しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

By

首里城公園

琉球王国の栄華を物語る世界遺産「首里城」はかなり印象に残っていたと
思ったのですが、前回と違う道を行ってしまい、すこし迷いました。

CIMG7839

カラフルなシーサーを見かけた「沖縄県立芸術大学」の前を通り

CIMG7840

「円覚寺跡」 王族の菩提寺、かつて首里城の周辺には仏教寺院と王族や家臣の建物などがあり、
中でも寺院の代表が「円覚寺」でした。

CIMG7846

「守礼門」を抜けたところに出ました、やはり前回と違う道を上がってきたようです。

CIMG7848

守礼門を通り首里城に向います。 扁額の「守禮之邦」とは
「琉球は礼節を重んじる国」という意味です。

CIMG7843

この石の門は世界遺産「園比屋武御獄石門」(そのひやんうたきいしもん)
国王が外出時に安全祈願をした礼拝所である、形は門になっているが人が通る門ではなく
神への「礼拝の門」とうべき場所

CIMG7849

「歓会門」 首里城の正門、中国皇帝の使者”冊封使”(さっぽうし)など、訪れる人への歓迎の
意を込めて名前が付けられた。 別名「あまへ御門」

CIMG7850

「瑞泉門」  瑞泉とは”立派なめでたい泉”という意味門の前にある湧き水に
ちなんで付けられた

CIMG7851

こちらが瑞泉門手前にある湧き水「龍樋」  国王一族の大切な飲料水。
「冊封使」が訪れた時には宿泊先の「天子の館」まで届けられました。

CIMG7852

「漏刻門」 櫓の中の水時計で時刻を測ったことで名づけられた門、身分の高い役人も
国王に敬意を表してここで籠を降りました 別名「かご居せ御門」

CIMG7853

「広福門」 東側には戸籍を管理する「大与座」(おおくみざ)西側には
寺や神社を管理する「寺社座」がありました。
別名「長御門」  現在は券売所です。

CIMG7854

展望台からは「久慶門」の前に広がる森とその向こうに那覇市街地や、那覇港が一望できます。

CIMG7855

「奉神門」  「内庭」(うなー)へ続く最後の門 3つの入口があり中央の門は国王や身分の高い
人だけが通れる門でした。  別名 「君誇御門」(きみほこりうじょう)

CIMG7859

「首里城正殿」 約500年にわたり琉球王国の城としてあり続けた首里城、1992年に復元されました。
唐破風妻飾  唐破風の妻壁には火炎宝珠と大蟇股、両脇には金龍と瑞雲の彫刻が施されている。

階段の下両脇石台に立つのは正殿大龍柱の吽形(左)・阿形(右)で、国王の象徴である龍は城内に
いくつも見られますが、そのほとんどが阿形と吽形の対になっています。

CIMG7860

正殿内を見学するため南殿から入りました。
内庭では様々な儀式が行われた、色違いの線は儀式の際に諸官が位の順に
立ち並ぶ目印の役割をもっていた。
中央の道は「浮道」といい国王や中国皇帝の使者など限られた人だけが
通る事を許された。

CIMG7862

お茶をいただきました、王朝時代の伝統菓子とさんぴん茶、さんぴん茶とはジャスミン茶の事、解説に
よりますと、ジャスミン茶の漢字「香片茶」が入ってきた頃は読めなくて、発音からさんぴん茶になった
とのことでした。

CIMG7867

お茶をいただいた部屋は「鎖之間」(さすのま) 王子たちの控え所であり、また諸役の者たちを招き
懇談する施設だった。

CIMG7869

書院・鎖之間庭園は両間を一体となす重要なもので、城内で唯一の本格的な庭園です

CIMG7868

書院に招かれた冊封使たちは、この庭園の魅力を讃える歌を詠んだといわれます。

「首里城」続きます。

 

By

沖縄の桜

1月末に13年ぶりの沖縄の旅に出ました。
4日間晴天に恵まれ、日中の気温は20度以上、初夏のような
暖かさでした、そしてちょうど桜が満開でひと足早くお花見が出来ました。

CIMG8020

「今帰仁」なきじんと読みます、場所は那覇市から車で1時間半ほどの北部に位置します。沖縄の旅

今帰仁城跡は世界遺産に登録されていますが、ここからかなり広く、石垣に囲まれた城跡です。
歴史は古く13世紀まで遡るが、誰が築いたのかはいまだに解明されてないそうです

CIMG8001

桜は「緋寒桜」下向きに咲かせる濃いピンク色の花です。
同じ桜が近くの公園にありますが、今朝もまだ咲いていませんでした。

CIMG8003

少し淡い色の花もありましたが、本土のソメイヨシノとは違います。

CIMG8007

遠くから見た時は梅の花のようでした。

CIMG8009

見た事もないような大きな蝶があらわれたので少し追ってみました。

CIMG8011

小鳥ほどもありそうな真っ黒な蝶ですCIMG8014

花から花へ忙しく蜜を集めている姿は近づくのが怖いような大きさです。

CIMG8015

近づいてよく見たら、オレンジ色の体に見事なオレンジ色の斑点がきれいな南国的な?蝶でした。
すっかり蝶に気をとられてしまいましたが、真っ青な空に濃いピンクの花、そして真っ黒な蝶、
すごいコントラストです。

CIMG8019

ここ今帰仁城跡(グスク)の桜まつりは1月18日~2月2日まで、ライトアップも
あるようでした。
沖縄の桜前線は本島北部から南下して離島へと向うそうです。
北上する本土の桜前線との逆で初めて聞いたときはなんだかぴんときませんでした。

この日1月30日は沖縄滞在3日目、このあと橋で結ばれた島に向いました。

 

 

By

節分の豆まき

節分1

我が家に近い富岡八幡宮の豆まきを見に行くのは2年ぶりです、本殿の左右に舞台が造られました

CIMG8081

木遣りを先頭に横の参道から出発です

CIMG8084

今年のゲスト、年男、年女の方々

CIMG8085

いつも見かける方もいらっしゃいます

CIMG8086

大鳥居から参道を進みます

CIMG8087

 

CIMG8092

テレビでおなじみの方々ですね
CIMG8098

本殿でお祓いを受けたのちにようやく豆まきの始まりです

CIMG8107

一人づつ紹介されました

CIMG8108

ようやく豆まきが始まりました、みのもんた氏の隣りは江東区長さん

CIMG8111

節分とは本来「季節を分ける」、季節が移り変わる節目を指し、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日に
年4回ありましたが、日本では立春は1年の始まりとして尊ばれたため次第に節分というのは春の節分のみ
指すようになりました。

CIMG8113

立春を1年の始まりである新年と考えれば節分は大晦日にあたります、平安時代の宮中では大晦日に
陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める行事が行われていました。

CIMG8118

室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し民間にも定着してゆきました。
豆まきは一家の主人あるいは「年男」が豆をまくものとされていますが、家族全員でという家庭も
多いようです。

CIMG8120

自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられるといわれています。
豆は炒ったものでければなりません、なぜなら生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと
縁起が悪いからです。

CIMG8122

「炒る」は「射る」にも通じ、鬼や大豆は陰陽五行説の「金」にあたり、この「金」の作用を滅する「火」で
大豆を炒ることで鬼を封じ込めるという意味があります。
最後は人間が豆を食べてしまうことにより鬼退治したということになるわけです。

袋も持たずに出かけましたが、5粒ぐらいは手で受け取れました、帰宅しようと歩き出すと衣類の間から
豆が数粒こぼれ落ちました、コートの中にも入り込んでいたようです。

明日は立春です、春という字が入るだけでなんだか嬉しくなります。