」 大型の染色幡(部分)
聖武天皇が亡くなった翌年の757年、東大寺で営まれた一周忌斎会で懸吊された大幡です、
全長13~15m、大仏の高さと同じぐらいと推測され、多数の幡が華やかに飾ったと考えられる。

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「銀平脱龍船墨斗」 象嵌装飾の墨壺 墨壺は木材に直線を引くのに用いる道具です。
この宝物は龍の頭部がついた船に似るため名がつきました、木製で豪華な装飾が施され、
建築の儀式で使われたと思われます。

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「献物箱」 仏・菩薩への献納品を納めて仏前に進めるのに使用したと考えられる箱を「献物箱」という
本品はクスノキ材製で蓋の側面が身の側面と同一となる印籠蓋造の箱。

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「粉地金銀絵八角長几」(ふんじきんぎんえのはっかくちょうき) 献物用の台、仏・菩薩捧げる献物を
載せた木製の台、花をイメージした長八陵形の台、天板に華足と呼ばれる植物をかたどった足を取り
付けている、天板の上面は縁を白く塗り中央は緑青を重ねて淡緑色としている、美しい小型の台でした。

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「漆胡瓶」(しっこへい)今回の正倉院展でいちばん話題の宝物、ペルシャ風水差しです。
丸く張った胴部に鳥の頭と思われる注口をのせすそ広がりの台脚と湾曲する把手を据えた水瓶
テープ状にした木の薄板を巻き上げる巻胎技法によって素地を形成し全体に黒漆を塗ります。

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黒漆塗りに透かした銀板を張る技法で山岳や鹿、オシドリや草花を表わしている文様は、中国・唐で
製作されたとみられ、シルクロードの東西交流を物語る名品としてよく知られています。
(18年ぶりの展示です)

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もう1点印象に残った宝物は「牙の櫛」 高価な板状の象牙を使った櫛ですが、長さ10cmに124本の
細かい歯を作る高い技術が用いられ、中国からの輸入品と考えられます。(三点展示)
どんな貴婦人が髪を梳いたのでしょうか、などと想像してしまいました。

 

 

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博物館の庭に面した休憩所でお抹茶が頂けました

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奈良時代の文化と暮らしを伝える幅広い宝物を見物し、少し興奮気味の気持ちが落ち着きました。

 

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外に出るとまだ長い列ができていました。

 

 

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奈良公園ではおなじみの鹿にも出会いました

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外国からの客さんも多く見かけました

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修学旅行で奈良を訪れたことも思い出します。  後方の鳥居は春日大社の一の鳥居でしょうか。

 

奈良公園はもう少し散策したかったです。

 

 

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「カラヴァッジョ」展

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (1571-1610) 38歳で没し、現存する真筆は60点と
言われており、その中には移動不可能な作品も多数あります。 傑作11点が集結しました。

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風俗画: 「女占い師」  身分の差のある女性が男の手相を占うすきに指輪を抜き取る様子が
描かれている。

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風俗画:五感 「トカゲに噛まれる少年」

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「ナルキッソス」  水溜りに写った自分の姿に見入る少年

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静物: 「果物か籠を持つ少年」

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静物 「バッカス」

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聖母と聖人の新たな図像  「法悦のマグダラのマリア」

カラバッジョが殺人を犯してローマを逃亡し、身を隠していたときに描かれたもの、
2014年長いこと行方不明だったこの作品が”カラバッジョ真筆”と認定されて
世界で始めて公開されました。

 

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「日本、イタリア国交樹立150年記念の特別展」

バロック絵画の創始者の一人であり、イタリアが誇る大画家です。
生来の激しい気性から諍いが絶えなかった波乱の生涯でした。

 

「カラバジェスキ」の作品も多数展示されました。
カラバジェスキとはカラヴァッジョの画法を模倣し、継承した同時代及び次世代の
画家たちの総称。
彼らの多くはカラヴァッジョ本人を直接知らなくて作品の魅力に引き寄せられて
その画法を学び新たに発展させました。
特に1610-20年代のローマにはヨーロッパ各国の若手画家が集まり
ひとつの芸術運動(カラヴァシズム)を成しました、そして彼らが各地に
離散するとともにカラヴァッジョの芸術も広く波及していったのです。

 

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思い出の場所「愛宕山」

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息子夫婦と待ち合わせたのは麻布のロシア大使館前

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「大琥珀展」は招待者のみだそうでした、ロシアは確かよい琥珀の生産地でした

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ビザ申請などの入り口はこちらです

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こちらが窓口、私が用事があったわけでなく、旅行社を経営している息子がお客さんのビザを取りに
きたのでした。
この辺りは息子が通っていた小学校にも近く、いつもこの前を通っていた懐かしいところですが、
入るのは始めてです、ここで待ち合わせしました。

用事を終えて神谷町辺りまで散策、昔のお店はほとんど見当たらず、ビル街になっています。

 

メトロ神谷町近くのアイスクリーム店は近くに住んでいたころからありました、街の様子が変わった中、
残っていた懐かしいお店です。

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アイスクリームを製造しているところで、当時から買うことは出来ました

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こんなに種類はありませんでした、この方知った人の様な気がします、聞いてみればよかった

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マロンと苺のアイスクリーム、とても美味しかった

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まわりがビルだらけになってしまった中、見覚えのある家を見つけました

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この愛宕山のトンネル入り口の数軒手前に15年住んでいました、私が小さい頃も住み、その後祖母が
住んでいたので よく行きました (こちらのマンションではありません)

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家の2階の窓からこの先に東京タワーがすぐ近くに見えました

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愛宕山のトンネル、夜熱を出した子供を毛布に包んでトンネルの先の慈恵医大病院に
走ったこともありました、とても懐かしいところです

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トンネルの手前に裏階段があります、当時は小さな階段でした

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愛宕山は昔から桜の名所でした、東京に開花宣言は出されましたがまだ肌寒い日で、咲いているのは
早咲きの桜でした

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愛宕山は東京23区内としては最高峰なんです。  何しろ江戸時代から信仰と山頂から江戸市街の
眺めは景観の素晴らしさで有名な場所だったのです

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お嫁さんが作ってきてくれたおにぎりを懐かしく、美味しく頂きました

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「NHK放送博物館」 息子にも懐かしい場所、子供の頃から良く通ったようです

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久しぶりの見学です、放送の歴史を彩ったマイクやカメラなど放送機器も展示されています

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こちらは放送体験スタジオ、ここに立つと実際に自分がモニターに映ります

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ジオラマは昭和の光景でしょうか

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懐かしい大河ドラマもありました

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「チョー気持ちいい!」金メダルを取ったときのこのセリフはチョー有名になりましたね

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この映像も印象的でした

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広い館内で懐かしい展示物も多く楽しめる博物館でした。

 

 

 

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愛宕神社 徳川家康の命で祀られた神社であり、「天下取りの神社」「勝利の神社」としても
知られ、桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士たちもここで必勝を祈願してから
桜田門に向かったと言われています

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小さな神社や

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池もありすが、私がすぐ近くに住んでいたころとはちょっと様子が変わっています

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この階段通称「女段、女坂」はほとんど変わっていません

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そしてこちらが「男段」といっていましたが

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「出世階段」とも言われるようですね。

江戸の時代(1634年)徳川家光が増上寺参拝の帰り道に、山に梅が咲いて
いるのを見て「梅の枝を馬で取ってくるものはいないか」と言ったところ讃岐
丸亀藩の家臣曲垣平九郎が駆け上がり枝をとってくるのに成功した。
以後馬術の名人として全国にその名を轟かせたという逸話からきている。

その後成功例は3例だそうです。

 

私の体調的に2人に夜までお付き合いできず、愛宕下からバスで日比谷
公園や馬場先門などを通り東京駅でバスを乗り換えて帰宅しました。
港区の愛宕山は私には本当に懐かしく思いで多いところです。

(3月30日 撮影)