【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

個性ある夏祭りが、ツアーの夜を彩ります
遺跡、集落跡、復興へ向かう街へ
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厳原散策(いづはら)散策

「城下町厳原」 厳原には7世紀から対馬国国府がおかれ、行政・文化の中心地として
栄えました。
藩政時代は府中とも呼ばれ、明治維新後に厳原と改称されました。

 

厳原はフェリーで到着した対馬で一番賑やかな町でした、散策をしていたらこんな絵のバスを
見かけました、対州馬とツシマヤマネコはやはり人気ですね

 

金石城入り口  金石城(かねいしじょう)の東端部で、城内への入り口として重要な場所の
ようで、現在は博物館です

 

 

二人は博物館へ、私は一人で別の目的地に向かいます

 

1665年対馬藩三代藩主が城郭整備を行い、1669年櫓門を築いてからは
金石城と呼ばれるようになりました

 

文化年間に火災で焼失、再建されましたが、大正時代に再び解体
平成2年に記録に基づいて再現された3代目の櫓門だそうです

 

旧金石城庭園  宗家の居城であた金石城の庭園です、長年土砂に埋もれた状態でしたが、
発掘調査・復元工事の結果、近世庭園としては希少な意匠・構造を持ち、構造の状態も
良好であることから、国の名勝にしてされました

2008年5月から一般公開されているそうです、趣の違う庭園でした

 

目的地「万松院」の山門が見てきました、2代藩主宗義成が父義智の冥福を祈って1615年に
建立し、宗家の菩提寺として特別の崇敬を受けてきました

 

徳川歴代将軍の位牌も安置されています

 

朝鮮国王から送られた三具足なども飾れていました

 

百雁木(ひゃくがんぎ=132段の石段)を登ると、歴代藩主の壮大な
墓所(御霊屋)があるようですが、怖いような静けさでした

 

桃山様式の山門です

対馬の藩主・宗家の格式は10万石で、その高さが菩提寺である万松院にしのばれます。

外交・文化使節団「朝鮮通信使」は府中を経て、対馬藩の先導・護衛のもと瀬戸内海を航海し
江戸に向かいました。
対馬は大陸との文化、貿易の窓口として栄え、韓国釜山には対馬藩士など600人が知財する
「草梁萎館」が置かれるなど、独自の外交機能を発揮していました。

 

万松院を後に待ち合わせ場所の博物館に向かいました。

 

 

対馬博物館では特別展「朝鮮通信使」を見ました。

朝鮮使節団の行列の賑わいや、思いがけない交流など知りました。

 

厳原の町見物は続きます。

 

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