【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

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高知の旅 「高知城」

4月4日早朝に家を出て、高知空港に着いたのが9時過ぎ、4日間の旅ですが天気予報が気になり
晴れているこの日に見物してしまおうと、荷物をホテルに置いて観光案内所に立ち寄りました。

 

高知の旅が決まったときに、銀座のアンテナショップで観光地の地図や資料をもらってあり、
ある程度は決めてから出かけたのですが、お天気は思い通りにはいきませんから、、、

高知駅に近いこちらの観光案内所と隣接するお土産のショップはリニューアルしたそうです。

 

駅前のおなじみの像、これは以前ここで見たのを覚えていました、4日間ずっとこんな青空なら
よかったのですが。

 

路面電車に乗り最初の目的地高知城に向かいました、駅からそう遠くないのですが、一度乗り
換えないといけないので少し面倒でした。

追手門
石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えを持つ、
門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっている。

 

門の2階には「石落とし」もあり、敵の真上から石を落としたり槍で突くこともできるように
なっています。

 

ここが忍び返しかしら、、、

 

石段は登りにくく下りやすいように幅が工夫されているようですが、本当に階段の幅が半端で
歩きにくかった、ここを通ったのは下りだけ、登りは後ろの坂道を行きました。

 

鐘楼堂に桜も素敵でした

 

建物内を見物

 

庭園の桜です

 

武者隠

上段の間 外の部屋より床を一段高くした藩主の御座所、来客応接の間として武家・大名の
屋敷には必ず設けられた。

武者隠しは藩主護衛の武士が隠れる場所です。

この小部屋は武者隠しの中だったとおもいます

 

天守閣は外観四層(内部3層6階)18,5mの望楼型天守です

 

やっぱり急な階段でした、登りより下りが怖かったです

 

一番上からの眺めです、黒漆が塗られた高覧が特徴的だそうです

左手の門は詰門  鉄門跡の階段を越えると右手前に三の丸、右手に二の丸、左手に本丸と
天守閣が迫り、真正面に数段の石段越しに黒塗りの詰問が見え、敵はここで自然に正面の
詰問側へと誘導され、石段を上るが最後、三方から矢と鉄砲の嵐に見舞われる造りです。

海棠も満開でした

 

近くで外から見た天守閣、思ったより小さく見えます。

 

山之内一豊の妻の像

 

慶長6年(1601)に山之内一豊が高知城築城を開始、慶長8年に入城、三の丸が完成しほぼ
全城郭が整ったのが慶長16年、城下町の大火で焼失、天守閣をはじめ城門など完成は寛延2年
(1749)現在の天守閣はこの時のもの、宝暦3年(1763)再建以来25年目にしてほぼ全城郭が
整う、明治7年(1874)高知公園として一般開放されたそうです。

 

300年も続く日本最大の街路市が開催される道を通り途中からアーケード街に入り、
ホテルへの帰路は徒歩でした。(日曜市の場所です、見物してみたいものです)

翌日から雨模様の天気予報に、この日に見ておきたいところを回りよく歩きました。

 

 

 

4月から始まったNHKの朝ドラは高知出身の牧野富太郎植物分類学者が
モデルですから、このポスターはあちらこちらで見かけました

「牧野植物園」は後日立ち寄ります。

 

(4月4日)

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