「東京国立博物館」で23日まで開催していた「クレオパトラとエジプトの王妃展」に出かけて、
香港の友人Cameliaさんの希望でブログにすることにしました。
エジプトは興味がありますが、長い歴史を持つ国です。
古代エジプト史の中には何百という王妃がいたはずですが、その生涯について記録が残っている
王妃は多くありません。
ルーブル美術館、大英博物館、ボストン美術館、ベルリン・エジプト博物館など
世界14カ国の美術館、博物館のエジプトのコレクションが一堂に集結しました。
主役は王妃と女王、ファラオを支え、国を支えた女性たち4人を紹介します。
「王妃ハトシェプスト」 ハトシェプスト女王治世(前1473~前1458頃)
若々しい姿で表わされている可憐で美しい姿、これは女王として権力を行使した
時代ではなく、トトメス2世の王妃であった時期のものであると推定されますが、
王妃ハトシェプスト2世ではない可能性もあるとか。
壷を捧げるハトシェプスト女王 敏腕にして辣腕エジプト史に君臨する女王。
第18王朝のハトシェプスト女王は完全な王権を掌握した数少ない王妃でした。
ハトシェプスト女王の彫像やレリーフは、付け髭までつけた完璧な王の姿で
描かれています。
トトメス2世のレリーフ トトメス1世の息子、異母姉妹の女王ハトシェプストと
結婚することで王位に付いた、トトメス2世の冶世は短く王の死後、幼少の
トトメス3世が即位した、当時王妃ハトシェプストは摂政として補佐したが、
その後、自ら女王として自ら実権を握った。
アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ アメンヘテプ3世治世(前1388~1350)
額には上下エジプト王冠を被った2匹の聖蛇ウラエウスがつく。 頭上には日輪を
持つコブラが取り巻いた台座に2枚羽根をもつ王冠を戴く。
夫のよき助言者として、国政や祭儀のなかでも傑出した役割を担っていたと
されます。
アメンヘテプ3世の寵愛を受けた正妃ティイのレリーフが発見された墓の全貌が
明らかになりつつあるようです。 (ツタンカーメン王の祖母でもありま)
ネフェルトイティ アマルナの王妃 アクエンアテン王冶世(前1351~
前1334)
この時代ありのままの姿を表現する写実的な美術表現が誕生した
穏やかで美しい表情を浮かべている王妃の像の頭部ですが、王妃ネフェルトイティ
ではなくアクエンアテン王の王妃のひとりで、ツタンカーメン王の母親とされる
王妃キヤとも考えられている。
ネフェルトイティのレリーフ 髪を側頭部で束ねた髪型は王女を表わしている。
王妃ネフェルトイティの名を持つレリーフ
ネフェルトイティといえば、ベルリンエジプト博物館が所蔵する端正な顔立ちと
豊な色彩が施された胸像が有名だそうです(参考)
そしてクレオパトラ女王
古代エジプト最後の王朝プトレマイオス朝、この王朝最後の支配者がクレオパトラ、
エジプト最後の王妃であるとともに、自ら国政を行った最後の女王です。
クレオパトラの彫刻の頭部とされますが、クレオパトラ女王を表わす確実な作品は
それほど多くはなく、この彫像のように断片であり、銘文がないものが多い。
さらに彫像の同定をより困難にしている要因のひとつには、クレオパトラ女王は
美女であるという先入観があるためとも考えられるそうです。
デンデラのハトホル神殿のレリーフには、伝統的な王妃の姿で、イシス女神や
ハトホル女神の象徴である角と二枚羽根で髪を飾り、神々を讃えて楽器を
奏でる姿が描かれています。
プトレマイオス王朝時代(前200~前30年頃)
プトレマイオス朝の王妃の像で、手には豊穣の角を持つ姿で表わされている。
この像は衣服などから前2世紀あるいは前1世紀頃のもので、最近の研究では
ヘアスタイルからクレオパトラ女王と考えられている。
クレオパトラ女王は美貌というよりも、その言動によって人々を魅了する
カリスマ性を持っていたようです。
ダニエル・デュコマン・ドゥ・ロクレ作クレオパトラの死を題材とした作品、これは
クレオパトラ女王の自殺の場面を表わしたもので、右手に腕輪のように毒蛇が
絡みついている (1852~53)
クレオパトラ女王の死を描いた作品の多くは歴史上の重要な出来事としてではなく、妖艶な美女の
死の瞬間をエキゾチックな形で切り取ったものであるようです。 (1878~779)
オクタヴィアヌスにカエサルの胸像を示すクレオパトラ (1755)
囚われの身となったクレオパトラ女王が、勝者であるオクタビアヌスに嘆願する
場面を描いている。
クレオパトラが自分の最初の恋人カエサル思い出を語ることでオクタビアヌスの
心を解こうとした。
上の作品と比較すると100年の間にクレオパトラの肖像、テーマそして解釈に
大きな変化があったことが明確です。
ここでは描かれた当時の現代的な衣装を身にまとった威厳に満ちた女王の姿が
見られる。
カエサル クレオパトラ女王と恋に落ち、プトレマイオス朝の
後ろ盾となったローマの英雄カエサル(シーザー)の胸像。
ブルータスによる暗殺後に製作されたもの。
老練な軍人で、政治家である姿を表わしている。
オクタビアヌス マルクス・アントニウスとクレオパトラ女王の連合軍を
打ち破り、プトレマイオス王朝を滅ぼした。
前30年にクレオパトラが自殺した時、オクタビアヌスは32才。
美しい腕輪 紅玉髄、ラピスラズリ、ガーネット、金の4種の材料のビーズを
金線に通して7連に束ねている、留め金も金で、中央の金製の板には安産の
神タウレト女神が型押しされている
スカラベ形印章付指輪
スカラベはその習性から太陽神ケプリとして崇められた
こちらも上のとよく似た高価な貴石と金でデザインされた豪華な腕輪で、
王妃や王女など王家の女性のために用意されたもの
蛇のモティーフ宝飾品は、比較的後代ののものである
バカレシとイシスのステラ(石碑)で墓に副葬されたものと思われる。
供物台を挟んで向かって右側にバカレシ、左に彼の妻イシスが描かれている
イシス女神に捧げものをするシェションクⅠ世のレリーフ シェションクⅠ世冶世(前945~924年頃)
王妃イアフメス・ネフェルトイリのレリーフ(前1292~前1186年頃)
レリーフの女性たちが美しくて、印象に残りました。
王妃のマスク (前1550~前1292年頃)
この金箔を施したカルトナージュ製のミイラのマスクは頭部などに羽根模様が
装飾されていることから王妃のマスクと考えられている。
定形の供養文が記されているが、名前の部分は空欄になっている。
マスクの質の高さから既製品であるとは考えにくい。
古代エジプトの王ファラオは絶大なる権力を持つ専制的は支配者でした。
王には原則として男性がなりましたが、古代エジプトの社会では女性の地位が
比較的高く、王妃たちは王の配偶者として政治を支えました。
王は数多くの妻と側室を持ち、その王妃のなかには、「王の母」や「王の妻」
といった称号が与えられました。
。
およそ3000年を超える期間に約30の王朝がエジプト史を紡ぐ中、20世紀末に
なり始めてファラオと運命をともにした妻たちにスポットライトがあたりました。
彫像やレリーフ、そして記念碑の碑文が教えてくれる王妃の公的な肖像は
彼女たちの真の姿を充分には伝えてはくれません。
必ずしも王妃が王家の血筋から選ばれたのではないことは分かっています。
最近の研究により、国の行事に関する責任を王とともに王妃が担っていたことが
明らかになっているようです。 (図録より)
コメント
しなこじさん
おはようございます!
クレオパトラは絶世の美女といわれていますが
後世の芸術家にとって、格好の題材ですね。
カリスマ性があったことは間違いないと思います。
こうして拝見させていただくと
絵画よりも彫像のほうがリアリティーがあります。
歴史をめぐるロマンは誰も真実を証明できない分、
想像の翼が広がって楽しいですね。
雲母舟さん
いつもコメント有り難うございます。
博物館で見た時は展示物にちょっと物足りない気がしましたが、
図録を読んでみて理解できた部分がありました。
友人がエジプトやベルリン美術館で見てきて懐かしかったと
メールをもらいました。
エジプトの歴史が長いわりには王妃たちが紹介されたのは
最近のことなのですね。
クレオパトラはどうしてもエリザベステーラーを思い浮かべてしまう
世代です。