2016年秋「奈良の旅」の続きです。
7世紀初頭、聖徳太子と推古天皇が創建したお寺が法隆寺です。
別名を斑鳩寺といい、現在の建物は8世紀初めに再建されたもの。
是非立ち寄りたいところでした。
南大門(室町時代)法隆寺の玄関となる国宝の八脚門で、1438年に再建されたもの。
回廊のある中門から西院伽藍に入ります
「五重の搭」(飛鳥時代)
高さ32,5mでわが国最古の五重の搭です。
ゆるやかな勾配を描く優美な屋根は、初層より2層目、2層目より3層目と
上に行くほど面積が小さくなるその減少率が比較的大きく、独特の安定感を
感じさせる姿となっている。
初層内陣の四方に安置されているのは、仏典の有名な場面を表現した朔像群、
特に北面の釈迦入滅の場を表現した群像は有名で、悲痛に歪むリアルな表現の
描写から「泣き仏」ともいわれる。
「金堂」 (飛鳥時代)
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂で、須弥壇の中央に聖徳太子の冥福を祈るための
釈迦三尊像(国宝)があります。
金堂内部 「金銅釈迦三尊像」
「大講堂」 (平安時代) このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として
建立されましたが、落雷により焼失、990年には再建されました。
本尊の薬師三尊像(国宝)や四天王像も再建当時のものだそうです。
大講堂内部を見学中に、スーと通り抜けた風に包まれたような感じがして
許可を得てここだけ撮らせて頂きました。
「聖霊院」 (鎌倉時代)
倉の前を通り東院伽藍に向かいます
「百済観音堂」
百済観音安住の殿堂が完成したのは平成10年秋だそうです。
以前ガラスケースに入った「百済観音像」を拝観した覚えがあるので、
こちらが建立される前のことでしょうか。
法隆寺に伝わる百済観音像はわが国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名です。
日本の仏像にしては珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は多くの
人々を魅了しています。
東院伽藍の「夢殿」 (奈良時代) 西暦601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という
高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。
その中心となる建物が優美な夢殿です。
太子の夢に菩薩が現れ、経典の疑問に答えてくれたという逸話があり、その折の
太子の居室に似せてこの建物が造られたのがその名の由来だそうです。
屋根を飾る宝珠、露盤は天平時代のものが残っている。
ご本尊救世観音(国宝)は太子の等身像と伝えれるもの、春と秋の年2回開帳です。
古代史の謎を秘めた「法隆寺」にはまだ解明されてないことも多いと聞きます。
機会があればまたゆっくり訪れたいと思いながらあとにしました。
「東院鐘楼」 (鎌倉時代) この鐘楼は袴越と呼ばれる形式の建物で、
内部に「中宮寺」と刻印された奈良時代の梵鐘が吊されています。
東院伽藍を抜けて中宮寺に向かいました。
旧斑鳩御所「中宮寺」本堂
聖徳太子創建七ヵ寺のひとつ、太子が母君の冥福を祈りその御所を寺にしたと伝わります。
当初は現在地より500mほど東にありました。
高松宮妃殿下の御発願により昭和43年落慶のお堂です。
門跡寺院らしい優雅さ尼寺らしいつつましやかさに昭和の新味を兼ね備えたお堂です。
創建は飛鳥時代、1300年の長きに亘り、尼寺の法燈を続けています。
本尊菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩) 「国宝」
飛鳥彫刻の最高傑作
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げて、
その指先をほのかに頬に触れる優美な造形は、清純な気品をたたえています。
この像のお顔の優しさを数少ない古典的微笑の典型として高く評価し、
エジプトのスフインクス、レオナルド・ダビンチ作のモナリザと並んで、
世界の「三つの微笑像」とも呼ばれています。
この像の前で静かにずっと眺めている人が多く、なんとも優しい空気が
満ちたお堂内でした。
中宮寺を後にして入場した南大門には戻らずに国道方面に出ることにしました。
ところがバス停に着くと目的のバスは1時間後、途方にくれている時に、
バス停留所にいらした女性に行く先をうかがった所、薬師寺に行けるバスが
間もなく来るということでそのバスに乗ることにしました。
その一人旅の若い女性Oさんと席をご一緒させていただき薬師寺近くで下車、
Oさんは薬師寺に、私は唐招提寺に向かいました。
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