月別アーカイブ: 2022年2月

「江戸三十三観音札所」29番「高野山東京別院」

高野山真言宗 総本山金剛峯寺別院  (港区高輪)

慶長年間、高野山の寺宝・寿門の学侶方の在番所として開創され、延宝元年(1673)「高野山
江戸在番所高野寺」として建立されました。

 

幕府と宗務全般の交渉・および幕府の諸通達を全国の古儀真言寺院に達する触頭の責務を
担いました、高野山から重役方が交代で参勤し、学侶の道場、大師信仰の実践の場として
重要な役割を果たしました

 

札所ご本尊は「聖観世音菩薩」

昭和2年「高野山東京別院」と改称しました
昭和63年(1988年)に現在の本堂建立

 

境内には梅、桜、あじさい、蓮の花など四季折々に楽しめるようです

 

「不動堂」

 

「弘法大師像」   紅葉がきれいでした。

 

高野山には一度訪れたことがありますが、印象に残るところで
またゆっくり訪れたいと思いました。

 

(12月4日)

「江戸三十三観音札所」16番「安養寺」

安養寺 右門 「本尊薬師如来 天台宗」

 

左門には「大聖歓喜天」と刻まれています

(新宿区神楽坂にある天台宗の寺院)

 

天正19年(1591年)徳川家康公築城の際に、城内平川口から田安へ移転し、その後天和3年
(1683年)4月に今の神楽坂に移転したようです

 

境内に入ったところの「寶生観世音」

 

お地蔵さん

聖天堂 「大歓喜天」 (通称 神楽坂聖天さん)

札所のご本尊「十一面観音」は聖天さまと供に聖天堂の内陣に祀られています

 

「醫光山」の山号は、本尊薬師如来に由来します。開基は慈覚大師円仁。

 

本尊薬師如来は金銅仏の座像で一丈六尺の堂々たる尊容をなし、日光・
月光両菩薩、十二神将の御影とともにお祀りされています。

 

(2022年2月15日)

「江戸三十三観音札所」18番「真成院」

新宿通りの四谷2丁目あたりを入ったところにある「観音坂」

「西念寺と真成院の間を南に下る坂。坂名は真成院の潮踏観音にちなむ。
別名は西念寺坂・潮踏坂・潮干坂。 潮踏観音は、江戸時代以前に四谷
周辺が「潮踏の里」と呼ばれたことにちなむ。
潮踏観音は、潮の干満につれ像の台石が湿ったり乾いたりするので潮干
観音とも呼ばれた。

この坂を下りる途中右手に「真成院」がありました

外階段で3階の観音堂に向います

 

こちらが観音堂です、入らせていただき潮干観音さまにお参り
できました

 

お堂の中で見かけたポスター

 

慶長三年開山 江戸城外濠工事のため、幕府に替地として与えられた四谷に移転し、その後
本堂と観音堂が失われてしまい天保八年(1,837年)に再建しました

 

金鶏山 「真成院」 (きんけいざん しんじょういん) 高野山真言宗の寺院です

 

1階右手の建物が本堂のようでした、お客さんがいらっしゃるようだったので、
許可を得て観音堂だけお参りさせていただきました。

「江戸三十三観音札所」27番「道往寺」

港区高輪の「道往寺」浄土宗の寺院

伊皿子坂方面からの山門

 

開基は江戸時代寛文年間(1661~73年)

秘仏である聖観世音菩薩・千手観世音菩薩を中心に御前立像、西方三十三観音霊場各所の
札所本尊の像が一堂に祀られています

 

「観音堂」 観音堂には先祖代々観音堂の擬宝珠が安置されています

 

こちらが本堂のようでした

御本尊は「阿弥陀如来像」  開基は江戸時代寛文年間(1661~73年)
阿弥陀様の左脇侍は「慈悲」の仏様である観音菩薩、右脇侍には「知恵」
の仏様である勢至菩薩を安置しています

 

泉岳寺方面からの山門は階段を下りた下に位置しています

 

来迎山「道往寺」泉岳寺方面からの山門です。

 

「江戸三十三観音札所」26番「済海寺」

港区三田の浄土宗「済海寺」  正式には周光山 長寿院 「済海寺」です
魚籃坂から伊皿子坂交差点の所まで戻り徒歩で行けました、こちらも初めて訪れました

 

ご本尊は「阿弥陀如来」  奥正面が本堂のようで、観音堂は手前にありました

 

小さなお堂でした、札所のご本尊は「亀塚正観世音菩薩」

 

こんな高層ビル近くのお堂です。

亀塚公園の隣に位置していました。
更級日記に登場する皇女と武蔵国の武士との恋愛物語である竹芝伝説「竹芝寺」の跡地に
位置しているそうです。

「江戸三十三観音札所」25番 「魚籃寺」

この日、地下鉄泉岳寺駅から伊皿子坂を通り、魚籃坂にあるお寺に
向かいました

 

港区三田の「魚籃寺」浄土宗のお寺です
魚籃とは魚を入れるかごのこと、ご本尊は「魚籃観音菩薩」右手に魚の入った籃をたずさえて
いるのだそうです

 

中国・唐の時代、仏が美しい乙女の姿で現れ、竹かごに入れた魚を売りながら仏法を広めた
という故事に基づいて造形されたとといいます

 

「三田山 水月院 魚籃寺」本堂

「魚籃観音菩薩」は秘仏で本堂内のお逗子に安置されて、年に一度
五月の第二土曜日の「大施餓鬼法要会」でのみご開帳だそうです

 

「塩地蔵尊」その昔、高輪の海中から出土されたお地蔵様で、願をかけ、その願いが
叶ったら、御礼にお塩を供えて感謝御礼するのだそうです。

 

魚籃寺の前の坂は「魚籃坂」と言いますが、坂の中途にあるので名付けられたそうです。

 

(2021年12月4日)

「江戸三十三観音札所」24番「梅窓院」

港区南青山、メトロ銀座線外苑前から地上に出るとすぐ横に「梅窓院」がありました
「長青山 寶樹寺 梅窓院」は浄土宗のお寺です
孟宗竹の参道に入ると喧騒を忘れるような世界です

 

参道左手の燈籠は室町時代の作で珍しいものだそうです
そして竹の色は青のかわりに黄色い竹を使いワビサビの感じを作ったそうです

 

かつて寺は人々が気軽に立ち寄り、心のよりどころになっていました、新時代の寺のあり方を
求めてきた梅窓院では、「街に開かれた寺」という理念を平成16年に再建を機に形にしたそう
です

この参道のあり方も含めて、歴史と現代性の両立を目指す梅梅院再生
事業の中心的役割を果たしたのが、世界的な建築家隈研吾氏です
都心寺院にふさわしく、広く一般の人々にも受け入れられる「集いの広場」
「コミュニティー」を作りたいという梅僧院の願いに、瓦屋根もない
お堂を廻る回廊もない全く新しい建築をもって応えたのだそうです

 

平成15年6月に完成した新本堂棟
ご本尊の阿弥陀仏は山の手六阿弥陀仏のひとつとして信奉されており、古来より「青山の
観音さま」と愛称されているそうです

 

涼やかな竹林の参道は、長い伝統を都市の活気の中に融合する新生・「梅窓院」のあり方を
象徴するものだそうです

 

参道竹林の中にこんなに可愛いお姿を見かけました。

初めて訪れたお寺さんでしたが、実家が浄土宗で中高6年間浄土真宗系の女子高でお経を
あげていましたから浄土宗はやはり親しみを感じました、また訪れてみましょう。

 

(2021年12月15日 撮影)

「江戸三十三観音札所」19番「東圓寺」

医王山悉地院「東円寺」  杉並区和田   「寶福寺」から徒歩で行けました

 

「六地蔵石像」は寛政8年(1796)に造られたものでしたが、近年新たに造立したもの

 

開創は天正元年(1573)で、本堂は昭和7年に改修されたそうです

真言宗豊山派、ご本尊は「薬師如来像」

江戸期に作られた「聖観世音菩薩像」は別の「観音堂」に安置されていたようです、
残念ながら気が付かず本堂のみのお参りになってしまいました

 

「鐘楼」

 

「山門」

 

東圓寺の由緒書き

 

(11月23日撮影)

「江戸三十三観音札所」17番 「寶福寺」

東京メトロ丸の内線方南町駅から徒歩10分ぐらいでしょうか、初めて訪れる寺院でした

 

真言宗 豊山派 「寶福寺」本堂 ご本尊は聖徳太子 創建年代は不明、聖徳太子が諸国巡遊
している際に、この地を霊地として堂を建立「如意輪観音」を安置して国家安穏を祈ったことが
始まりといわれます

 

「観音堂」のようですがこの時は知らなかったのでお堂の前で手を合わせただけでした

 

「筆塚」 境内にあるこちらはの文字は戸村直衛が買いたものだそう
明治初めに建てられたとおもわれるそうです

 

本堂前の紅葉が見ごろになっていました

 

人影がまったくなく静かでした

 

紅葉も印象的な境内でした

 

すぐ隣の「多田神社」  宝福寺はこの田多神社の別当寺でもあったようです。

 

 

(11月23日撮影)