しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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丸の内でランチ

新丸ビル内の広いお店でランチを楽しもうと出かけたのですが、
どのお店にしようかなかなか決まらず、店頭でこの写真が気になり
こちらのお店に入りました

蓋つきのお茶碗にセットされてたのが八宝茶でした、八宝茶はジャスミン茶、紅ナツメ、クコ
菊花、ゆり根、龍眼、クルミなどが入っています

店頭で見た写真は、お湯をさして回るこの方でした、注ぎ口が長い小さなやかんの様なもので
こんな高いところからお湯を注いでくれます

蓋をして少し置くと、こんなにきれいな色のお茶でした、蓋をしたまま少しずらして
飲みます、少しだけ甘みがありました、テーブルに置いてあった説明を見るとコレステ
ロールを下げ、血行を良くし、免疫力を高めるそう、すごいお茶なんですね。

麺を注文したのですが小皿が付きます

迷った末に私はきれいな色にもひかれてエビと青菜の焼きそばにしました

友人は五目焼きそばを注文、何とおいしそうな色でしょうこちらも魅力でした

小さなデザート、杏仁豆腐が付きました

フロアの外側のお店は明るくて広々した店内でゆっくりランチが楽しめました。

 

また私と同じ麺類好きの友人を誘い行きたいお店です。
飲茶が付いたレデイースランチも魅力でした。

 

(12月22日)

 

今年も見ていただきありがとうございました。
くる年が明るく良い年になるといいですね。

どうぞよい年をお迎えください。

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サザエさん通り~「西南学院大学」

紅葉神社の次にどこに向かっているのか聞かずについて行くと思いがけないところに出ました。

 

サザエさんって東京ではないの?

町子先生とサザエさん

長谷川町子さんと「西南学院」サザエさんの原作者長谷川町子さんは
1944年~46年(昭和19年~21年)にかけて福岡市(現在の早良区西町)
に住んでいました。自叙伝風に描かれた漫画「サザエさんうちあけ話」
には、終戦後、長谷川町子さんが進駐軍を西南学院中学部の先生宅に
案内する場面が描かれています、町子さんが当時住んでいた家の道を
挟んだ向かいが西南学院の中学部だったことからこのようなエピソード
が生まれたのでしょうと書かれていました

そこからすぐ近くの西南学院大学にも立ち寄りました

博物館で開催中の絵を描くという生き方「黒木重雄」展を見せていただきました

幾何学模様が好きだからでしょうか印象に残った1枚、「集合住宅」左端の下段のベランダ
水玉模様好きの家族、奥さんが今まさにバスタオルを干すところだそうです

アメリカのアース付き3穴コンセントが顔に見えるというユーモラスかつナンセンスな絵
という解説がありました

博物館内部の素敵な部屋

作者黒木重雄氏は西南学院大学、人間科学部、児童教育学科教授でした

絵はこの場所に飾られていました

2階からの眺めも素敵です、館内にいた時誰にも会わなかったのです

思いがけない作品を見せてもらいました、博物館はこんな素敵な建物です

 

サザエさん通りは西新駅近くから福岡タワーあたりまでかなりの距離でしたが、この日は
東京に戻る日で、立ち寄ったのはこのあたりだけ、この後ホテルに預けた荷物を取り
空港に向かいました。

 

サザエさん通り福岡タワーのある海浜公園まで続いているようでした。

 

コロナ禍の最中に GO to トラベルとはいえ、旅行をしてよいものか迷い、胃が痛くなる思い
でしたが、空港からレンタカーで糸島、唐津、天草に行きましたが、人との接触はなるべく
避けて、一人で立ち寄った太宰府天満宮も思ったより人出は少なくほっとしました。
市内散策も東京に比べたら博多あたりは別として(博多はほとんど通過)それでも人との
かかわりや蜜を避けての旅になりました。

 

(12月3日)

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「紅葉神社」

箱崎宮前の次に下車したのは中洲川端駅

目的地は福岡市高取に鎮座する「紅葉神社」 大鳥居は県内最大級の大型石鳥居だそうです

は流れ

もう散ってしまっている木もありましたが、次の鳥居の前の木は一段と赤く染まっていました

長い階段を上がり、本殿境内に手水舎にはきれいな花が生けられていて、ほっとしました

本殿は流破風造り、かつては木造でしたが、不審火により焼失、現在は鉄筋コンクリート造り
朱塗り、紅葉はもとより桜の季節も美しいそうです

利正の水  藩主がこの地を訪れた折、急な腹痛に悩まされ、山頂の稲荷神社を守る山伏に
祈祷させ水をいただくとたちまち腹痛が治り、藩主が大変喜んで庵を建て利正院と名付けられ
山伏を住まわせたというお堂が紅葉山の北側に残るそうです

本殿わきから帰る道で見かけた神社「宇賀稲荷神社」かつては
紅葉山に鎮座していた稲荷神社でしょうか

 

以前は紅葉山に展望台があったようです、ここからまだ先のようでした

高台の参道から見えたのは福岡タワーでしょうか、だとする
あの辺りはシーサイドかしら。

次に徒歩で向かったのはシーサイドでなく意外な場所でした。

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「筥崎宮」

中心地は人も多く少し避けてこの日は地下鉄で福岡市内を散策しました、最初の下車は
箱崎宮前

「はこ」の字が「箱」でなく「筥」ですね、所在地、駅名などは箱崎と表記されいます
「筥埼宮」に対して恐れ多いと「箱崎」と表記するそうです

立派な鳥居です

「筥崎宮」は「宇佐」「石清水」両八幡宮とともに日本三大八幡宮といわれています
こちらは一の鳥居です

手水舎もコロナ対応でしょう、手や口を漱ぐ柄杓がありません

鎌倉中期、蒙古襲来の折、俗にいう神風が吹き未曽有の国難に打ち勝ったことから
厄除け、勝運の神としても有名なのだそうです。 本殿と拝殿はこの楼門の奥のようでした
楼門に「敵国降伏」の扁額を掲げていることから伏敵門とも呼ばれているそうです

戻る時あらためて見ると、広い参道が真っすぐ伸びていて気持ちの良い眺めでした

 

この日は夜東京に帰るのでちょっと飛行機の音が気になったのでしょうか。

市内散策次の目的地は?

息子夫婦に連れて行ってもらう旅でどこに行くのか詳しくは知らずに歩き、帰宅してから
写真を見ていろい調べました,やはりもう少し自分で調べておけばとちょっと反省しました。

 

(12月3日)

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博多 「櫛田神社」

太宰府から博多駅に到着しても目的地への乗り物もわからず
観光案内所で地図を入手、バス乗り場を教えてもらい着いたのが
こちら「櫛田神社」でした。

バスを降りて少しうろうろしてたどり着いたのは正門横の門

こちらに立派な総門がありました

総門の額「威稜」は「いつ」と読み、天皇の御威光という意味のようです

干支恵方版  楼門の天井に吊り下げられていて、毎年大晦日に新しい年の恵方を示すように
矢印が回転されるのだとか、自然に動いてしまったかしら、、、

博多の総鎮守「櫛田神社」です

博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれているのだそうです

さすが立派な神社です

霊泉鶴の井戸

山笠が飾られていました、7月の山笠に毎年取り換えられるようです
祇園山笠の櫛田入りはクライマックスなのだそうです

樹齢千年と言われる「櫛田のぎなん」は長寿延命のシンボルのご神木で、博多の祝い唄に
「さても見事な博多のぎなん」と歌われていると書かれてありました

バスを降りてちょっと迷い通り過ぎたアーケード入り口近くのこちらも入り口でした。

博多の総鎮守「櫛田神社」は由緒あるちょっと華やかな感じの神社でした。

 

この日午後からは一人別行動で、ホテルに向かうときも道を間違えてちょっと心細い思いを
しました、知らない土地で一人行動は久しぶりでちょっと戸惑いました。
しっかり自分で調べておかないとと感じた午後でした。

 

(12月2日)

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クリスマスケーキが届きました

毎年クリスマスケーキだけでも数百本作る友人は、以前銀座ランチで写真を紹介した人です。

 

毎年送っていただくので楽しみなんです。  お料理も達人です、教えて頂くことの多い
先輩です

 

箱にこんなシールが貼ってありました、全くの手作りなんです、10月ころから中に入れる
フルーツをブランデーに漬けて用意します
市販するものでなく、知人たちの注文でクリスマスに毎年作られています、箱や包装紙など
買うときお付き合いする程度で、ほとんど一人で作るのですからすごいです

オーブンを買い替えるときもお付き合いしましたが、業務用で一度に6本焼けるのですが、
とんでもない数を作るのですから、すごいです!

一切れコーヒーと頂きました、紅茶もいいでしょうね、いつもの美味しいお味でした。

ごちそうさまでした。

 

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太宰府天満宮

福岡に戻り、太宰府天満宮の近くで私だけ車を降りて太宰府天満宮に立ち寄りました

亀戸天満宮でもおなじみです

15年ぶりぐらい前でしょうか、一人で旅行した時に当時福岡に赴任していた学生時代の
同級生が案内してくれて出かけて以来です

良く出かける亀戸天満宮に似ているところがありますが、規模が違います

赤い橋の上から見えた紅葉がきれいでした

楼門はさすがに立派です、前回訪れたのに全く覚えてなかったです

太宰府天満宮は菅原道真公の墓所の上に社殿を造営している神社です

道真公は京都に生まれ学者、政治家、文人として活躍され、無実ながら政略により京都から
太宰府に流され生涯を終えましたがその後無実が証明され「天神さま」と崇められるように

墓所でもある太宰府天満宮は全国に1200社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮です

この日も晴天に恵まれ紅葉が青空に映えて美しかったです

見頃でした

絵馬が整然と並ぶ光景も同じですね

壮大な広さの境内を少しだけ散策しました

天神さまに梅の花は亀戸天満宮も同じです

12月になったとは思えないような景色でした

緑も豊かな太宰府天満宮でした

お昼に参道のお店でおそばをいただき、名物焼きたての梅が枝餅もいただきました。

 

大きい鳥居をくぐると太宰府駅はすぐ近くでした

途中で乗り換えて、博多に向かいましたが、久しぶりの知らない土地での一人での行動は
少し心細かったです。

完全に一人旅ならしっかり下調べをして出かけるのですが、案の定博多駅で迷子状態でした。

 

 

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道の駅小栗館

福岡に戻る途中、福岡県との県境近くの道の駅に立ち寄りました

こちらは花がたくさん飾られていました、花の販売もしています

朝でしたからまだち寄る人も少なかったようです

このスイカ大きいのにびっくり、この季節ですしね、ちなみに手前のはキズありでしたが
祭りばやしという品種で、2000円の値段がついていました

これは山椒でしょうか? 色がきれいだから違うかしら?

こちらは2011年ですが直売所甲子園で日本一になったようですね。
飲食店も併設していて、暖かい汁ものなどちょっと魅力でしたが、買い物のみでした。

 

今回福岡空港到着時からレンタカーで廻ったので、道の駅にはよく立ち寄りました。
道の駅で買った体によさそうな乾燥小魚、きびなごは苦みもなく美味しくて毎日食べてます。
なくなったら銀座の熊本館に行ってみようかと思うほどです。

熊本名物いきなり団子も本場で美味しく頂きました。

 

 

(12月2日)

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熊本県天草 崎津~牛深~天草五橋

崎津教会近くの道の駅にも立ち寄りましたが、教会の印象が深く気が入らず早めに出発でした。

 

天草下島の南端牛深港に面したこちらにも立ち寄りました

牛深は昔から漁業が盛んな町として発展してきました、こちらは漁業に関する資料を中心に
展示しています

全長12mの木造カツオ船

カツオ漁は江戸期に始まり(1716~35)手釣りの漁法はやがて10数人乗り込んだ
カツオ船へと発展しました

外のいけすにはタイがたくさん泳いでいました

フェリーも行き交っています

物産館ではこんなお土産も見かけました

天草空港に立ち寄りました

1日4便の小さな空港

牛深からかなり北上しました

空港に飛行機の姿は見られませんでした

くまモンが出迎えてくれます

天草パールラインを行きます

天草五橋

ここからは二つの橋が見えます

展望台からの眺めはきれいでした

それぞれ違う橋です

通ってしまうとあっという間

夕日が橋を際立たせてくれました。

 

 

この日最後に立ち寄ったのは三角港建設に尽くした富岡敬明翁ゆかりのところでした。

 

三角はウン十年の昔、当時鹿児島に住んでいた友人を訪ねて、時々ブログにも登場する友人
Teiさんと二人で九州旅行をした時、三角港からフェリーで天草に渡ったことを思い出しました。

 

 

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天草の崎津集落

この日の目的地は天草の崎津集落でした。

 

世界文化遺産崎津教会は青空のもと美しかった

大航海時代、フランシスコ・ザビエルにより日本に伝えられたキリスト教は
繁栄、厳しい弾圧と250年間の潜伏、そして奇跡の復活という世界でも
類を見ない歴史をたどります

 

禁教時代にも密かに信仰を継承し、キリスト教に復帰するまでの日本独特のキリスト教信仰を
育んだ歴史を示す文化遺産なのだそうです

崎津ではまちのシンボルになっている「崎津教会」が注目されますが
実は厳しい禁教下に、日本の伝統宗教とキリスト教が共存しながら
信仰を継続した潜伏キリシタンの集落として高く評価されています

崎津は戦国時代以降に形成された漁村です

崎津教会の前、海に続く道です

その道で通る人を気にもせず日向ぼっこで毛づくろいをする猫ちゃん

崎津資料館に立ち寄りました、昭和初期、崎津は海産物や隣町の木材や木炭などの交易により
栄えていました、崎津資料館「みなとや」は昭和11年に建てれた旅館だったそうです
こちらでは崎津の歴史や独特のキリスト教の信仰について紹介しています

幕府による厳しい弾圧の中、キリシタンらは表向きは仏教徒や神社の
氏子になりつつも密かに継承、禁教が解かれるまで250年以上もの間
信仰を守り続けました

昭和初期の崎津集落

集落の歴史や漁村特有のキリシタン信仰などを紹介し、キリスト布教期から潜伏期の資料を
中心に展示してあります

静かな海ののどかな港町です

海と反対側の斜面にじっと動かない鳥を見かけました、肉眼では見えにくくよくわからなかった

同じ斜面に小さな鳥居も見かけました

崎津諏訪神社の参道に旧崎津教会跡

1805年潜伏キリシタンが発覚する「天草崩れ」の舞台となった神社

代官所の役人は異仏取り調べのため信心具を境内に設置した箱に捨てるように指示したと
記録されているそうです

階段の途中からも教会が見えます

この先にチャペルの鐘展望公園があるようですがそれは約500段の階段の先
諦めました

海上マリア像を見に行きましたが、岬に海に向かってたたずむマリア像はちょっと遠かった

行き来する漁船の運航の安全と豊漁を静かに見守っています

マリア像の向こう側に沈む夕日が、ロマンティックな雰囲気を演出し
天草夕日百景の一つにもなっているそうです。

 

深く知らなかったキリシタンの歴史に少し触れて、崎津集落を散策
したひと時でした。

 

(12月1日)