月別アーカイブ: 2014年7月

朝顔とほおずき市

文京区小石川の傳通院朝顔市は2度目ですが、入谷の朝顔市とはまた違った雰囲気です。

 

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徳川家ゆかりのお寺さんです、この日は少し小雨がぱらつく朝でした

 

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地元の方たちが応対してくれます

 

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朝顔らしい色や

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清楚な白

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団十郎は大輪でした

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めずらしい模様の花も

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大輪の搾り模様の花もみんな美しく、知人に送るのを選ぶのに迷いました

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団十郎茶は江戸時代に人気の役者さんが好んだ茶色で、地味めですが
なんとも品のある淡い茶色です

 

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ようやく購入する色が決まり、送る手配をして、後先になりましたがお参りです

 

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無量山 傳通院 壽経寺  浄土宗でご本尊は阿弥陀如来像  小石川傳通院さんで親しまれています

 

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徳川家康公の生母於大の方(法名 傳通院殿)、千姫(二代将軍秀忠公の長女)
孝子の方(三代将軍家光公の正室)、お奈津の方、初姫など徳川家の女子達が
埋葬されているお墓もお参りできます

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開創600年の「傳通院」です

 

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朝顔を買うと抽選が1回出来ます、可愛い手ぬぐいで出来た半纏、これが大当たりで頂いた景品です

 

 

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傳通院から10分ほど歩くとほおずき市の会場「源覚寺」に着きます

 

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「こんにゃくえんま」で知られる「源覚寺」さんの境内です

 

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竹かごに入ったほおずきが並びます

 

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正面が「閻魔堂」 「えんま王木造坐像」は座高約1mのヒノキ材寄木造りです

 

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こちらは塩地蔵尊
2体で一組のお地蔵様、体に塩を付けてお祈りすると、体の同じ部分の
病気が治るといわれています

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こちらは毘沙門天のお堂  「小石川七福神」の毘沙門天だそうです

 

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この梵鐘はかつてサイパンの南洋寺に送られ太平洋戦争を経て平和の梵鐘として
再び源覚寺に帰ってきました

 

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ほおずきの赤い実にはなんか惹かれます、子供の頃の思い出につながる気がします

 

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こじんまりした街なかのお寺さんの境内で今年もほおずき市が開かれました

 

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この日の数日後に東京は梅雨明けとなりました、本格的な夏の到来、
苦手な夏を何んとか元気に過ごしたいものです。
閻魔様にもお願いしてみました。

「文京朝顔・ほおずき市」 夏の風物詩を楽しんだひと時でした。

 

 

横浜中華街と元町散策

横手から久しぶりに戻っているYokoさんとTeiさんの3人でランチを楽しんだのは、
横浜中華街でした。

 

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善隣門を入り中華大通りの左に曲がった路地にあるお店。

 

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「ライシャンソン」というお店の3人分のチケットを息子に購入してもらい、
初めてのお店でしたが評判よさそうなので行ってみました。

 

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コース料理の前菜盛り合わせ、おなじみの盛り合わせですが、向こう側になってしまった肉厚の椎茸の
含め煮もよい味付けで次にどんな料理が出るか楽しみになりました。

 

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イセエビのチリソース  チケットにイセエビと書かれていたのですが、食べ応えのある大きな身で
腹側の殻がついた部分もあり、味付けも気に入りました。

 

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牛肉の炒め物  次々出てくるので、ちょっと食べるのに集中です。

 

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北京ダックが少し小さい切り身でエビせんの上にのって出されましたが、エビセンを残して巻いた方が
よかったかな、でも甘辛いソースのお味もよかったです。

 

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甘酢ソースのかかった魚の唐揚げ、好きな味でした。

 

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ショウロンポウとエビ餃子、食べるのがいそがしいくらいどんどん出され、スープが入ったショウロンポウと
ぷりぷりのエビ餃子はもちろん熱々でした。

 

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フカひれ入りスープ、そろそろお腹もいっぱいになり食べきれないような量です。

 

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炒飯とスープはやっぱり好相性ですね、3人で完食しました。

 

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ちょっとボケ写真で小さくしましたが、おなじみの杏仁豆腐は
なんだか懐かしいような味。

 

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ランチタイムは万席でした、2階では宴会が行われている様子、お任せ料理でしたが
味も美味しく、量はたっぷり、3人でお腹いっぱいになりました。

 

 

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中華街で食材を買ったり散策の後、関帝廟は外から見学で元町へ、元町はずい分雰囲気も
変わりましたが、バッグや靴屋さん、レース店、宝石店など懐かしいお店は健在でした。

おなじみ「菊屋」さんに立ち寄りケーキとアイスティーでひと休み、楽しい中華街と元町散策でした。

 

 

切絵図で歩く「鬼平犯科帳」 (1)

6月8日、江戸東京博物館友の会見学会は、「鬼平犯科帳」ゆかりの地を
切絵図で巡るものでした。

 

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集合場所はメトロ九段下駅、鬼平ファンとしては楽しみでした

池波正太郎氏が書いた「鬼平犯科帳」は長編5話を含む135話の実在した
人物を主人公として書かれたフィクションであるが、作者が「江戸名所図会」や
「江戸買物独案内」「武鑑」などと共に「切絵図」を参考にしながら書いたという
物語にはさまざまな場所が登場してくる。「鬼平犯科帳」に登場する場所を
切絵図をもとに歩く第1回目でした。

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九段坂は古くは飯田坂とも呼んだ、九段坂の名は「鬼平犯科帳」の中に8回ほど出てくる

火付盗賊改方の役宅からも程近い九段坂下、秋から春にかけて出る居酒屋がある。.
亭主は久兵衛といい、売り物は燗酒と豆腐と蒟蒻を石の上で焼き、柚子味噌で食べる田楽である。
おやじの久兵衛は、火付盗賊改め方の同心・密偵と顔なじみで、客の女から平蔵への手紙(密告)を
預かり、役宅に届ける。   (「密告」)

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集合地から九段坂を少し下ると、俎橋です(鬼平犯科帳の中では俎板橋と表記)
江戸時代の架橋と思われるが、詳しい年代は不明。
江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した。

橋の名前の由来は橋が2枚の俎を渡したような橋であったという説と、近くに
存在した台所町との関連で名づけられたとする説があります。
俎橋が日本橋川の最も上流に架かる橋であった。

*同心・木村忠吾は俎板橋の袂に出ているだんご屋の餡ころ餅が大好物で、
「しこたま買い込み、布団の中にもぐり込み、絵草子をめくりながら、むしゃむしゃと
食っていたのだろう」と平蔵に言い当てられた。  (五月坊主)

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清水御門
本来、火付盗賊改方の役宅は、その役に就いた旗本が拝領している屋敷に置くことになるのだが、
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」においては、私邸を目白台に設定したことから、目白台に役宅を
置いたのでは地理的に不便極まりないことになり、やむなく清水御門外に役宅が設けられている。

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寄り道「清水御門」

役宅は、物語の中で「清水御門外の役宅」とか単に「役宅」という表現で度々登場する。

*役宅の前は、江戸城の堀に面した広い道で、役宅正門の正面に「清水御門」が見える。
江戸城36門の一つで、昔徳川家康が江戸へ入った折、この辺りにこんこんと清水が湧き
出ていたため、この名が門につけられたとか・・・(あきれた奴より)

*平蔵が見回りで役宅を出ると、清水門外の堀端に、主人共々密偵となった扇屋・玉風堂・
平野屋の番頭・茂兵衛が托鉢の僧に化けて待ちうけ、平蔵を九段坂のほうへいざない、
旗本・菅沼信濃の守屋敷の塀の影へ来てから、笠をとって見せた。(殺しの波紋)

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池波氏が描いた市中見廻り姿の鬼平

 

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枡形の城門

宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二氏・重好を家祖としてこの門内に一家を創立させて、
門名にちなんで清水家と称した。 (御三卿のひとつ)

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扉釣具の銘に日付と名前が刻まれている、これは江戸城総曲輪の大工事を
行ったついでにこの門を修復した年であると考えられている。

 

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*役宅の西側の塀に沿ってゆくと、たちまち北側の塀の内側に出る。
「塀の下は川だ、なあに深くはねえから向こう側へ渡り、好きなところに逃げて
いきねえ。連絡場所は本所二つ目の五鉄という軍鶏鍋屋だ。」
密偵・舟形の宗平の肩へ足をかけた盗賊・落針の彦蔵が塀へ飛びつき、ついで
彦蔵が宗平を引き上げ、塀外から堀川を渡った。  (雨引の文五郎)

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寄り道は北の丸公園

 

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寄り道  田安御門

こちらの扉の釣金具にも製作に携わったと考えられる職人の銘文がある、古くは「田安口」または
「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていたといわれる。

門名の由来は、門内は田安台といい、はじめは百姓地で田安台明神があったので、門名に称した。
門内に御三卿の一つ田安家がありました。

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堀端一丁目

堀端1丁目は「鬼平犯科帳」の中では地名として出てこない。しかし次のような場面から、平蔵も
この道を通ったのではないかと考えられる。

*平蔵は同心・木村忠吾に左藤巴の長谷川家の定紋のついた紫色の布に包まれた箱のようなものを
持たせて、九段坂を上がり、半蔵門外へ出て、麹町二丁目の小出家の隠居・夢斎を見舞った。
(白根の万左衛門)

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春に桜を紹介した千鳥が淵緑道で真っ白な紫陽花が見ごろでした

 

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江戸・鬼平には関係有りませんが、通り道だったので千鳥が淵戦没者墓苑にお参り

 

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イギリス大使館    千鳥が淵の内掘通りの反対側にあるイギリス大使館前を通過

明治5年(1872)盛岡新田藩上屋敷、大和・櫛羅藩上屋敷、上野・七日市藩上屋敷、
および旗本水野兵部の屋敷跡をあわせた12、306坪に公館を置き、その後現在に
至るまでこの場所が英国大使館の所在地となっている。

(1905年に公使館から大使館に昇格)  いつもこの前を通る時、その広大さに驚きます

 

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平河天満宮

内掘通りを半蔵門前で新宿通りに右折、新宿通りの左手入ったところ平河町にあります

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「鬼平犯科帳」の中では平河天満宮が登場する場面がある

*麹町二丁目の小出家を出た平蔵は、平河天満宮の参詣を思い立った。
天満宮の門前には気がきいた酒のうまい蕎麦屋・栄松庵があり、早く組屋敷の女房のもとへ帰りたくて
浮かない顔をしている同心・木村忠吾に「酒がうまい」と誘いをかけて忠吾の目の色を変えさせて
平河天満宮の参詣に同行させる。  (白根の万左衛門)

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*平蔵と連れの同心・木村忠吾が表門から入り、両側に茶店が立ち並ぶ参道を
彼方の大鳥居を目指し歩みかけたとき、密偵・馬蕗の利平治が気配もなく
摺り寄ってきて、大盗賊・白根の万左衛門の手下沼田の鶴吉と万左衛門の
娘・おせきがいると囁いた。  (白根の万左衛門)

 

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麹町は山王祭開催中でした

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江戸名所図会「山王祭」  画賛  「我等まで 天下祭や 土車」   其角

 

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麹町六丁目 (現四丁目)
*麹町六丁目の裏にある筆師・梅之助の家
京で修業を積んだ梅の助の家だが、大盗賊・白根の万左衛門の盗人宿で、
70歳を越えた万左衛門は二階で死の床に就いている。
平河天満宮から万左衛門の手下・沼田の鶴吉と万左衛門の娘・おせきのあとを
つけてきた同心・木村忠吾と密偵・馬蕗の利平治は二人がこの家に入るのを
突きとめる。
その家の筋向かいにある伊勢屋の二階に忠吾が上がり梅の助の家を見張る。
(白根の万左衛門)

「江戸買物独案内」に「麹町六丁目 江戸前鰻御蒲焼 伊勢屋権兵衛」の
記事が見て取れる。

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麹町八丁目  (現五丁目)

*八丁目も登場する、麹町八丁目の旗本・金森与左衛門の屋敷に、同心・木村忠吾の叔父・
中山茂兵衛は用人として勤める。
同心・吉田籐七の四女・おたかと10日後に婚礼を控えた忠吾は、独身最後の遊び納めに品川の
遊女屋に向うところ、途中で茂兵衛と出会ってしまう。
忠吾が目黒の威得寺へ墓参りに行くと言い訳すると、茂兵衛も同行するという、仕方なく二人で
連れあって墓参りを済ませたところ、そんな二人を盗賊・塩井戸の捨八が見かけ、忠吾を盗賊さむらい・
松五郎と見間違える。
おまけに一緒にいた茂兵衛も盗賊の一味と勘違いされる。     (影法師)

 

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四ツ谷見附・四ツ谷御門は甲州街道に繋がる要所として右折枡形の石塁が造られ、渡櫓門と高麗門が
設けられた。

 

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門は外麹町門、四谷口門、山手御門とも呼ばれたが、明治5年(1872)に
撤去され、現在はわずかに枡形の一部の石垣が残されている。

四谷御門外にある「巻狩飴」が名物の菓子舗・福本屋
*与力・秋元源蔵は可愛い盛りの一人娘・初に好物の巻狩飴を買ったが、
組屋敷に戻る途中濃い夕霧が立ち込めた坂道を上がり、了覚寺という寺の
門前へ差し掛かったとき、夕闇を切り裂いて疾ってきた半弓の矢を頸すじへ
受けて殺害された。     (迷路)

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「江戸買物独案内」には「巻狩飴」という菓子は見られないが、「巻狩せんべい」いうのがあり、
同じ見開きのページに御菓子所というのが見られる。

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蝋燭問屋の部分には「尾張御蝋燭御用場 四ツ谷御門前 越後屋兵左衛門」が載っているが、
三徳屋は見当たらない。
そこで蝋燭問屋のうちから「本石町一丁目河岸三徳弥右衛門」・「日本橋大工町 秋田屋冶兵衛」の
それぞれ一部をとって「蝋燭問屋・三徳屋冶兵衛」としたのであろうか。

*四谷御門外にある江戸開府以来の商家で江戸城へも尾張屋へも出入りを許されている蝋燭問屋・
三徳屋冶兵衛。
大盗蓑火の喜之助が最後のお盗めとしてこの家の金蔵を狙っているのだが、果されないまま
死んでしまう。  (老盗の夢)

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「紹鴎」は室町末期の茶人で、奥州堺の納屋衆の一人であり、侘茶の骨格をつくり、千利休に伝えたと
いわれる人物。  「江戸買物独案内」にはてりふり町・慶壽堂「紹鴎まんじゅう」の名が見られ、「加賀屋
佐吉」・「加賀屋忠助」という二軒の御菓子司の名が見られる。

*四谷御門外にある「紹鴎まんじゅう」が売り物の菓子屋・加賀屋仁助。
御先手組からも程近いこの店に、同心・原田一之助の妻・きよが夫の好物である紹鴎饅頭を買いに
出かけた帰り、市ヶ谷の七軒町の角を曲がりかけた時に殺害された。   (流星)

 

「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)文政7年(1824)に大坂で出版された江戸市内の
買物や飲食関連の商店約2500店紹介するガイドブックで、3巻からなり、掲載料を徴収して店の紹介を
するといおうもので、たとえどんなに有名であっても、掲載料を支払わない店は掲載されていない。

 

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御先手組・組屋敷
「鬼平犯科帳」では組屋敷について江戸市中の方々にあった御先手組組屋敷のうち
平蔵組の組屋敷が四谷・坂町にあったという設定になっており、与力筆頭・佐島
忠助ほか与力・同心の大半はこの長屋に妻子と供に暮らし、清水御門街の役宅に
通ってくることになる。

この屋敷のについては多くの物語で「四谷坂町の屋敷」とか単に「組屋敷」と表現されている。

 

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史実の平蔵組、先手組第二組の組屋敷は、目白台、現在の目白台図書館の前から北の辺りに
あったと思われるが、「鬼平犯科帳」ではその目白台に平蔵の私邸を設定したため、やむなく、
御先手組・組屋敷が集まる四谷坂町に火付け盗賊改方の与力・同心が住む組屋敷を設定したとも
思われる。

四谷界隈は本文で紹介した以外の場面にも登場します。
貸座敷・玉や 「老盗の夢」 四谷伝馬町一丁目
*盗賊・野槌の弥平の息がかかっていた盗人宿。  大盗・蓑火の喜之助も連絡場所に利用しており
今回も押し込み前の打ち合わせ場所にしていた。

薬問屋・橋本屋勘左衛門  「密通」 四谷伝馬町
*盗賊・櫛山の武兵衛が配下11名を率いて押し込もうとした店で、押し込みの計画を察知した
平蔵と密偵たちにより、押し込む直前に盗賊たちは捕えられる。

 

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池波氏が描いた平蔵が市中見廻りをする姿

 

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「大川の隠居」の原稿

 

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軍鶏鍋

二つ目の[五鉄]という軍鶏鍋屋は「鬼平犯科帳」登場する。
こちらの軍鶏鍋は、分けとく山の野崎洋光氏作、もちろん
「鬼平犯科帳」関連の本に掲載されていたもの。

 

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白粥

平蔵の注文で、熱い白粥に梅干、漬物という朝飯であった。

池波氏のエッセイ「むかしの味」には小学生の頃から食べることに執着していた
池波氏の「懐かしい味」が語られている。
小説の中でも幼少時の食べ物が物語の重要な役割を果している作品が
少なからずある。
平蔵にとっての「むかしの味」は飲みすぎた翌朝の熱い白粥であったに違いない。

 

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<おことわり>

今回の資料の中で、物語の内容として使用する文章は、
物語の中から抜粋したものであるため、部分的に話の
筋が通るように、適宜加工、修正を加えており、原文とは
異なる場合があります。

料理に関しては「池波正太郎の世界」を参考にしました。

四谷坂町から津の森坂通りを経て都営地下鉄新宿線
「曙橋」駅地上出口で解散、所要時間は約3時間半、
私にはかなりハードな街歩きでしたが次回も楽しみです。

 

 

横浜で32階からの眺めと「弘明寺」

9日から予定していた奄美大島の旅が残念ながら台風の影響で欠航になり、
横浜の息子夫婦の家で過ごしました。
3人で週末まで出かける予定でしたから、のんびり過ごすことにしました。

 

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住まいは32階、高層ビルは川崎あたりのようです

 

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ベランダの端からはジオラマのようなこんな景色が見えます、左の赤い列車は京急で白い屋根は
子安駅、陸橋を通過中はJR横浜線、その下は京浜急行が通過中です

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どんよりした梅雨空の下、右手のビル群は新宿だそうです

 

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京急沿線の弘明寺(ぐみょうじ)を散策しました

 

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瑞應山 蓮華院 弘明寺の仁王門   横浜最古のお寺さんだそうです

 

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山門を入ると6地蔵さんが迎えてくれます

 

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階段を上がると正面が本堂、ご本尊は十一面観音菩薩立像、そしてこちらは「坂東第14番霊場」です

 

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「聖天堂」    弘仁9年(818)弘法大師の回国の際、この地に不思議な力を
感じて、聖天(大聖歓喜天)を彫り安置し、一千座の護摩を焚いて庶民の幸福を
祈願したとされる

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鐘楼と梵鐘

この日は四万六千日護摩供養が行われるようで、静かな境内でしたが、
本堂内は供養を待つ人でいっぱいでした

 

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本堂脇には高野山開創1200年のマスコット
(こちらは高野山真言宗のお寺さん)

 

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弘明寺を出てすぐ前の弘明寺観音通り商店街を散策です

明治44年(1911)に仁王門前から、鎌倉街道に接する農道が直線の
四間道路に整備され、これが観音通りとなったそうです

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こんな昔のままのようなお店も見かけました

 

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おなじみペコちゃんの服装は織姫さん?

 

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ようやく青空が見えた朝、ベランダから見える小学校の校庭ではコートの線が引かれてドッジボールが
始まりました、台風もこちらは被害もなく去った暑い朝でした

 

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この時期富士山が見えることはめずらしいようです、朝8時半ごろです

 

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すぐ下に見える公園、ベランダからあちこちに緑地が見えます、思ったより緑が多い街のようでした

 

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次々に行き交う車両に、息子の影響でちょっぴり鉄子の私はしばらく見ていました

 

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見飽きません

 

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最高8本の列車が行き交うのが見えるのですが、それはちょっと無理でした

 

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夕暮れ時は美しい空になりました

 

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でもまだ雨が降っている所もあったようです

 

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神秘的でした

 

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このあたりは雨でしょうか

 

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久しぶりに刻々と変わる美しいオレンジ色を楽しみました

 

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ビルのシルエットは好きな景色です

 

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家の明かりが見え始める夕暮れ時はなんだかロマンチックになります、明日は帰りましょう。

 

奄美大島旅行が中止になり、予定変更で息子の家から4日目のお昼に戻りました。
予定していた奄美の工房での泥染め体験は出来ませんでしたが、スーパーに買い物に行ったり、
ビデオや映画を楽しんだりと、の~んびり過ごした横浜での休日でした。

 

 

東海汽船「橘丸」試乗会

東海汽船の新しい客船「橘丸」が完成して6月下旬からの就航前の試乗会に
息子夫婦に誘われて、竹芝客船ターミナルに向ったのは6月22日でした。

 

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申し込みが、多く抽選だったようです

 

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三宅島、御蔵島、八丈島に向うフェリーの色にちょっと驚きましたが、調べてみると昭和48年まで活躍
した東京湾の女王と呼ばれた往年の名船「橘丸」を継承し、先代にも使われていたイエローオーカー色を
基調としてオリーブ色を織り交ぜた斬新なツートンカラーを採用したそうです

 

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順番を待ち乗り込むと出迎えてくれたのは”キャプテンたちばな” どこかで見たようなキャラクター?

 

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竹芝客船ターミナルからレインボーブリッジはすぐです、この日は残念なことに梅雨空でした

 

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乗り込むとまずは船内の見学、気がついたのはこのイラスト
自ら船キチ良平と称するほどの大の船好きな柳原氏

サントリー宣伝部でトリスウイスキーのCM製作を担当、
アンクルトリスのキャラクターは一世を風靡した、それで
キャプテンたちばなアンクルトリスとそっくりだったのです

 

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ここは2等船室、椅子席がなくなりこのような和室になったそうです、鍵のかかるロッカー付き

 

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この部屋はマットレス、寝具付きの特2等和室

 

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2段ベッドの船室  東京~八丈島 大人片道17、380円(7月料金)

 

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家族ずれには人気の部屋だとか

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ここが特等室、明るく素敵な部屋でした

 

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やっぱりアンクルトリス

 

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どらが鳴り出航時間です、甲板に出てみました

 

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カラフルなこれは高速艇、大島までの所要時間は1時間45分だそうです

 

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ビルの間から東京タワーがチラッと見えました

 

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浅草に向うのでしょうか?

 

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ヴァン テ アン号  東京湾クルーズ船  ランチやディナークルースも人気、パーティーも出来ます

 

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そろそろレインボーブリッジの下を通過です

 

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ぶつかりそう! あちこちでそんな声が聞こえた、そんな分けないですね

 

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真下を通過

 

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結構スピード感はあります

 

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帆船のような船が通過

 

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東京湾でお馴染みのクレーン

 

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後方からすごいスピードで近づいてくる船があります

 

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瞬く間に抜かれました、さっき停泊していた高速艇、大島に向うのでしょうか

 

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東京湾ゲートブリッジとスカイツリー  ランチクルーズで開通前に橋の下を通ったことがありました

 

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羽田沖に近くなると、次々に離発着の飛行機がすぐ上に見えました

 

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どこの航空会社か分かるような距離、迫力があります、こちらはJALのようでした

 

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羽田空港に着陸するところ

 

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ディズニーシーが小さく見える辺りでUターン

 

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甲板でキャプテンと撮影会

 

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食堂付近でも、キャプテンは大忙しです

 

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次の会場へ・・・

 

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船内モニター

 

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docomo電話?

 

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1時間半の試乗を終えて竹芝客船ターミナルに戻りました、東京湾は素敵でした

 

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日の出桟橋も近く、離発着も多い東京港です

 

息子が小・中学生だった頃、夏休みに三宅島に渡る時、竹芝桟橋に送った事がありました。
当時は薄暗い桟橋にびっくりするほど多くの人々が待っていたのを思い出し、懐かしかったです。

 

 

「夏越の大祓い」

「夏越の大祓い」は6月30日に行われる神社の厄除け行事です。

 

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我が家近くの富岡八幡宮でも茅の輪が作れ準備がされていました、6月30日がその日です

 

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夏越えの大祓い、厄除け行事は、6月30日と12月30日に行われます

 

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訪れた人たちがくぐり方の案内を見ながら茅の輪をくぐっていました

 

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午後3時からお払いが行われるようでしたが、私は人型のお札を頂き、自分の名前と年齢を書き
3回撫でて、3回息を吹きかけて納めてきました

風邪を引きめずらしく1週間も具合が悪かったのでこの日は回復を願いました。

 

 

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こちらは別の日、懐かしい新橋の「烏森神社」(からすもりじんじゃ)です

 

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お参りしたのはずい分久しぶりのことです、新橋には縁があります、
両親が出会ったのが新橋と聞きます、私が生まれたのが今の虎ノ門ですが、
小学校に入る前と、結婚してから長く神谷町(現在はこの地名はなく虎ノ門)に
住みましたが、散歩がてらここ新橋によく出ました

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通りかかるとこの文字が目に入りまだ1週間前でしたが
お参りしました

 

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新橋駅近くの細い路地にある神社で茅の輪が2箇所に作られてありました

この日は路地から入ったのでこの入り口のことを知らず、こちらからくぐる
のが作法のようでした。

早いもので今年も半年が過ぎました、半年の無事を感謝し残りの半年の
健康を祈りました。