切絵図で歩く「鬼平犯科帳」 (1)

6月8日、江戸東京博物館友の会見学会は、「鬼平犯科帳」ゆかりの地を
切絵図で巡るものでした。

 

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集合場所はメトロ九段下駅、鬼平ファンとしては楽しみでした

池波正太郎氏が書いた「鬼平犯科帳」は長編5話を含む135話の実在した
人物を主人公として書かれたフィクションであるが、作者が「江戸名所図会」や
「江戸買物独案内」「武鑑」などと共に「切絵図」を参考にしながら書いたという
物語にはさまざまな場所が登場してくる。「鬼平犯科帳」に登場する場所を
切絵図をもとに歩く第1回目でした。

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九段坂は古くは飯田坂とも呼んだ、九段坂の名は「鬼平犯科帳」の中に8回ほど出てくる

火付盗賊改方の役宅からも程近い九段坂下、秋から春にかけて出る居酒屋がある。.
亭主は久兵衛といい、売り物は燗酒と豆腐と蒟蒻を石の上で焼き、柚子味噌で食べる田楽である。
おやじの久兵衛は、火付盗賊改め方の同心・密偵と顔なじみで、客の女から平蔵への手紙(密告)を
預かり、役宅に届ける。   (「密告」)

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集合地から九段坂を少し下ると、俎橋です(鬼平犯科帳の中では俎板橋と表記)
江戸時代の架橋と思われるが、詳しい年代は不明。
江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した。

橋の名前の由来は橋が2枚の俎を渡したような橋であったという説と、近くに
存在した台所町との関連で名づけられたとする説があります。
俎橋が日本橋川の最も上流に架かる橋であった。

*同心・木村忠吾は俎板橋の袂に出ているだんご屋の餡ころ餅が大好物で、
「しこたま買い込み、布団の中にもぐり込み、絵草子をめくりながら、むしゃむしゃと
食っていたのだろう」と平蔵に言い当てられた。  (五月坊主)

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清水御門
本来、火付盗賊改方の役宅は、その役に就いた旗本が拝領している屋敷に置くことになるのだが、
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」においては、私邸を目白台に設定したことから、目白台に役宅を
置いたのでは地理的に不便極まりないことになり、やむなく清水御門外に役宅が設けられている。

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寄り道「清水御門」

役宅は、物語の中で「清水御門外の役宅」とか単に「役宅」という表現で度々登場する。

*役宅の前は、江戸城の堀に面した広い道で、役宅正門の正面に「清水御門」が見える。
江戸城36門の一つで、昔徳川家康が江戸へ入った折、この辺りにこんこんと清水が湧き
出ていたため、この名が門につけられたとか・・・(あきれた奴より)

*平蔵が見回りで役宅を出ると、清水門外の堀端に、主人共々密偵となった扇屋・玉風堂・
平野屋の番頭・茂兵衛が托鉢の僧に化けて待ちうけ、平蔵を九段坂のほうへいざない、
旗本・菅沼信濃の守屋敷の塀の影へ来てから、笠をとって見せた。(殺しの波紋)

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池波氏が描いた市中見廻り姿の鬼平

 

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枡形の城門

宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二氏・重好を家祖としてこの門内に一家を創立させて、
門名にちなんで清水家と称した。 (御三卿のひとつ)

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扉釣具の銘に日付と名前が刻まれている、これは江戸城総曲輪の大工事を
行ったついでにこの門を修復した年であると考えられている。

 

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*役宅の西側の塀に沿ってゆくと、たちまち北側の塀の内側に出る。
「塀の下は川だ、なあに深くはねえから向こう側へ渡り、好きなところに逃げて
いきねえ。連絡場所は本所二つ目の五鉄という軍鶏鍋屋だ。」
密偵・舟形の宗平の肩へ足をかけた盗賊・落針の彦蔵が塀へ飛びつき、ついで
彦蔵が宗平を引き上げ、塀外から堀川を渡った。  (雨引の文五郎)

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寄り道は北の丸公園

 

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寄り道  田安御門

こちらの扉の釣金具にも製作に携わったと考えられる職人の銘文がある、古くは「田安口」または
「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていたといわれる。

門名の由来は、門内は田安台といい、はじめは百姓地で田安台明神があったので、門名に称した。
門内に御三卿の一つ田安家がありました。

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堀端一丁目

堀端1丁目は「鬼平犯科帳」の中では地名として出てこない。しかし次のような場面から、平蔵も
この道を通ったのではないかと考えられる。

*平蔵は同心・木村忠吾に左藤巴の長谷川家の定紋のついた紫色の布に包まれた箱のようなものを
持たせて、九段坂を上がり、半蔵門外へ出て、麹町二丁目の小出家の隠居・夢斎を見舞った。
(白根の万左衛門)

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春に桜を紹介した千鳥が淵緑道で真っ白な紫陽花が見ごろでした

 

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江戸・鬼平には関係有りませんが、通り道だったので千鳥が淵戦没者墓苑にお参り

 

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イギリス大使館    千鳥が淵の内掘通りの反対側にあるイギリス大使館前を通過

明治5年(1872)盛岡新田藩上屋敷、大和・櫛羅藩上屋敷、上野・七日市藩上屋敷、
および旗本水野兵部の屋敷跡をあわせた12、306坪に公館を置き、その後現在に
至るまでこの場所が英国大使館の所在地となっている。

(1905年に公使館から大使館に昇格)  いつもこの前を通る時、その広大さに驚きます

 

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平河天満宮

内掘通りを半蔵門前で新宿通りに右折、新宿通りの左手入ったところ平河町にあります

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「鬼平犯科帳」の中では平河天満宮が登場する場面がある

*麹町二丁目の小出家を出た平蔵は、平河天満宮の参詣を思い立った。
天満宮の門前には気がきいた酒のうまい蕎麦屋・栄松庵があり、早く組屋敷の女房のもとへ帰りたくて
浮かない顔をしている同心・木村忠吾に「酒がうまい」と誘いをかけて忠吾の目の色を変えさせて
平河天満宮の参詣に同行させる。  (白根の万左衛門)

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*平蔵と連れの同心・木村忠吾が表門から入り、両側に茶店が立ち並ぶ参道を
彼方の大鳥居を目指し歩みかけたとき、密偵・馬蕗の利平治が気配もなく
摺り寄ってきて、大盗賊・白根の万左衛門の手下沼田の鶴吉と万左衛門の
娘・おせきがいると囁いた。  (白根の万左衛門)

 

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麹町は山王祭開催中でした

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江戸名所図会「山王祭」  画賛  「我等まで 天下祭や 土車」   其角

 

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麹町六丁目 (現四丁目)
*麹町六丁目の裏にある筆師・梅之助の家
京で修業を積んだ梅の助の家だが、大盗賊・白根の万左衛門の盗人宿で、
70歳を越えた万左衛門は二階で死の床に就いている。
平河天満宮から万左衛門の手下・沼田の鶴吉と万左衛門の娘・おせきのあとを
つけてきた同心・木村忠吾と密偵・馬蕗の利平治は二人がこの家に入るのを
突きとめる。
その家の筋向かいにある伊勢屋の二階に忠吾が上がり梅の助の家を見張る。
(白根の万左衛門)

「江戸買物独案内」に「麹町六丁目 江戸前鰻御蒲焼 伊勢屋権兵衛」の
記事が見て取れる。

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麹町八丁目  (現五丁目)

*八丁目も登場する、麹町八丁目の旗本・金森与左衛門の屋敷に、同心・木村忠吾の叔父・
中山茂兵衛は用人として勤める。
同心・吉田籐七の四女・おたかと10日後に婚礼を控えた忠吾は、独身最後の遊び納めに品川の
遊女屋に向うところ、途中で茂兵衛と出会ってしまう。
忠吾が目黒の威得寺へ墓参りに行くと言い訳すると、茂兵衛も同行するという、仕方なく二人で
連れあって墓参りを済ませたところ、そんな二人を盗賊・塩井戸の捨八が見かけ、忠吾を盗賊さむらい・
松五郎と見間違える。
おまけに一緒にいた茂兵衛も盗賊の一味と勘違いされる。     (影法師)

 

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四ツ谷見附・四ツ谷御門は甲州街道に繋がる要所として右折枡形の石塁が造られ、渡櫓門と高麗門が
設けられた。

 

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門は外麹町門、四谷口門、山手御門とも呼ばれたが、明治5年(1872)に
撤去され、現在はわずかに枡形の一部の石垣が残されている。

四谷御門外にある「巻狩飴」が名物の菓子舗・福本屋
*与力・秋元源蔵は可愛い盛りの一人娘・初に好物の巻狩飴を買ったが、
組屋敷に戻る途中濃い夕霧が立ち込めた坂道を上がり、了覚寺という寺の
門前へ差し掛かったとき、夕闇を切り裂いて疾ってきた半弓の矢を頸すじへ
受けて殺害された。     (迷路)

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「江戸買物独案内」には「巻狩飴」という菓子は見られないが、「巻狩せんべい」いうのがあり、
同じ見開きのページに御菓子所というのが見られる。

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蝋燭問屋の部分には「尾張御蝋燭御用場 四ツ谷御門前 越後屋兵左衛門」が載っているが、
三徳屋は見当たらない。
そこで蝋燭問屋のうちから「本石町一丁目河岸三徳弥右衛門」・「日本橋大工町 秋田屋冶兵衛」の
それぞれ一部をとって「蝋燭問屋・三徳屋冶兵衛」としたのであろうか。

*四谷御門外にある江戸開府以来の商家で江戸城へも尾張屋へも出入りを許されている蝋燭問屋・
三徳屋冶兵衛。
大盗蓑火の喜之助が最後のお盗めとしてこの家の金蔵を狙っているのだが、果されないまま
死んでしまう。  (老盗の夢)

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「紹鴎」は室町末期の茶人で、奥州堺の納屋衆の一人であり、侘茶の骨格をつくり、千利休に伝えたと
いわれる人物。  「江戸買物独案内」にはてりふり町・慶壽堂「紹鴎まんじゅう」の名が見られ、「加賀屋
佐吉」・「加賀屋忠助」という二軒の御菓子司の名が見られる。

*四谷御門外にある「紹鴎まんじゅう」が売り物の菓子屋・加賀屋仁助。
御先手組からも程近いこの店に、同心・原田一之助の妻・きよが夫の好物である紹鴎饅頭を買いに
出かけた帰り、市ヶ谷の七軒町の角を曲がりかけた時に殺害された。   (流星)

 

「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)文政7年(1824)に大坂で出版された江戸市内の
買物や飲食関連の商店約2500店紹介するガイドブックで、3巻からなり、掲載料を徴収して店の紹介を
するといおうもので、たとえどんなに有名であっても、掲載料を支払わない店は掲載されていない。

 

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御先手組・組屋敷
「鬼平犯科帳」では組屋敷について江戸市中の方々にあった御先手組組屋敷のうち
平蔵組の組屋敷が四谷・坂町にあったという設定になっており、与力筆頭・佐島
忠助ほか与力・同心の大半はこの長屋に妻子と供に暮らし、清水御門街の役宅に
通ってくることになる。

この屋敷のについては多くの物語で「四谷坂町の屋敷」とか単に「組屋敷」と表現されている。

 

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史実の平蔵組、先手組第二組の組屋敷は、目白台、現在の目白台図書館の前から北の辺りに
あったと思われるが、「鬼平犯科帳」ではその目白台に平蔵の私邸を設定したため、やむなく、
御先手組・組屋敷が集まる四谷坂町に火付け盗賊改方の与力・同心が住む組屋敷を設定したとも
思われる。

四谷界隈は本文で紹介した以外の場面にも登場します。
貸座敷・玉や 「老盗の夢」 四谷伝馬町一丁目
*盗賊・野槌の弥平の息がかかっていた盗人宿。  大盗・蓑火の喜之助も連絡場所に利用しており
今回も押し込み前の打ち合わせ場所にしていた。

薬問屋・橋本屋勘左衛門  「密通」 四谷伝馬町
*盗賊・櫛山の武兵衛が配下11名を率いて押し込もうとした店で、押し込みの計画を察知した
平蔵と密偵たちにより、押し込む直前に盗賊たちは捕えられる。

 

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池波氏が描いた平蔵が市中見廻りをする姿

 

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「大川の隠居」の原稿

 

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軍鶏鍋

二つ目の[五鉄]という軍鶏鍋屋は「鬼平犯科帳」登場する。
こちらの軍鶏鍋は、分けとく山の野崎洋光氏作、もちろん
「鬼平犯科帳」関連の本に掲載されていたもの。

 

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白粥

平蔵の注文で、熱い白粥に梅干、漬物という朝飯であった。

池波氏のエッセイ「むかしの味」には小学生の頃から食べることに執着していた
池波氏の「懐かしい味」が語られている。
小説の中でも幼少時の食べ物が物語の重要な役割を果している作品が
少なからずある。
平蔵にとっての「むかしの味」は飲みすぎた翌朝の熱い白粥であったに違いない。

 

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<おことわり>

今回の資料の中で、物語の内容として使用する文章は、
物語の中から抜粋したものであるため、部分的に話の
筋が通るように、適宜加工、修正を加えており、原文とは
異なる場合があります。

料理に関しては「池波正太郎の世界」を参考にしました。

四谷坂町から津の森坂通りを経て都営地下鉄新宿線
「曙橋」駅地上出口で解散、所要時間は約3時間半、
私にはかなりハードな街歩きでしたが次回も楽しみです。

 

 

コメント

  1. 雲母舟 より:

    浅草出身の池波氏の小説は
    江戸っ子の潔さが出ていて、
    読んでて小気味いいです。
    池波さんが描いた市中見廻り姿の鬼平の
    またかっこいいこと!
    絵も玄人はだしの上手さだったのですね~。
    おもしろい企画に参加されましたね。

  2. shinakoji より:

    雲母舟さん
    コメント有難うございます。
    「鬼平犯科帳」の思いがけない企画でした。
    江戸の町を想像してあの辺りにお菓子屋さんがあったとか、
    お蕎麦屋さんがあったとか、ちょっとワクワクしました。
    この日歩いたのは、九段から北の丸公園に少し入り、
    千鳥が淵から半蔵門前を麹町に向い、四ッ谷駅を通り越し、
    坂町から曙橋まででした、結構な距離と思いましたが、
    江戸時代の徒歩移動を思えばたいした距離ではありませんね。
    東京を江戸名所絵図をもとにしてあちこち歩いていますが、
    実際にあったお店など書かれていますから「鬼平犯科帳」執筆に
    膨大な資料を参考にしたのでしょうとあらためて思いました。

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