しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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新潟 「新発田」 散策

村上駅から乗車して新発田駅(しばた)に着いたのは午後2時近く、まったく知らない町なので
とりあえず駅構内の観光案内所に行きました。
3時間ほどあるなら主なところが回れると聞きすぐ出発です。

 

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旧二の丸隅櫓(やぐら)

観光案内所で教えてもらったとおりにタクシーで新発田城に向かいお城の表門を通り越してまず濠の
外から外観を眺めました、確かにすぐ中に入ってしまったらこの景色は見られなかったわけです、でも
後で気が付きました、もう少し先まで行けばもうひとつの櫓(三階櫓)が見られたのです

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新発田藩 初代藩主溝口秀勝は、慶長三年(1598)豊臣秀吉の命により6万石を与えられ、加賀国
大聖寺から新発田に入封、関が原の戦いでは徳川方に付いた外様大名です

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辰巳櫓

入封当時の藩領は沼などの多い未開墾地でしたが、歴代藩主が河川改修や干拓など治水と新田開発に
務めた結果、美田の広がる蒲原平野へと生まれ変わりました

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表門

表門と旧二の丸隅櫓は、新潟県内で唯一、江戸時代から現存する城郭建造物です
表門は二階建ての櫓門で、二階の正面に敵を攻撃するための「石落し」という仕掛けがあります
腰壁は瓦張りで、白と黒が美しい海鼠壁で仕上げられています

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新発田城は入封から56年後の三代宣直の時に完成しています

 

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表門の中に入れました

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城の構えは本丸を二の丸が取り囲み、三の丸が突き出た変形の平城で、三方が湿地でした

 

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新発田城は舟のような形をしているため「舟形城」、周囲の湿地にアヤメが
咲いていたことから「菖蒲城」ともばれていました

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三階櫓は事実上天守に相当する櫓ですが、幕府や新藩に遠慮して天守という
名称は用いず、「三階櫓」とか「御三階櫓」と呼びました(平成16年完成)

三階櫓が見えましたが自衛隊駐屯地の中で櫓には入れないといわれました
この櫓が旧二の丸隅櫓の先に濠の外から見えた櫓でした

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辰巳櫓  表門に向かって辰巳の位置にあり、かつて赤穂義士堀部安兵衛の父が管理責任者で、櫓の
焼失の責任をとって浪人となりました、その後安兵衛は家名再興のため江戸に出て高田馬場のあだ討
によって名を遂げました(平成16年に復元)

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櫓の内部はまだ木の香がするような感じでした

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美観を重視した石垣は寛文9年(1669)の大地震で石垣の大半が崩れ、
翌年から積み直しが行われ前面の石を整形し隙間なく積む当時の最高技術
「切込はぎ」に変わりました、積み直しに江戸から石工職人を呼んだと伝わります

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「堀部安兵衛像」  新発田の出身とは知りませんでした
義士堀部安兵衛生誕の地の石碑もありました

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新発田城は明治2年(1869)版籍を奉還し、同4年の廃藩置県により、12代、274年にわたる
歴史を閉じました
江戸時代外様大名でありながら、移封がなかったことは注目すべきだそうです

新発田城をあとにして、駅に向かい地図を片手に新発田の町歩きをします

 

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少し路に迷いましたが地元の人に聞きながら着いたこの建物は

 

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蕗谷虹児記念館 蕗谷家から寄贈された原画、直筆原稿、書籍、印刷物など
の資料が展示されています、開館は昭和62年

新発田市生まれ、13歳で母を亡くし14歳で同郷の日本画家の内弟子となり
上京、21歳で竹久夢二の紹介で、「少女画報」に虹児の筆名で挿絵を描いて
デビュー、パリ留学後モダンな画風で一世を風靡する。

 

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50円切手の原画 「花嫁」(1968年)が展示されていました

花嫁人形

金襴緞子の帯しめながら  花嫁御寮はなぜ泣くのだろう
文金島田に髪結ひながら  花嫁御寮はなぜ泣くのだろう

この絵の前にルーペが置かれていました、それは花嫁の左頬に
小さな涙が描かれているのですが肉眼では見えない人の
ためでした。
(手持ちの切手には涙が見えませんでした)

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「花嫁人形」

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「キューピットを飼ふひと」

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「うたたね」

どの絵も可愛くて、ポストカードと一筆箋を買いました

 

町歩きを続けます

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寺町エリアに立派な山門が見えたので見せていただきました

 

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こちらは新発田藩主溝口家の菩提寺「宝光寺」の山門でした、均整のとれた入母屋造り二重門です

 

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経堂

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本堂

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回廊

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寺町エリアは風情ある水路のある路でした

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寺町通りから大通りに出ると地図に載っている和菓子屋、菊谷さんというお店を見つけ立ち寄り、
こちらの名物など少し買い、新発田駅に向かって歩き、10分ぐらいでしょうか駅に到着しました。

あとで気が付いたら新発田駅の写真がありませんでした、新潟からの新幹線の時間は決めていません
でしたが、朝から村上の町を散策、午後になって決めた新発田の町も散策して盛りだくさんの一日で
よく歩き、さすがに少し疲れました。

10月22日から25日まで横手で2泊、村上で1泊、晴天に恵まれ、秋を満喫した楽しい4日間でした。

 

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新潟 「村上」散策

横手の旅の帰りに立ち寄ったのは、いつも素通りしてちょっと気になっていた新潟県村上市、
よい機会なので下車してみることにしました。

 

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横手を朝出発して、秋田で特急に乗り換えこの日の目的地村上に向かいました

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秋田から新潟は何度か乗ったことのある日本海沿いの景色のよい路線です  特急「いなほ」

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村上は鮭でも知られた城下町、ちょっと楽しみです

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ある程度は調べて歩くコースを決めていましたし、食事どころも息子に数件検索してもらってあるので
荷物を置くとすぐ出発、まずは腹ごしらえ、やっぱり海の幸が魅力です

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海鮮丼はどこから手をつければよいか迷うほどの種類豊富でした、お店は賑やかで混んでました
鮭定食と迷いましたが、海鮮丼も正解でした、「一心」という美味しいお酒が飲めそうなお店です
(あとで村上には百を越える鮭料理があると知りました)

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歩いてゆけそうなので、地図をみながら村上の町の散策です

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小国町、大町あたりに歴史ある民家が見られます

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静かでのんびり散策できました

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お寺さんも多いようです、こちらは久遠山「妙法寺」日蓮宗のお寺さん

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こちらは浄土宗のお寺さん

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堀氏が城下町拡張の際戦略上ここに寺を集めたと記されていました

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軒下に杉玉が下がるこちらは造り酒屋さんでしょうか

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大町は村上城の大手門前の町  寛文五年(1665)の文書には当町には
11軒の造り酒屋見える、大町の由来は城下の中心的な繁華な町の意を
込めたものと書かれてます

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塩引き鮭を作っているお店「喜っ川」です

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「1年がかりで乾燥させて造る越後村上が生んだ味の芸術品」と記されていました

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下がっているのは雄鮭ばかり

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”この角度で撮ると鮭がいっぱい撮れます” と教えていただきました、確かに すごい!

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日本酒好きには喜ばれそうな鮭の酒びたしを買いました

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写真を撮ってからどこかで見た覚えがあるのに気がつきました、

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これです!  吉永小百合さん JRの雑誌でした

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「喜っ川」のななめ向かいには「大町文庫」こちらも軒下に干し柿が下がる風情ある建物です

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村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)など散策のあと、その近くにある東日本では数少ない中級武士の
武家住宅「若林家」(重文)に立ち寄りました

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囲炉裏の煮物は写真を見るといただいてもよかったのかもと気づきましたが通過してしまいました

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若林家は村上藩では物頭役150石で中級上位の家柄

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曲家造りの茅葺平屋、典型的な中級武家住宅だそうです

 

 

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午後4時閉館の「大洋酒造」和水蔵(なごみ)に間に合いました

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酒造りの道具や酒器、村上の町屋文化を伝える展示です

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こちらでしか飲めない原酒試飲に多くの方がいらしたので遠慮したのですが、
ひどい写真でした、私も味見をさせていただきお土産に買いました。
その場で原酒を瓶に詰めてもらえるのも人気でした。

最近少し飲めるようになったお酒、試飲でふわっといい気持ちになり散策しながら宿に戻りました
この夜はホテル内のお店で、のどぐろの塩焼きと酢の物で新潟のお酒を少しいただきました。
お腹が空いてなかったので夕食はこれだけ、外で1人でお酒を飲んだのは初めてでした。

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翌朝も青空に恵まれて村上散策の続きです、駅前から市内を回るバスで出発

 

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鮭の博物館「イヨボヤ会館」 イヨは魚を意味する古語、イヨ、イヨボヤは鮭のこと、生粋の村上生まれ、
村上育ちの人は、鮭のことをサケ、シャケとは決して呼びません、イヨ、イヨボヤさらに訛ってヨ、ヨーボヤ
と呼ぶそうです、村上では”魚”といえば鮭を指しています

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鮭が生まれた川に戻る習性に着目し、世界で初めて自然保護養殖のための「種川」(江戸時代に
作られた人工河川)を完成させ、村上藩の財政に大きく貢献し、村上藩の鮭文化の基礎を築きました

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「三面川」(みおもてがわ)の種川は鮭の産卵ふ化を容易にする保護河川、カナダで行われている
ふ化事業の140年も前に、ここ村上で生まれた画期的な増殖技術でありました。

運がよければ産卵風景画見られるとの解説に暫く観察、雌が尾びれで底を掘る仕草に、雄はさかんに
体を寄せて産卵を促す行動は見られましたが、実際に産卵は見られませんでした

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ガラス越しに川の中と水面が見られます

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産卵場面は見られませんでしたが、ちょっと神秘的でした

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建物裏の三面川中州公園に出てみました

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広い公園の木々は色づきこでも秋たけなわの景色です

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サーモンパーク 鮭公園だそうです

会館には三面川の秋の風物詩の一つサケ漁川船や漁具や漁法なども展示されていました

 

 

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村上での調べてあった食事どころが会館のすぐ近くだったので
早めのランチにしました ”ゆるり”というお店

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村上のもうひとつの特産品村上牛そして鮭とハラコ、両方食べられるセットを選びました
両方とも美味しくて満足ランチでした

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外に出てびっくり早い時間で正解、こんな行列ができていました

 

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村上は駅構内にも鮭、でもこの鮭のことがよく理解できた村上の町散策でした。

私はもともと魚は嫌いなものも多く、あまり好みではありませんが、鮭は好きです。
村上で買ってきた塩引き鮭は新米と食べましたがご飯が進む美味しさでした。

 

早い時間に村上を出発することになり、このまま新潟に出て帰るのには早すぎるし、旅のプロの
息子に相談した結果もう1箇所立ち寄れそうということになり、新発田で下車することにしました。

 

 

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イタリア語教室

今年4月から九段のイタリア文化会館に通い始めました。
若いころからイタリア映画や文化が好きでした、数十年前に一度イタリア語の
勉強に通い始めたことがありましたが、文法と会話のコースで続かなかったのです。

今回は初歩のコースに入りました、ついてゆけるかしらと心配でしたが今が勉強
する時期だったのでしょうか楽しく通っています。

 

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イタリア文化会館

日本におけるイタリア文化の普及と日伊文化交流を目的として活動しています
2005年に全面的に建て替えられた文化会館の建物はイタリアの建築家に
よるものでしたが、完成当時は建物の色に賛否両論で話題になりました

 

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九段下駅から靖国通りの坂を上がり、靖国神社前、九段坂上を左折して
内掘通りを少し下ると左手が文化会館ですが、そのまま行くと千鳥ヶ淵

 

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2階の赤い扉が少人数の教室です、他にも図書館やギャラリー、イベント会場
などがあります

 

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自習もできる休憩室、いろいろな資料や案内パンフレットなどが揃っています

 

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Chiala先生   可愛い先生です
4月に10名で授業が始まりましたが、火曜午後という時間が無理で他の時間に移った人もいて
春季の10週が終わり、次の夏期の授業が始まると同級生は4人になりました

語学が苦手だった私が授業が楽しくて続いています、覚えるのに時間がかかる年齢にもなっていますが、
分からなくて恥ずかしいおもいをしても、冷や汗をかいても週に1度90分の授業が楽しみなのです

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Simona先生 ファッショナブルな先生です
Chiala先生が夏にミラノ近くの故郷に帰らて、夏期の10週はSimona先生でした、日本語は話せますが、
授業中はほとんど使いません、日本語での質問には答えていただけます
最初の授業のころ 「compiti」 が宿題ということも知らずに、急いで辞書で調べたのも思い出です

 

そして10月からの秋期授業はChiala 先生に戻りまし、最初の10週の時のお仲間が1人戻りましたが
写真を撮った日はお休みでした。

秋期授業はあと2週、1月からの冬季授業の申し込みもして、同じメンバーでの授業になりそうです。
よい先生と、よいお仲間に恵まれて今のところは何んとか楽しんでします。

Hisakoさん Minakoさん Tomoさんこれからもよろしくお願いします。

 

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両国回向院  「地福寺」出開帳

あの大震災から3年・・・

東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市「地福寺」のお地蔵さん(本尊延命地蔵菩薩坐像)に
回向院(えこういん)にお越しいただき、亡くなられた多くの方々のご供養と被災地の復興を祈ります。

「平成の出開帳」は昨年5月の信州善光寺の出開帳に続き、2回目になります。
「お地蔵さんとの結縁により復興の光」を届けたいという想いをこめて、”復”幸”支”縁”として収益を
すべて被災地支援に充てます。

 

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出開帳は、普段拝むことの出来ない寺院の本尊などにお越しいただき、一定期間参拝できるようにする
行事で、江戸時代は回向院で度々開催されていました。
安永7年(1778)の善光寺出開帳では60日間で1603万人の参詣があったと云われています。

今回お越しいただく地福寺は、宮城県気仙沼市波路上に位置し、東日本大震災で津波にのまれました。
(回向院パンフレットより)

 

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23日の午後2時から節語り説法ユニットのカッサパ(三迦葉)説法ライブが
始まるところで見せていただきました

 

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合言葉は「めげない、にげない、くじけない」

 

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国際的ジャズドラマーのパイソン片山(右)の実兄・片山秀光和尚(中央)率いる歌と語りの説法グループ
「KASSAPA」

 

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故郷の人々を励まし続け、被災された人々をいつくしみ一日も早い復興をとの
想いを世に発信してゆかなければと活動を再開したのだそうです

 

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禅の教えを元にした法話と音楽で、被災地の現実を語り歌う「語り部」として全国行脚を続けています

「地福寺」の片山ご住職は演奏やコーラスをバックに迫力ある声を聞かせてくれました、左側の男性は
津軽三味線の名手だそうで演奏も歌も素晴らしかったです。

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震災時に地福寺のご住職はすぐ近くにあった中学校に避難しましたが、寺は海岸から800mのところ
津波などでほぼ全壊、がれきだらけになった寺から地蔵尊を見つけ出し、大事に背負って市内の親戚
宅へ行ったそうです。
ライブの中で ”新聞には背負ってと書いてあったけど本当は抱いてです” と茶目っ気たっぷりに
話されていました。
ライブは演奏をバックに般若心経で始まり、会場の人たちの手拍子で和やかに終わりました。

今回出開帳を行うことになったのは、この地福寺のお地蔵さんです、津波でも頑張って生き抜いた
お地蔵さんは、ご住職の言われるようにイケメン、お地蔵さんの前には気仙沼の砂が敷かれてその
上からお参りさせていただきました。

 

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ちなみに「KASSAPA」とは釈迦の弟子となった三人の(迦葉)カッサパ兄弟の
ことだそうです。

 

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地福寺のお地蔵様にお参りをして、お前立ちの延命地蔵尊に触れることが出来て
「延命地蔵菩薩」結縁之証を頂きました

 

(こちらの軒に下がる大きなお数珠は、スワロフスキーで108つのお数珠からなり
たくさん下がっています、大きな一粒にはそれぞれ異なった仏様が彫られている
美しいものです)

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両国回向院の「地福寺」出開帳は本日11月24日まででした。

 

 

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会津の旅 「鬼平江戸処」

会津の旅の帰り道、義弟Ikuさんにサプライズがあるといわれて
楽しみにしていました。
会津鶴ヶ城を出発して、何ヵ所かのサービスエリアに立ち寄り、
ここが最後の寄り道という場所に着いた時はあたりが暗く
なっていました。

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それは羽生PA(パーキングエリア)でした

何か雰囲気が違います、薄暗いのです

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江戸の町並みのように見えます!

 

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そこは「鬼平江戸処」でした  驚きましたPAにこんなところがあるなんて・・

そしてポスターの鬼平の絵は池波氏直筆です、見覚えがあります

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江戸好き、池波氏好きとしては申し分ない雰囲気です、そのコンセプトは「温故知新」とか

 

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それにしても何故栃木から埼玉に入ったばかりの羽生で江戸なのか?

東北自動車道は江戸時代の日光街道~奥州街道の現代版、羽生PAのそばにある栗橋には江戸時代
栗橋関所があり江戸の入口として「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まっていたのです

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そこで羽生PA(上り線)をお江戸への入口と見立て、古き良き時代の江戸へタイムスリップしてもらおうと
考えたそうです

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「五鉄」  鬼平犯科帳に出てくるお店と同じです、軍鶏鍋屋で鬼平の密偵たちの連絡場所

 

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人情味溢れる男の代表として池波正太郎氏の代表作「鬼平犯科帳」の鬼平こと
長谷川平蔵に着目して生まれ、1745年から江戸庶民が最も華やいだ文化文政
時代の終わり、1829年までの江戸を想定しておもてなしをすることになったそうです

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江戸の伝統と技を継承している老舗店舗を結集しているそうです、ちなみに五鉄の軍鶏鍋は人形町
「玉ひで」の提供、そば処は「神田まつや」監修、中華そばは日本橋「たいめいけん」監修、などなど、
久寿餅の「船橋屋」も出店していました

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代表的な日除け地(広小路)、両国広小路の屋台の連なりを再現しているのだそうです。

池波正太郎生誕90年にあたる2013年12月にリニューアルオープンしたようですが、
まったく知りませんでした、思いがけないサプライズでした。

Ikuさんいろいろありがとうございました、思い出に残る会津の旅でした。

 

 

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会津 「鶴ヶ城」

五色沼を見物したあと、鶴ヶ城を見に行くことにしました。

 

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お濠も美しく色づいていました

 

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もみじも色鮮やかです

 

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廊下橋を渡ります、天守閣が見えています

 

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鶴ヶ城は桜の名所です、桜の木も美しい色に染まっていました

 

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幕末の戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われました。
鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てました。

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展示してある武器を見ると大河ドラマを思い出します

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戊辰戦争後天守閣は政府の命令により取壊されました、天守閣が復元されたのは昭和40年のことです

 

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天守閣に上がってみました、オレンジ色に染まっているのは桜

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会津若松の町並みが見渡せます

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会津磐梯山がくっきり見えました

 

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鳥居は鶴ヶ城稲荷、銀杏も見ごろでした

 

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「茶室麟閣」 千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。このとき千利休の茶道が途絶える
ことを惜しんだ会津の領主蒲生氏郷は、利休の子の小庵を会津に匿い「千家再興を」を願い出ました

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この結果小庵は京都に帰り、千家茶道は小庵の子「宗旦」に引き継がれ、その孫により武者小路家、
表千家、裏千家の三千家が興され現在に伝えられています

この「麟閣」は小庵が会津に匿われていた時、氏郷のために造ったと伝えられています

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南走長屋は干飯櫓に続きます、干飯櫓は城内にあった11棟の櫓(やぐら)の中で一番大きかった櫓です、
文字通り「食料庫」であったと思われるそうです (復元されたもの)

 

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天守閣はこちらが正面でしょうか

 

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南走長屋の途中の鉄門

 

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見る角度で表情が変わります

 

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赤い色がピンクに変わる桜の時期も美しいことでしょう

 

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会津城下の生みの親は蒲生氏郷(がもううじさと) 統治はわずか4年でしたが地名を若松に改め、
城下町の基礎を作り、今よりも高い七層の鶴ヶ城を築きました

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「武者走り」 この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓などへ簡単に「昇り」「降り」
出来るように造られています。
V字型に作られて「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城の石垣の特色のひとつです

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神社のところは銀杏ともみじの競演でした

 

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石垣に這う蔦も色づきます

 

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階段を上ってみました

 

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もみじの紅葉がひと際美しかった

 

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要衝の地、会津は何代もの領主や藩主によって治められました

 

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この季節に行くのは初めてです

 

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美しい濠でした

 

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桜ともみじのコントラスト、そして石垣と緑と青空、最高の会津城散策になりました

 

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二の丸を通過して

 

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会津城をあとにしました。

 

会津若松を訪れるのは3回目ですが、いづれも違う季節で、前回は雪景色でした。
冬の只見線で小出(新潟)に出たときですが、豪雪地域を走る只見線は特に冬は雪に阻まれて、
会津若松から小出まで行ける日は限られていました。
小出まで直通は1日3本、13時半出発の列車で出発できるかが気になり、訪れていた鶴ヶ城から
駅に電話で確かめたことを思い出していました。

雪景色も美しかったですが、この日の紅葉の景色は見事、日時を選んでもなかなか見られない
美しい紅葉の鶴ヶ城は印象深いものになりました。

 

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裏磐梯 「五色沼」の紅葉

晴天に恵まれた朝、裏磐梯の五色沼を目指しました。

五色沼湖沼群は桧原湖南岸から東に伸びる3,6kmの自然探勝路の周りに点在する
大小30余りの湖沼からなります。

 

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1888(明治21)年の噴火の際生じた岩雪崩によるせきとめで誕生したそうです

 

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水の色が青く透明度が高い湖沼は美しく、紅葉の季節にも間に合いました

 

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湖の青に紅葉が映え、美しい景観に言葉もなく見入りました

 

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ふと見るとボートについて行くような鯉が目に入りました

 

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ボートのすぐそばに近づきます、女の子と会話しているように見え、なんだか鯉が湖の妖精のような
不思議な気がしました、美しい湖の色に惑わされたかしら・・・

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ここ毘沙門沼は五色沼最大の湖だそうです

 

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見えている山は会津磐梯山、このあたりが裏側になるのですね

 

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この湖からハイキングするような人たちが湖畔の道を出発して行きました。

 

ずっと以前から裏磐梯の五色沼の存在は知っていましたが、訪れるのは今回が初めてです。
紅葉と湖の美しいコントラストによい季節に連れてきてもらったと思いました。

 

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会津 「芦の牧温泉」

大内宿散策のあとはこの日の宿、会津市内の芦ノ牧温泉に到着

 

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渓流沿いの宿でした

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開放感のあるロビー

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ロビーの浮き舞台では三味線の演奏、川の流れるせせらぎの音と共に館内に優雅に流れています

 

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部屋からは美しい渓流の紅葉が目の前です

 

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夕食はビュッヘスタイルです

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和、洋、中華と揃っています、お風呂上りのビールと共にいただいた食事は
品数が多くて何を選ぶか迷うほどです

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お肉好きとしてはステーキを目の前で焼いてもらい、お代わりです

 

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和スゥイーツにアイスクリームを添えて、もちろんケーキも揃っていました

 

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季節の果物やアイスクリームなども豊富です

 

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広い厨房でした、右端炭火の台には殻付きエビの串焼き、ここは入り口の一部です

 

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朝の渓谷はひときは美しかった

 

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階段の下には渓流を眺めながら入れる露天風呂、のんびり朝風呂を楽しみました

 

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館内散策、広いロビーからも

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ロビーの喫茶室からも

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どこからでも渓流の紅葉が眺められます

 

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ガラス越しに覗くと山全体が美しく染まっていました

 

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吹き抜けのロビーは広々しています

 

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夕食と別のレストランで朝食です、ここでも品数豊富、朝風呂に散策で
お腹も程よく空き朝食もたくさんいただきました

 

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レストランからもこの眺め

 

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大川荘はこの景観が魅力です

 

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この日、朝最初の目的地は裏磐梯の五色沼です。

 

 

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会津の旅 「大内宿」

江戸時代好きとしては以前から行ってみたかった南会津の「大内宿」に妹夫婦に誘われ出かけました。
大内宿は会津城下と下野の国、日光今市を結ぶ宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。

 

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会津藩主の18回にも及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津と友好関係にあった米沢藩、
新発田藩なども頻繁に利用した重要な路線でした

山道を行くと開けたところに出て、平日でも多くの車が駐車していましたが、そこから数分歩いたところに
大内宿はありました

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宿場に入るとすぐIkuさんが下調べしていた蕎麦屋さんが見つかりましたが、お昼時間は過ぎていたのに
待ち時間は1時間ぐらいと言われて先に散策すろことにしました

 

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江戸時代の面影を今日そのまま残した貴重な村です

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撮影のようでした

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高倉神社の一の鳥居ですが、神社はこのかなり奥のようで鳥居のところでお参り

 

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大内宿全体の写真や映像を見かけたことがあり、どこか高台があるのではと
見回したら、家並みが続く道の先にありそうです

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細い急な階段を上がると目の前に家並みが広がっていました

 

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写真で見たのはこんな景色でした

 

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450mにわたり道の両側に約50軒の家屋が整然と並んでいます、ジオラマのようです

 

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タイムスリップしたような眺め

 

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急な階段は子安観音さんに続く道でした

 

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お寺さんもありました、帰りは急な階段を避けてなだらかな道を下ります

 

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きれいに並んだ野菜、これは全部布製、とても可愛い野菜たちでした

 

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こちらは別のお店ですが、地元言葉でお客さんと話すおばあちゃんが魅力的

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しっかりした茅葺屋根のこちらも蕎麦屋さんです

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整然と並ぶ民家の多くはおみやげやさん

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大内宿町並み展示館、こちらの屋根で見かけたのは

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”水”の文字 火から建物を守るための祈りをこめた文字でしょうか

 

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1時間ほど散策の後、予約をしたお店に戻り順番を待ちました

 

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囲炉裏には鮎の塩焼き

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妹は温かいお蕎麦、会津は蕎麦どころです

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Ikuさんと私はこちらの名物、ネギで食べる冷たいお蕎麦、ネギで食べるのは
ちょっと難しかったけど薬味をかじりながら食べるのは意外な美味しさでした

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天麩羅も注文、何んと中心に名物小型のお饅頭の天麩羅がありました

 

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座敷に囲炉裏のテーブル、雰囲気も大内宿ならではです

 

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ほとんどの家でお土産店または蕎麦屋などへと変わり、農家から観光産業へと切り替わってきましたが、
この大切な村は、景観の保存と伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいるそうです。

江戸時代にタイムスリップしたような「大内宿」を楽しみました。

 

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「横手の旅」の夜

10月23、24日の2日間Yokoさんの運転でドライブを楽しみ、美しい町並みや紅葉の
景色をたっぷり案内していただきました。

この夜は横手市内の素敵なお店で夕食です。

 

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新しい鶏料理店 「とぶ」

 

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秋田の地酒を頂きながら、頂いたのは

 

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こちらのお店の名物熱々のコロッケ、口に入れるとかりっと心地よい音がする
小型のコロッケはとても美味しかった

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二種類の鶏の部位と軽くローストした鴨肉のお造り、山葵や生姜で頂きます、
日本酒によく合う一品でした

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鶏料理屋さんのやきとりは優しい味で、こちらも山葵で頂きました

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手羽先は皮がかりっと焼いてあり、美味しくてたちまち完食

 

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今が旬という人参のサラダは甘くてお代わりしたいほど

 

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器も吟味されているそうです、アサリと煮浸しの舞茸、シメジも今が旬ですね

 

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鶏のスープで作られた雑炊も美味しくてすんないお腹におさまりました

 

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親しい友人と美味しいお酒にお料理、素敵なひと時でした。

 

Yokoさん大変お世話になりました、すごく楽しかったです!
次回は東京でお会いしましょう、ありがとうございました。