五色沼を見物したあと、鶴ヶ城を見に行くことにしました。
お濠も美しく色づいていました
もみじも色鮮やかです
廊下橋を渡ります、天守閣が見えています
鶴ヶ城は桜の名所です、桜の木も美しい色に染まっていました
幕末の戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われました。
鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てました。
展示してある武器を見ると大河ドラマを思い出します
戊辰戦争後天守閣は政府の命令により取壊されました、天守閣が復元されたのは昭和40年のことです
天守閣に上がってみました、オレンジ色に染まっているのは桜
会津若松の町並みが見渡せます
会津磐梯山がくっきり見えました
鳥居は鶴ヶ城稲荷、銀杏も見ごろでした
「茶室麟閣」 千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。このとき千利休の茶道が途絶える
ことを惜しんだ会津の領主蒲生氏郷は、利休の子の小庵を会津に匿い「千家再興を」を願い出ました
この結果小庵は京都に帰り、千家茶道は小庵の子「宗旦」に引き継がれ、その孫により武者小路家、
表千家、裏千家の三千家が興され現在に伝えられています
この「麟閣」は小庵が会津に匿われていた時、氏郷のために造ったと伝えられています
南走長屋は干飯櫓に続きます、干飯櫓は城内にあった11棟の櫓(やぐら)の中で一番大きかった櫓です、
文字通り「食料庫」であったと思われるそうです (復元されたもの)
天守閣はこちらが正面でしょうか
南走長屋の途中の鉄門
見る角度で表情が変わります
赤い色がピンクに変わる桜の時期も美しいことでしょう
会津城下の生みの親は蒲生氏郷(がもううじさと) 統治はわずか4年でしたが地名を若松に改め、
城下町の基礎を作り、今よりも高い七層の鶴ヶ城を築きました
「武者走り」 この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓などへ簡単に「昇り」「降り」
出来るように造られています。
V字型に作られて「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城の石垣の特色のひとつです
神社のところは銀杏ともみじの競演でした
石垣に這う蔦も色づきます
階段を上ってみました
もみじの紅葉がひと際美しかった
要衝の地、会津は何代もの領主や藩主によって治められました
この季節に行くのは初めてです
美しい濠でした
桜ともみじのコントラスト、そして石垣と緑と青空、最高の会津城散策になりました
二の丸を通過して
会津城をあとにしました。
会津若松を訪れるのは3回目ですが、いづれも違う季節で、前回は雪景色でした。
冬の只見線で小出(新潟)に出たときですが、豪雪地域を走る只見線は特に冬は雪に阻まれて、
会津若松から小出まで行ける日は限られていました。
小出まで直通は1日3本、13時半出発の列車で出発できるかが気になり、訪れていた鶴ヶ城から
駅に電話で確かめたことを思い出していました。
雪景色も美しかったですが、この日の紅葉の景色は見事、日時を選んでもなかなか見られない
美しい紅葉の鶴ヶ城は印象深いものになりました。
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