【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

個性ある夏祭りが、ツアーの夜を彩ります
遺跡、集落跡、復興へ向かう街へ
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4番札所 「回向院」

名所案内に「回向院」は歴史の中で庶民とともに歩んできたお寺とありました

墨田区両国の「回向院」にも時々訪れています、夫がこの近くの生まれでゆかりのある場所
でした、この山門前の広場でいろいろなイベントが行われていたのです、国技館も近く
イベントには必ず大勢のお相撲さんも参加されていました

この日は久しぶりのお参りでした

 

正面が本堂 ご本尊は「阿弥陀如来」かつては本堂を背にして露天に安置されていた、
いわゆる濡仏さまだったそうです、宝永二年(1705)安置された、銅作りの座像です、
数年前にお参りしたときは賑やかなお堂内でしたが、この日は人影もなく静かにお参り
させていただきました

本堂から少し離れた場所に「馬頭観世音菩薩像」が安置されています
こちらが4番札所の観音さまです

場所を伺ったお坊さんがなぜこちらに安置されたかを教えてくださった
ので紹介します
4代将軍家綱公の愛馬が死亡しその骸をこちらに葬ることになり、その
供養するため馬頭堂を建て馬頭観世音菩薩像を安置したのだそうです

こちらの「馬頭観音菩薩」に祈願すると、当時最も恐れられていた熱病や天然痘にかからぬと
いわれ、時代が下がるにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音さまとして人々のあつい信仰を
集めたそうです

幾多の災難にあい当時のものは焼失してしまいましたが、今も多くの巡拝者で賑わっています

 

「塩地蔵」 右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると
塩を供えたことから。「塩地蔵」と呼ばれて親しまれてきました

 

こちらはおなじみの鼠小僧次郎吉のお墓
長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が
当時より盛んで、現在も特に合格祈願に受験生方が後を絶たず、前に
削ってもよい石が置かれています

こちらは猫塚

 

猫の恩返しの「両国物語」です

 

本堂横のこちらの建物内でも展示会など催し物で訪れたこともあります

 

「力塚」

日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのため勧進相撲興行の
形態をとっていました。
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年(1768)のことで、勧進相撲興行の
中心は回向院とされてきました、やがて天保4年(1,833)こちらで春秋2回の興行の定場所と
なり明治42年旧両国国技館が完成するまでの76年間「回向院相撲の時代が続きました。

 

お坊さんとも話したのですが、回向院前と両国駅の間を通行止めにしてイベントが開催される
日が一日も早く来ることを願っています。

 

 

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