月別アーカイブ: 2017年1月

西ノ京「唐招提寺」

薬師寺門のところで、バスでご一緒した東京から一人旅のOさんとお別れして、
私は松並木と土塀の伝統的な民家が続く趣のある道を、この日の予定を
変更して大好きな「唐招提寺」に向かいました。

南大門から入りました、楽しみな唐招提寺です

正面の「金堂」

1998年に世界遺産になり、2000年(平成12年)10年を要する「金堂平成大修理」が始まり
2009年11月に「金堂平成大修理」落慶法要が行われました。
修理に入る少し前に訪れていますが、完成後は今回が初めてでした。

参道の玉砂利を踏みしめて進むと、ゆるやかな屋根と

正面の金堂の威容に圧倒されます。豊な量感と簡素な美しさを兼ね備え、正面に並ぶ8本の
列柱に天平建築の特徴が見られます。

内陣には像高3mに及ぶ蘆舎那仏を中央に巨大な三尊(薬師如来立像、千手観音立像)が
並び、厳粛な空間を生み出しています。
本尊の脇士には等身大の梵天・帝釈天立像が従い須弥壇四隅には四天王立像が緒像を
守護しています。
創建以来の天平金堂と、内陣九尊が織りなす曼荼羅の世界に魅了されます。

「講堂」 創建時に、平城宮の東朝集殿を移築したもの。 現存する唯一の天平宮殿建築です

 

鑑真和上(がんじんわじょう)御廟をお参りします

鑑真和上は688年に中国揚州で生まれ、14歳の時に出家されました。 21歳で受戒を受けた
のち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安、洛陽に並ぶものない律匠と称えられました。

742年日本からの熱心な招きに応じて渡日を決意されましたが、当時の航海はきわめて
難しいもので、鑑真和上は5度の失敗を重ね盲目の身となられました。

しかし和上の意思は硬く、753年12月、6度目の航海でついに来朝を果たされました。
鑑真和上は東大寺で5年を過ごされたのち、758年大和上の称号を賜りました。

759年に戒律の専修道場を創建されました、これが現在の律宗総本山唐招提寺の
はじまりです。

「開山堂」と鑑真大和上御身代わり像
国宝の「鑑真和上坐像」は御影堂に納められていますが、年間数日しか公開されなくて、
御身代わり像(御影像)が毎日参拝できるように製作され、こちらに納められていました。

御影堂で公開時に運よく2回訪れたことがあり、とても印象に残っていますが、こちらで
思いがけずにお参りできて嬉しかったです。

開山堂前の東室(南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊でした)の屋根が低く
こんな瓦が見られます。

 

「礼堂」

「鼓楼」(国宝)
瀟洒な重層の建物で、本来は経楼とみられますが、鎌倉時代に再建されたのち
鼓楼と呼されたようです。
1階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから「舎利殿」とも
称されます。

こちらで毎年「うちわまき」が行われる5月19日は、鎌倉時代に唐招提寺を
復興した覚盛上人の命日。
戒律を重んじた覚盛上人は法要中に血を吸う蚊を叩こうとした弟子に「殺生しては
いけない、蚊に血を与えるのも行のひとつである」と戒めたという。
せめて蚊を追い払えるようにと、慈悲深い上人を偲んで命日にうちわを与えたのが
行事の起源といわれています。

 

「唐招提寺」を訪れて、鑑真大和上の御身代わり像に参拝できて、奈良の旅も
思い出に残るものになりました。

 

(2016年10月27日)

奈良「法隆寺」と「中宮寺」

2016年秋「奈良の旅」の続きです。

7世紀初頭、聖徳太子と推古天皇が創建したお寺が法隆寺です。
別名を斑鳩寺といい、現在の建物は8世紀初めに再建されたもの。
是非立ち寄りたいところでした。

南大門(室町時代)法隆寺の玄関となる国宝の八脚門で、1438年に再建されたもの。

回廊のある中門から西院伽藍に入ります

「五重の搭」(飛鳥時代)
高さ32,5mでわが国最古の五重の搭です。
ゆるやかな勾配を描く優美な屋根は、初層より2層目、2層目より3層目と
上に行くほど面積が小さくなるその減少率が比較的大きく、独特の安定感を
感じさせる姿となっている。

初層内陣の四方に安置されているのは、仏典の有名な場面を表現した朔像群、
特に北面の釈迦入滅の場を表現した群像は有名で、悲痛に歪むリアルな表現の
描写から「泣き仏」ともいわれる。

「金堂」 (飛鳥時代)
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂で、須弥壇の中央に聖徳太子の冥福を祈るための
釈迦三尊像(国宝)があります。

金堂内部 「金銅釈迦三尊像」

 

「大講堂」 (平安時代) このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として
建立されましたが、落雷により焼失、990年には再建されました。
本尊の薬師三尊像(国宝)や四天王像も再建当時のものだそうです。

大講堂内部を見学中に、スーと通り抜けた風に包まれたような感じがして
許可を得てここだけ撮らせて頂きました。

「聖霊院」 (鎌倉時代)

倉の前を通り東院伽藍に向かいます

「百済観音堂」
百済観音安住の殿堂が完成したのは平成10年秋だそうです。
以前ガラスケースに入った「百済観音像」を拝観した覚えがあるので、
こちらが建立される前のことでしょうか。

法隆寺に伝わる百済観音像はわが国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名です。
日本の仏像にしては珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は多くの
人々を魅了しています。

 

東院伽藍の「夢殿」 (奈良時代) 西暦601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という
高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。
その中心となる建物が優美な夢殿です。


太子の夢に菩薩が現れ、経典の疑問に答えてくれたという逸話があり、その折の
太子の居室に似せてこの建物が造られたのがその名の由来だそうです。

屋根を飾る宝珠、露盤は天平時代のものが残っている。
ご本尊救世観音(国宝)は太子の等身像と伝えれるもの、春と秋の年2回開帳です。

 

古代史の謎を秘めた「法隆寺」にはまだ解明されてないことも多いと聞きます。
機会があればまたゆっくり訪れたいと思いながらあとにしました。

「東院鐘楼」 (鎌倉時代) この鐘楼は袴越と呼ばれる形式の建物で、
内部に「中宮寺」と刻印された奈良時代の梵鐘が吊されています。

東院伽藍を抜けて中宮寺に向かいました。

 

旧斑鳩御所「中宮寺」本堂
聖徳太子創建七ヵ寺のひとつ、太子が母君の冥福を祈りその御所を寺にしたと伝わります。
当初は現在地より500mほど東にありました。

高松宮妃殿下の御発願により昭和43年落慶のお堂です。
門跡寺院らしい優雅さ尼寺らしいつつましやかさに昭和の新味を兼ね備えたお堂です。

創建は飛鳥時代、1300年の長きに亘り、尼寺の法燈を続けています。

 

本尊菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩) 「国宝」

飛鳥彫刻の最高傑作
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げて、
その指先をほのかに頬に触れる優美な造形は、清純な気品をたたえています。

この像のお顔の優しさを数少ない古典的微笑の典型として高く評価し、
エジプトのスフインクス、レオナルド・ダビンチ作のモナリザと並んで、
世界の「三つの微笑像」とも呼ばれています。

 

この像の前で静かにずっと眺めている人が多く、なんとも優しい空気が
満ちたお堂内でした。

 

中宮寺を後にして入場した南大門には戻らずに国道方面に出ることにしました。
ところがバス停に着くと目的のバスは1時間後、途方にくれている時に、
バス停留所にいらした女性に行く先をうかがった所、薬師寺に行けるバスが
間もなく来るということでそのバスに乗ることにしました。

その一人旅の若い女性Oさんと席をご一緒させていただき薬師寺近くで下車、
Oさんは薬師寺に、私は唐招提寺に向かいました。

横浜中華街

横浜在住の息子夫婦と中華街に出かけました

夜の中華街は久しぶりです

旧正月が賑わいます、「関帝廟」も静かでした

この公園は初めてでした

粉もの好きには楽しみなお店「大連餃子基地」ここに立ち寄りました

おなじみ酢豚ですが黒酢で奥深い味、こちらも好物

餃子の皮は厚めが好きです、温かい紹興酒と頂くのは初めて、いつもと違った味に感じました

焼きショウロンポウ、火傷に注意です

牛バラ肉の煮込み、このままでも美味しいですが、ご飯に載せたら美味しそうということで

レタス入りのチャーハンを注文、もちろんこのままでも美味、載せても美味しかった

もうひと品細くかりっと焼いたあんかけ焼きそば、ポピュラーな品々ですが好みのものばかりで満足!

どちらかというとコース料理を食べることの多い中華街ですが、こんな料理も美味しかった。

帰り道に「華正楼」で好みの中華菓子を選びましたが種類が多く迷いうほどです。

特に月餅が美味しかった。

横浜中華街も昔からのお店の閉店や雰囲気がずいぶん変わりました。
「華勝楼」も閉店していて、時の流れも感じたひと時でした。

「深川七福神」めぐり

恵比寿神社は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比寿宮に奉祀されています。

2日の朝は暖かく晴天に恵まれました。


色紙を買い、我が家から近いこちらから深川七福神めぐりを始めます。

福徳 愛嬌富財
恵比寿神は大変釣りを好まれました、烏帽子に狩衣をまとい、右手に釣竿、左手に鯛を抱えて
岩に座った姿をしておられます。
もともとは海上安全・航海安全の神とされましたが、のちに商売繁盛の神としても広く信仰されるように
なりました。
また「えびす顔」といわれるように、笑顔愛敬・和顔愛語の福徳を授けるとされ、かつ富財の神として
信仰されてきました。

「弁財天」 冬木弁財天は、以前は大きな池のある材木富商冬木家の邸内弁天堂に安置されていました
が、現在の「冬木弁天堂」の境内は狭くなってしまいました。

弁財天はインド名をサラスバティという川の名、意訳して、大弁天、美音天といわれこの川の神が、
悪声を変じて美声に変える音楽の神、芸術の神でした。
わが国では弁財天として、財宝を施す福の神として信仰されるようになり、商売繁盛の富裕の
福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置づけられました。

福徳 芸道富裕
江ノ島、竹部島、厳島の弁財天が、昔から有名であり、お姿は女神、白色の美顔、頭には宝冠
一般には青色の衣を着し、左手に琵琶を抱き右手でこれを弾いている坐像が多い。

 

「福禄寿」は「心行寺」の六角堂に安置されています。
星宿の神、南十字星の化身ともいわれています。

福徳 人望福徳
福禄寿は背丈が低く、頭が極めて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数千年といわれ長寿をつかさどる
福神、杖を右手に長命の鳥、鶴を従え長命と円満な人格を人々に授ける福神であります。
また福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福徳を授ける福神ともいわれてきました。

 

「大黒天」 大黒天信仰には二つの流れがあります。ひとつは大黒天を大国主命とする流れ、
これは多くの神社に祀られています。
もうひとつは、インド名をマハカーラという仏神の大黒天、これは多くの寺院に祀られています。
こちら「円珠院」に安置されているのは仏神の大黒天です。

福徳 有福蓄財
大黒は大国に通じ、大国主命に結合して福神の形となり、烏帽子、狩衣をつけ、右手に小槌をかざし、
左手に大きな袋をかつぎ、米俵の上に座すようになりました。
米俵に縁のあることから、鼠は大黒天の神使になっています。

「毘沙門天」はわが国では仏教守護から、国土守護から転じて、国土守護の武神として、とくに
武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめ
「毘沙門の申し子」といわれたことや、信貴山の毘沙門天に祈願して生まれた楠政茂が、幼名を
多門丸と名づけられたことなどは、あまりにも有名です。

福徳 勇気授福
その姿は身に甲冑をつけ、左手の宝搭を捧げ、右手に三叉の鑓を持ち
憤怒の形相で邪気を踏みつけ毘沙門立ちをしています。

 

「布袋尊」は、中国に実在した高僧といわれます。
大きな袋を持ち、これに食べ物や日常品を入れ、杖を携えて大きな団扇を手にし、身体は低いが、
太鼓腹、半裸身、粗衣をまとい常に笑顔、清貧にあまんじ諸国を遊行し、子供と遊び、洒脱、楽天的な
和尚として親しまれてきました。

福徳 清廉度量
中国においては布袋尊を弥勒菩薩の化身として一般に信仰され、
広く親しまれるようになり、わが国に伝来し、清廉潔白、大気度量を
人々に授ける福神として親しまれ、信仰されるようになりました。

「寿老神」はこちら深川神明宮境内の寿老神社に安置されています。

「寿老人」とも書き、中国道教の神です、また中国老子の化身の神ともいわれます。

福徳 延命長寿
寿老神は、白髪長寿の老人の姿をして杖を手にし、杖には人名の長寿を
記した巻物を吊るし、鹿を伴っています。
鹿は長寿を司る寿老神の神使とされています。
寿老神は人に延命長寿の福徳を授ける福神として信仰されてきました。

1月2日の朝はまだお参りの人も少なくほとんど待たずにお参りできました。

七福神めぐり案内の幟がたくさん出ています。

七福神の名前に印を頂きます、七福神が揃うと「満願成就おめでとうございます」と
いわれます、何回かめぐっていますが今年は特に嬉しくなりました。

 

歩いてめぐると約2時間ほどかかります、朝8時半ごろに出発したので人出も少なくて
ほとんど待たずにお参りできました。

 

途中「清澄庭園」の前を通るので立ち寄りました。

かわいい七草がありました。

恒例のお正月飾り、今年はこんな飾りでした

大正記念館と雪吊りの松

大泉水と磯渡り

「涼亭」 池に突き出るように建てられた数寄屋造りの美しい建物

季節を変えて何度か紹介していますが、新年はやはりすがすがしく感じる景色です。
中央奥にスカイツリーが見えます。

 

四季折々の景色が楽しめる庭園です、近いので時々出かけますが、一回りすると心和む気がします。
今年もお邪魔させていただきましょう。

早朝歩きをまだ始めてない日でしたから早足で2時間ちょとの散歩になりました。
今年1年元気に過ごせますようにとめぐった「深川七福神」でした。

 

(1月2日撮影)

「謹賀新年」

「明けましておめでとうございます」  2017年元旦は穏やかなよい天気に
恵まれました。

静かな朝を向かえ9時時過ぎにお参りに出かけました。
昨年は始めて長い期間体調不良が続き、ちょっと辛い年でした。
今年は元気に過ごしたいとまず初詣です、といいましても我が家から徒歩3分ほどの富岡八幡宮。

特に3日まではお参りの長い列が途絶えることがないのですが、年明けのお参りがすんだ頃のようで
少し待っただけで順番が来ました。

 

こちらは門前仲町駅すぐの「成田山別院 深川不動尊」 こちらの方が
長い列でしたが、八幡宮からの近道で行けて本堂には待たずには入れました。

本堂の中もかなり混んでいたので、護摩供養はまた改めて参加させていただくことにしましょう。

境内もお正月風景です。

 

お不動様参道の「永代寺」さんにもお参りします、今はこじんまりしていますが江戸時代には
この辺り一帯が寺領だったと聞きます。

いつも新年には托鉢姿のお坊さんがいらして、個人的に祈って頂けます、すぐ手前には不動尊に
お参りする人たちの長い列があります。

 

今年はまず健康で過ごせたらと願っています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。