【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

個性ある夏祭りが、ツアーの夜を彩ります
遺跡、集落跡、復興へ向かう街へ
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会津 「鶴ヶ城」

五色沼を見物したあと、鶴ヶ城を見に行くことにしました。

 

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お濠も美しく色づいていました

 

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もみじも色鮮やかです

 

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廊下橋を渡ります、天守閣が見えています

 

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鶴ヶ城は桜の名所です、桜の木も美しい色に染まっていました

 

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幕末の戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われました。
鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てました。

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展示してある武器を見ると大河ドラマを思い出します

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戊辰戦争後天守閣は政府の命令により取壊されました、天守閣が復元されたのは昭和40年のことです

 

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天守閣に上がってみました、オレンジ色に染まっているのは桜

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会津若松の町並みが見渡せます

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会津磐梯山がくっきり見えました

 

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鳥居は鶴ヶ城稲荷、銀杏も見ごろでした

 

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「茶室麟閣」 千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。このとき千利休の茶道が途絶える
ことを惜しんだ会津の領主蒲生氏郷は、利休の子の小庵を会津に匿い「千家再興を」を願い出ました

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この結果小庵は京都に帰り、千家茶道は小庵の子「宗旦」に引き継がれ、その孫により武者小路家、
表千家、裏千家の三千家が興され現在に伝えられています

この「麟閣」は小庵が会津に匿われていた時、氏郷のために造ったと伝えられています

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南走長屋は干飯櫓に続きます、干飯櫓は城内にあった11棟の櫓(やぐら)の中で一番大きかった櫓です、
文字通り「食料庫」であったと思われるそうです (復元されたもの)

 

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天守閣はこちらが正面でしょうか

 

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南走長屋の途中の鉄門

 

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見る角度で表情が変わります

 

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赤い色がピンクに変わる桜の時期も美しいことでしょう

 

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会津城下の生みの親は蒲生氏郷(がもううじさと) 統治はわずか4年でしたが地名を若松に改め、
城下町の基礎を作り、今よりも高い七層の鶴ヶ城を築きました

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「武者走り」 この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓などへ簡単に「昇り」「降り」
出来るように造られています。
V字型に作られて「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城の石垣の特色のひとつです

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神社のところは銀杏ともみじの競演でした

 

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石垣に這う蔦も色づきます

 

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階段を上ってみました

 

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もみじの紅葉がひと際美しかった

 

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要衝の地、会津は何代もの領主や藩主によって治められました

 

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この季節に行くのは初めてです

 

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美しい濠でした

 

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桜ともみじのコントラスト、そして石垣と緑と青空、最高の会津城散策になりました

 

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二の丸を通過して

 

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会津城をあとにしました。

 

会津若松を訪れるのは3回目ですが、いづれも違う季節で、前回は雪景色でした。
冬の只見線で小出(新潟)に出たときですが、豪雪地域を走る只見線は特に冬は雪に阻まれて、
会津若松から小出まで行ける日は限られていました。
小出まで直通は1日3本、13時半出発の列車で出発できるかが気になり、訪れていた鶴ヶ城から
駅に電話で確かめたことを思い出していました。

雪景色も美しかったですが、この日の紅葉の景色は見事、日時を選んでもなかなか見られない
美しい紅葉の鶴ヶ城は印象深いものになりました。

 

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