【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

個性ある夏祭りが、ツアーの夜を彩ります
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横浜「三渓園」

三渓園は、明治時代末期から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓
(本名富太郎)が、東京湾に面した”三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造り上げた、広さ175000㎡の
日本庭園です。

 横浜上海友好園からすぐ近くに三渓園の南門がありました、こちらから入園するのは初めてでした

 

明治39年(1906)に一般公開された外苑と三渓が私邸とした内苑の二つの庭園からなり、京都や
鎌倉などから集められた17の歴史的建造物と、四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころ、蓮の花を見に早朝に訪れた事もありましたが、久しぶりで楽しみでした

南門は友好園のすぐ近くでした

 

松風閣の展望台からの眺めを楽しみました

 

東京湾の景色が一望できます

 

松風閣を出ると出世観音の前を通り、「旧燈明寺三重塔」は近くです

 

公園内のほとんどの場所から見えている三重塔(重要文化財)移築年は1914年ですが、京都
木津川市の燈明寺(廃寺)にあった室町時代の木造の塔(関東地方の木造塔では最古)だそうです

眼下に緑いっぱいの景色が広がります

 

彼岸花が見られました

 

「寒霞橋」と石灯籠が素敵でした

 

「横笛庵」横笛像が安置されているようです、今から800年ほど前、平清盛の娘・建礼門院徳子に
仕えた女官で、出家後に住んだと言われます

 

まだ気温は高めでしたが、園内の緑に癒されました

 

大きな合掌造りの屋敷の前にでました「旧矢箆原家住宅」(やのはら)江戸時代後期建築、白川郷
からの移築は昭和35年、園内の歴史的建物の中で唯一内部を見学できる建物で、式台玄関や書院造
りの座敷など農家ながら立派な客室の空間を備え、現存する合掌造りでは最大級の民家、ダム建設
のための水没地域にあったため移築されたそうです

屋敷内の2か所に囲炉裏があり、家用と接客用だったとあとで知りました、飛騨の三長者のひとり
の家だったそうです

 

「十五夜」が近い日だでした

 

綿花でしょうか、珍しかったので撮ってみました

 

古き良き日本の景色です

 

小さな流れの畔の彼岸花とカラス

「旧燈明寺本堂」 建築は室町時代(1457)移築は昭和62年、三重塔と同じ京都燈明寺から移築

 

天満宮の前の橋、歓心橋

 

「三渓園天満宮」

 

大池畔の木で見かけた蝶は大きくてとてもきれいな色でした

 

この日見かけた一組目のカップル

 

日が良かったのでしょうか、二組目のカップルも、写真を撮っていました

 

御門の所で三組目のカップル、皆さん結婚式写真の前撮りでしょうか

 

三渓記念館に立ち寄りました、見終わって出てきたところで館内が停電のアナウンスがあり、
しばらく続いていました、見学てきてラッキーでした

 

三渓記念館の入り口ロビー、以前ここで一休みした覚えがあります

 

小さな屋根が付いた木造の橋

 

内苑の「臨春閣」

 

「旧天瑞寺寿塔覆堂」 建築年桃山時代(1591)移築年明治38年(1905)豊臣秀吉が
京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築

 

四組目のカップルも撮影中

 

「聴秋閣」 建築年江戸時代(1623)移築年大正11年(1922)京都二条城にあったと言われる
徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築

 

「春草蘆」 建築年 江戸時代(小間)広間部分は三渓園に移築後増設大正11年(1922)
三畳台目(3,8畳ほど)の小間は織田信長の弟・有楽作と言われる茶室

 

何組ものカップル記念写真の場面に出会った日でもありました

 

「蓮華院」  建築年大正6年(1917)  三渓の構想による茶室だそうです。

 

長かった暑さも落ち着き、横浜の息子の家から出かけた「三渓園」はとても素敵でした。
蓮の花の季節とその前に一度の3回目でしたが、また新しい発見もありとても良い散策でした。
季節を変えてまた訪れるのもいいですね。

 

(9月26日)

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