両国の「すみだ北斎美術館」は昨年11月で開館1周年を迎えました。
1月まで開催されていた開館1周年記念展もにぎわっていました。
出かけた日も青空にスカイツリーが美しく映えていました
少し前の催しになりますが、紹介したいものがありました
開館1周年記念展は江戸時代の趣味人たちが新春に「摺物」と呼ばれる版画を
贈り合う習わしがあったそうです
北斎とその弟子たちも、神様をはじめとする多くのおめでたい図像を
描いています、北斎一門が手がけためでたい作品が展示されました
開館から1周年、まるごと福づくしのおめでたい北斎展です
北斎家の一間 前回紹介できなかった北斎の居間の再現です
北斎の筆を持つ手が時々動きます、リアルすぎて薄暗い部屋ですからちょっとドキッとします
娘のお栄(阿栄)(雅号は応為)晩年は北斎と起居を共にしていました。
父親譲りの画才で特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代作をしたとも
いわれる。
北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と語ったとも伝えられる。
「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、
そのまま号としたとも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と
大津絵節から取って呼んだからという説や、あるいは北斎の雅号の一つ
「為一」にあやかり、「為一に応ずる」に意を込めて「応為」と号した
とする説もあるそうです。
応為の性格は父の北斎に似る面が多く、やや慎みに欠いたという。
男のような気質で任侠風を好み、また衣食の貧しさを苦にすることは
なかったといわれる。
応為は北斎に似ていたが、ただ煙草と酒を好んだという。ある日、
北斎の描いていた絵の上にキセルからたばこの火種を落としたことがあり、
これを大変後悔して一旦禁煙したものの、しばらくしてまた元に戻って
しまったという。(北斎の弟子露木為一の証言による)
北斎親子は魅力的です。
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