月別アーカイブ: 2022年3月

「江戸三十三観音札所」23番「大圓寺」

 

曹洞宗 金龍山 大圓寺 山門

 

八百屋お七を供養するために建てられたほうろく地蔵、このお地蔵はお七のために熱した
焙烙(浅い素焼きの土鍋)をかぶって焦熱の苦しみを受けているとのことで、首から上の
病気平癒に霊験ありといい、祠の前には願いを記した多くの焙烙が納められています

墓域には幕末の先覚者である砲術家の高島秋帆、小説家であり樋口一葉を終生助けた
斎藤緑雨が眠っているそうです

 

戦後に再建された本堂  ご本尊は聖観世音菩薩  曹洞宗の寺院

安土桃山時代の慶長2年(1597)に神田に創建され、現在地へは慶安2年(1649)に移転

 

慶安2年現地に移り久しく「駒込の大円寺」と呼ばれました

 

こちらも静かな境内でした

 

山門を出るとこんな道でした。

 

(2021年11月)

「江戸三十三観音札所」10番「浄心寺」

湯嶋山 常光院 浄心寺 浄土宗の寺院

浄心寺は、還蓮社到誉文喬和尚(元和7年1617年寂)が駿河に創建、徳川家康の死後、
家康の中間頭だった畔柳助九郎武重が湯島妻恋坂付近に創建、振袖火事により当地へ
移転したといいます

大きな布袋尊と参道

 

本堂に上がる階段の左横奥に本堂に直接上がれるエレベーターがあるそうです

 

ご本尊は阿弥陀仏  そしてすべての人々に限りない仏の知恵を与える虚空蔵菩薩

江戸観音札所ご本尊は十一面観音菩薩像 (子育桜観音)です

「江戸三十三観音札所」9番「定泉寺」

東光山 見生院 定泉寺 浄土宗の寺院です

太田道灌の矢場跡があったと伝えられる本郷弓町に蜂屋九郎次郎善遠が
開基、増上寺十八世定蓮社定誉随浪和尚が開山となり、元和元年(1621)
に創建。明暦の大火後当地に移転したと伝わります

 

定泉寺夢現地蔵尊

 

本堂 ご本尊 「十一面観世音菩薩」

扉越しでしたがお参りさせていただきました、こちらも静かな境内でした

 

山門脇にありました。

 

「江戸三十三観音札所」8番 「清林寺」

文京区向丘の 東海山 花陽院「清林寺」 浄土宗の寺院です

ご本尊は 「聖観音菩薩」

 

「飛鳥時代様式」で三重塔を建設中でした

 

訪れたのは昨年11月でしたが、三重塔が完成したらまた訪れたいと思いました。

境内には多色できれいな牡丹がの花が咲くそうです。

 

江戸三十三観音札所を最初に訪問したのは文京区向丘、本駒込、白山あたりでしたが、
なるべく順番通りに公開したいと思い、一時保留していたのですが、忘れてしまいだいぶ
前後しましたが初日に廻った数カ寺を紹介します。

 

(2021年 11月20日)

よみがえる「正倉院宝物」

六本木のサントリー美術館で開催中の展覧会を見に出かけました

 

「1300年の技が今ここに、よみがえる」正倉院宝物の再現模造にみる
天平の技、正倉院宝物とは、奈良東大寺の正倉に伝えられた約9千件に
及ぶ品々です。

多くが奈良時代の作で、西域や唐代の作で、西域や唐代の中国のから
もたらされた国際色豊かな品々も含まれます。

模造 螺鈿紫檀五絃琵琶 一面

正倉院宝物の模造製作は、明治時代に奈良で開催された博覧会を期に
始まりました

宝物の修理も手がけた名工たちによる模造製作はその後材料や技法、
構造の忠実は再現を目指すことになります

 

平成最後の年に8年がかりで完成した「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶」
主材は稀少材の紫檀です、乾燥による歪みが生じないように養生期間を
設けながら段階的に加工するそうです、装飾には夜光貝による螺鈿や、
現在では輸入している玳瑁が用いられています

 

様々な素材や技法が複合的に用いられているため、
多くの作り手が連携する必要があり、完成までに
8年もの年月を費やしました

模造 酔胡王面

大仏開眼会の際に演じられた伎楽の面や衣装などの
模造も展示されていました

模造 黄銅合子 一合

およそ1300年の時を経て、正倉院宝物の製作当初の
鮮やかな姿が現代の名工たちの技によってよみがえりました

模造 七条織成樹皮色袈裟 一領 株式会社龍村美術織物

模造 螺鈿箱 一合

 

再現模造の逸品を一堂に集めて公開するのはおよそ20年ぶりだそうです

人間国宝ら伝統技術保持者の熟練の技に触れる展覧会です。

明治・大正・昭和・平成と続き今日にいたる再現模造事業では、継承さ
れた伝統に加え、CTスキャンなどの最新の技術が融合することにより、
内部構造までも再現した逸品が次々と製作されています。

毎年奈良博物館で11月に紹介される正倉院宝物、何回か列に並んで
見たこともありました、いつも大変が行列ができていました。

今回サントリー美術館でゆっくり鑑賞出来ました。

 

(3月7日)

「潮風の散歩道」のハクモクレン (白木蓮)

梅の花を楽しんだあと、桜の花が咲く前にハクモクレンが開きます、今年も「潮風の散歩道」に
ハクモクレンの花を見に出かけました

東陽町駅から5分ほど歩くと汐浜運河に架かる東陽橋の袂から運河沿いの道に出られます

橋の所から汐浜運河沿いのハクモクレンが満開になっていました

 

中に数本のモクレンも植えられています

 

やさしい香りがします、見頃でした

 

ハクモクレンの原産国は中国だそうです

 

道沿いの階段の下には今年も水仙や花韮の花が朝日を浴びていました

 

対岸にもハクモクレンが咲いています

 

早咲きの桜も、満開のようでした

 

たまにボートなどが通ります

 

今年も花桃が咲いていました

 

ハクモクレンの幹に大きなウロがありました、歌っているような口に
見えておかしかった! でもこの木には花が少なかったです

ハクモクレンは気品のある花です、青空をバックにいっそう美しく
見えました、花言葉は「高潔な心」ぴったりな感じですね

ブルーの橋は南開橋です

 

橋の上に出ました

 

暖かな日差しが心地よい朝でした

 

歩いてきた東陽町方面、「潮風の散歩道」は心地良い散歩道です、気温により毎年少し満開
時期が違います、今年はちょうど満開時に散歩ができました。

 

(3月17日)

「江戸三十三観音札所」28番「金地院」

増上寺の裏手東京タワーのすぐ近くでした

 

増上寺から徒歩5,6分でしょうか、思いがけず近かったです

 

徳川家康の政治顧問であった高僧の金地院崇伝(以心崇伝 1569=1633)が元和5年(1619)
江戸城北の丸に創建、京都南禅寺金地院と供に住職を兼務しました

 

勝林山 金地院 ご本尊は「聖観世音菩薩」

寛永16年(1639)に現地に移りました、本堂は鉄筋コンクリート建築、八戸藩の藩主南部家の
大規模な墓所があります

 

とても静かな境内でした

 

東京タワーの足元、すぐ前にある寺院でした

 

 

金地院を出て飯倉方面に向かう坂、この坂の名前は知らなかったです

 

「西久保八幡神社」

虎ノ門5丁目のバス停から高層ビルに囲まれた懐かしい神社が見えました
この日は立ち寄りませんでしたが、本殿が少し見えました、お祭りが
懐かしい思い出です

西久保八幡神社のホームページを見たら懐かしい地名が見つかりました

20番札所「天徳寺」で紹介した古い地名のこと、八幡神社祭礼の時の写真から見つけ
とても懐かしかった。

住んでいたのは「西久保巴町」、地下鉄の駅名に残る「神谷町」そして「琴平町」「桜川町」
懐かしい町名です、お祭りの時にまた行きたいと思いました。

 

(3月7日)

 

「江戸三十三観音札所」22番「長谷寺」

長谷寺 (ちょうこくじ)  曹洞宗大本山永平寺の別院で、曹洞宗永平寺の東京別院です

 

山門を入るとすぐ右手にある「観音堂」には高さ10mもの大観音像が
祀られています、災禍の超えて再生を繰り返した「麻布大観音」です
そしてこの観音堂をもとに江戸時代初期に「長谷寺」が開かれました

 

「法堂」  ご本尊は「釈迦牟尼仏」

伺ったとき法要の最中で外でのお参りになりました

 

「長谷寺庭園」

 

山門を入り右手に「麻布稲荷」がありました

 

こちら「長谷寺」には坂本九さん、阿久悠さんなど著名人が眠る墓地があるそうです。

 

(3月5日)

「江戸三十三観音札所」21番「増上寺」

都営地下鉄大江戸線の大門町駅近くに増上寺の大門があります

 

大門の正面、東京タワーがすぐ近くです

 

「三解脱門」 何度か紹介していますが、懐かしい場所なんです

 

堂宇の配置 大門から大殿本堂に至る道程は、穢土(えど・我々の世界)から極楽浄土に至る
世界を表しています
山門をくぐり、煩悩を解脱して大殿に向かうと、ご本尊である阿弥陀仏が鎮座し、西方極楽浄土
の如き西に位置している点が特徴です

 

右手には鐘楼堂  もうすぐ美しい桜が咲きますね

 

像上寺の大殿の荘厳は極楽の世界を視覚的に表現した造りになっています

増上寺は浄土宗の七大本山のひとつです、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって
江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建された

 

三緑山広度院 増上寺

17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100件を超える学寮が並ぶ大きな
お寺でした、当時は3000人以上の学僧のお念仏が全山に鳴り響いていたと言われています

 

浄土宗大本山   ご本尊は阿弥陀如来

苦難の明治期と戦災を乗り越えた増上寺は、昭和49年(1974)悲願の大殿再建を果たしました

 

安国殿にもお参り、しかしこちらも「江戸三十三観音札所」ではありません

 

安国殿横の「西向観世音」

 

こちらが札所でした

 

小さなお堂です

何度かお参りしているのにこちらが「江戸三十三観音札所」とは
気が付きませんでした

お地蔵さんが並びます

 

増上寺でお参りしてからタワー近くのもう一ヶ寺に向いました。

 

(3月5日)

「江戸三十三観音札所」20番「天徳寺」

懐かしい愛宕山のトンネルです、以前にも紹介しましたが、子供の頃と
子育てをしたころにトンネルから4、5軒並びに住んでいたのです
今はマンションになっています、港区虎ノ門3丁目、昔は西久保巴町
という住所で、住んでいる頃に住所変更になったのです、観音札所の
天徳寺は家のすぐ向かいでした

 

光明山 和合院 天徳寺 浄土宗の寺院  ご本尊は聖観世音菩薩

 

この辺りはお寺が多かったです、総門を入ると庫裏の脇でしょうかかわいい飾りがありました

 

おしゃれな鐘楼ですが、梵鐘は都内では最古の寛永12年(1635)に鋳造されたものだそうです

 

元々は紅葉山(現皇居内)に位置していましたが、江戸城拡張工事により霞が関に移転し、
1611年(慶長16)に現在地に移転しました

 

「江戸三十三観音札所」の案内は見つかりませんでした

 

本堂の前にトラックが置かれて近づけません、工事の係り人達で
しょうか、数人休憩中のようで、本堂でお参りできませんでした
残念ながらご本尊を外からでも見せて頂けなかったのです。

地下鉄神谷町駅から徒歩3,4分のところにあるのに静かでした。

長く住んでいたすぐ近くでもお参りしたことがありませんでした。
廻りはかなり変わりましたが、思い出多い懐かしい場所です。