「江戸三十三観音霊場」 1番 金竜山 浅草寺

子供のころから出かけている大好きな浅草ですから、「江戸三十三観音霊場」1番札所でも
最初にお参りに行かなかったことが気になり、この日出かけることにしました

 

雷門の大提灯の裏側にかかれてい文字は風雷神門でした

 

朝9時過ぎ頃だったので参道の仲見世も開いてなく、人通りもまばらで久しぶりの光景です

 

山門は942年に創建され、その後、度重なる火災により焼失するが、その都度再建されてきた、
1648年には徳川家光の寄進により本堂、五重塔とともに再建されたが、1945年3月10日の
東京大空襲により。本堂、五重塔、経堂とともに焼失、現在の山門は1964年(昭和39年)に
再建された鉄筋コンクリート造で、経堂を兼ねた建物

本堂の創建は古く628年、江戸浦(隅田川)で地元の漁師、檜前浜成(ひのくまはまなり)・
竹成(たけなり)兄弟の網に黄金の観世音菩薩像がかかりそれを祀ったのが始まりと伝えられ
ています、しかし創建された長い歴史において幾度も被災し、再建されました。

江戸時代には徳川家康が祈願所とし、上野寛永寺、芝増上寺と並び隆盛を極めました

浅草寺の本堂はご本尊の聖観音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれます
階段の上にせり出した直径4,5mの大提灯が掛かる本堂です

 

本堂内は「施無畏」と書かれた扁額がかかる外陣と内陣に分かれている

座敷内の内陣には中央にご本尊を泰安する御宮殿(ごくうでん)があり、その内部にお逗子が
安置されています、ご本尊聖観世音菩薩は秘仏です

毎月18日観音さまのご縁日の本堂参拝の折は内陣に上がり、観世音菩薩のお慈悲を
身近に感じることができますと書かれてありました

江戸時代の参拝者は天井を見上げて天人にも祈願していたようです

 

五重塔  最上階には、スリランカのイスルムニヤ寺院からの仏舎利が
納められている

1973年に再建された鉄筋コンクリート造りの塔で、外から見ると、塔は
地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の
上に建っていることに今回初めて気が付きました。
塔の部分だけ見ていてのでした。

 

やはり三十三観音霊場の第1番 浅草の観音さんで親しまれている浅草寺に
お参りして気持ちは落ち着きました。

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