【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

個性ある夏祭りが、ツアーの夜を彩ります
遺跡、集落跡、復興へ向かう街へ
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西ノ京「唐招提寺」

薬師寺門のところで、バスでご一緒した東京から一人旅のOさんとお別れして、
私は松並木と土塀の伝統的な民家が続く趣のある道を、この日の予定を
変更して大好きな「唐招提寺」に向かいました。

南大門から入りました、楽しみな唐招提寺です

正面の「金堂」

1998年に世界遺産になり、2000年(平成12年)10年を要する「金堂平成大修理」が始まり
2009年11月に「金堂平成大修理」落慶法要が行われました。
修理に入る少し前に訪れていますが、完成後は今回が初めてでした。

参道の玉砂利を踏みしめて進むと、ゆるやかな屋根と

正面の金堂の威容に圧倒されます。豊な量感と簡素な美しさを兼ね備え、正面に並ぶ8本の
列柱に天平建築の特徴が見られます。

内陣には像高3mに及ぶ蘆舎那仏を中央に巨大な三尊(薬師如来立像、千手観音立像)が
並び、厳粛な空間を生み出しています。
本尊の脇士には等身大の梵天・帝釈天立像が従い須弥壇四隅には四天王立像が緒像を
守護しています。
創建以来の天平金堂と、内陣九尊が織りなす曼荼羅の世界に魅了されます。

「講堂」 創建時に、平城宮の東朝集殿を移築したもの。 現存する唯一の天平宮殿建築です

 

鑑真和上(がんじんわじょう)御廟をお参りします

鑑真和上は688年に中国揚州で生まれ、14歳の時に出家されました。 21歳で受戒を受けた
のち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安、洛陽に並ぶものない律匠と称えられました。

742年日本からの熱心な招きに応じて渡日を決意されましたが、当時の航海はきわめて
難しいもので、鑑真和上は5度の失敗を重ね盲目の身となられました。

しかし和上の意思は硬く、753年12月、6度目の航海でついに来朝を果たされました。
鑑真和上は東大寺で5年を過ごされたのち、758年大和上の称号を賜りました。

759年に戒律の専修道場を創建されました、これが現在の律宗総本山唐招提寺の
はじまりです。

「開山堂」と鑑真大和上御身代わり像
国宝の「鑑真和上坐像」は御影堂に納められていますが、年間数日しか公開されなくて、
御身代わり像(御影像)が毎日参拝できるように製作され、こちらに納められていました。

御影堂で公開時に運よく2回訪れたことがあり、とても印象に残っていますが、こちらで
思いがけずにお参りできて嬉しかったです。

開山堂前の東室(南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊でした)の屋根が低く
こんな瓦が見られます。

 

「礼堂」

「鼓楼」(国宝)
瀟洒な重層の建物で、本来は経楼とみられますが、鎌倉時代に再建されたのち
鼓楼と呼されたようです。
1階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから「舎利殿」とも
称されます。

こちらで毎年「うちわまき」が行われる5月19日は、鎌倉時代に唐招提寺を
復興した覚盛上人の命日。
戒律を重んじた覚盛上人は法要中に血を吸う蚊を叩こうとした弟子に「殺生しては
いけない、蚊に血を与えるのも行のひとつである」と戒めたという。
せめて蚊を追い払えるようにと、慈悲深い上人を偲んで命日にうちわを与えたのが
行事の起源といわれています。

 

「唐招提寺」を訪れて、鑑真大和上の御身代わり像に参拝できて、奈良の旅も
思い出に残るものになりました。

 

(2016年10月27日)

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