しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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「飛鳥寺」

「飛鳥寺」まではバスで移動できました。

 

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バス停からすぐ目の前です

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崇仏派の蘇我氏の発願による日本で最初の(596年)本格的な仏教寺院です

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ご本尊は日本最古の仏像、飛鳥大仏(釈迦如来坐像) 銅像で高さは3m
平安・鎌倉時代の火災で全身罹災、後補を受けましたが、全身に飛鳥彫刻
らしさは細部にまではっきり特徴を伝えています

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案内人の解説によりますとお顔の右から見たときと

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左から見たときと表情が違って見えるそうです
私には右からのお顔には笑みが見えるような気がしました

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大仏殿内で写真を撮らせていただけます

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阿弥陀如来坐像 (木像 藤原時代)堂々とした量感、写実的表現は
藤原の特徴をよく伝えています

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聖徳太子孝養像 (木像 室町時代)太子16歳のとき、父用明天皇の
ご病気回復を祈願されている姿です

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築造年月は20年という大工事の飛鳥寺伽藍、当時の建物は残っていません、近年の発掘調査により
創建当時の寺は搭を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配する日本最初の本格的寺院でした

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左奥が飛鳥寺形石燈籠 きわめて清楚な形で完全に保存されている、裏に「飛鳥寺」の刻名がある

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飛鳥大仏殿

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聖観世音菩薩像が安置されるお堂

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飛鳥寺裏の「蘇我入鹿の首塚」 飛鳥時代の高官蝦夷(えみし)の子で、馬子の孫、権勢を振るい
有力な皇位継承者である山背大兄王(やましろのおおえのおう)<聖徳太子の子>一族を殺した

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このような専横に反感が高まり、宮中の儀式の場で中大兄皇子と中臣鎌足らによって暗殺された

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日本最古の飛鳥大仏をゆっくり拝観できました

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飛鳥寺で見かけた写真、何かのポスターだったかもしれませんが
印象に残りました。
飛鳥には高松塚古墳や壁画そして天武・持統天皇陵、亀石や猿石などの
石物など見所はまだありますが、全部回るのはかなり広範囲で今回は
より興味深いお寺さんを巡る旅になりました。

(10月27日撮影)

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「橘寺」

明日香村の飛鳥川です、石舞台から途中で自動車道路を避けて川沿いを歩きました。

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民家もありましたが、相変わらず人影は少なく、20分ぐらいでしょうか歩くと開けた道に出ました

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目的地「橘寺」に到着です 聖徳太子が創建した七ヵ寺のひとつで太子誕生の
地としても知られています
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天台宗 仏頭山 「橘寺」

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東門から入らせていただきます

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創建当時は東に向かって中門、搭、金堂、講堂が一列に並ぶ四天王寺式の大伽藍でしたが、
現在は東門から入ると真直ぐな参道の先に本堂(太子堂)が見えます

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趣のある鐘楼の横を通りました

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そして本堂 (太子堂)、ご本尊は聖徳太子像

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太子堂横の「二面石」

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飛鳥時代の石像物のひとつで、人の心の善悪二相を表わしたものと
言われている、こちらは右側

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右善左悪といわれていますが、どう見えますか?

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比較的新しい建物のようですがこちらを教えていただきました

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天井絵です

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多くの著名な画家たちの絵が奉納されているようです

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掃除をしている人を何人も見かけました、お手入れの行き届いた境内です

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観音堂

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如意輪観音像 藤原時代独特の端麗で慈容を具える
木彫坐像です

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地蔵菩薩像  一木造の立像で、平安、藤原時代の作といわれます
法衣の所々に五鈷、法輪、万字などの文様が泥書されています。

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聖徳太子の愛馬 黒の駒  太子を乗せ三日三夜で日本中の霊山を廻っても、少しも疲れた様子が
なかったといわれる。

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橘寺は上宮皇院菩提寺とも称し、寺地には欽明天皇別宮のあったところ。 後方の小山は寺号でもある
仏頭山で同寺院の寺域です。   時期には棚田の彼岸花が美しいそうです。

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明日香村の観光案内所でバス停を聞き、数少ないバスでしたが幸い10分ほどの待ち時間で
乗れました、古い家並み地区のバス停です。

 

次の目的地は「飛鳥寺」

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石舞台古墳

「岡寺」から20分ぐらい歩いたでしょうか、見えてきました。

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飛鳥は何回か訪れていますが石舞台は初めて、ひと際高いところにあります

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女に化けた狐が石の上で踊ったとか

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あるいは旅回りの芸人が舞台代わりにしたという伝承から石舞台といわれています

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実は石室がむき出しになった古墳だそうです

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横穴式石室を持つ方形墳で築造は7世紀はじめ頃と推定されます、古墳上部の封土は失われ
巨大な天井石が露出した姿になっています

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30数個の石ででき、天井部分の巨石の大きさは北側が約64t南側が約77t、蘇我馬子の墓というのが
通説です。見上げると不思議な感じがしました。

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被葬者が蘇我馬子と推定されたのは明治末、この通説の根拠は、この辺りが蘇我馬子の屋敷跡と
考えられ、よほど強大な権力者でなくては古墳を造営できなかったからと、以外に曖昧。

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馬子の死後、天武天皇と草壁の皇子が馬子の屋敷跡に離宮を構えたとも伝えられ、通説と
合わないという指摘もされている。
また馬子の専横に怒った後世の住民が封土を剥がしたというが、なぜ石室がむき出しなのかなど
真実は謎に包まれたままだそうです。

遠い遠い昔に思いを馳せたひと時でした。

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「奈良の旅」明日香村の「岡寺」

前日の雨がすっかり上がり、朝7時半ごろここ橿原神宮前駅に到着、飛鳥を巡ります。

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駅前から7時40分の周遊バスで飛鳥に向けて出発です

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明日香と飛鳥2種類の表記は、漢字だけを使っていた万葉かなの時代には
固有名詞の表記も一定ではなかった。
現在は行政区画としては「明日香村」そして明日香村の周辺を含めた奈良盆地
東南部の飛鳥川流域一帯をさす場合は「飛鳥」と区別して表記されるようです。

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途中小学生が大勢乗り込みスクールバスも兼ねているようなバスでした、
20分ほどで岡寺前に到着、目的地は山の中腹です

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途中小さなお寺さんの前を通りました、お坊さんがいらしたのでお話を伺い、お参りしました。

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振り返るとこんな坂道です、目的地はまだ先です

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仁王門に到着、厄除け観音霊場 「岡寺」 (東光山 龍蓋寺)

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梅でしょうか古木の根元に彼岸花を見つけました

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こちらは「花のお寺さん」とも呼ばれるようです

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つわ蕗は水の流れが合うように思います

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本堂に向かう途中の小さな庭

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開山堂の前にも花がいっぱい

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こちらが本堂 創建は663年

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ご本尊・如意輪観音像(重要文化財)はわが国最大の塑像(土でできた仏像)4,8mの高さです
中でお参りさせていただきましたが、外からもお顔が見えました。

その御名を呼べば衆生の願いに意の如く応え、法輪を転じて衆生の願いを破る。
これがご本尊如意輪観音の功徳です。

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龍蓋池  この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいて義淵僧正はその悪龍を法力によって
小池の封じ込め大石で蓋をした、この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の原点になっているのです。

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紅葉が始まっている美しい森の先には奥の院と稲荷神社があるようですが人気のなさに躊躇しました

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鐘楼

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大師堂

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美しい三重塔です

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そこから眺めた明日香村

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仁王門もこんな角度で見られました

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「けさみれば露岡寺の庭のこけさなが瑠璃の光なりけり」 日本最初の厄除け霊場は趣があります

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今頃はこの階段も真っ赤に染まっていることでしょう

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石舞台古墳まで歩きます、レンタサイクルが充実していて、乗り捨てもできるので便利でしたが
今回は回数も少ない周遊バスですから徒歩も多くなります、幸い体調は回復してますから青空の下
歩くのは苦になりませんでした、でも人に出会わないこと、、、

何回か訪れている飛鳥ですが石舞台は初めてですので楽しみです。

 

(10月27日撮影)