息子夫婦のところへ泊まった翌日案内してもらいました、ベランダから屋根が見えているけど歩くと
かなりの距離があり、30度を越す気温にちょっときつかったです。
JRの線路沿いの道です、平行して京浜急行も通ります、最寄り駅から京急だと3駅鶴見駅近くです
「大本山總持寺」につきました、開創は700年余りもさかのぼります。
石川県能登總持寺の開創から数えて591年目の明治44年この地に移転しました。
学校もあるので若い人たちも多く見かけます。
總持寺の総門、「三樹松関」と書かれた扁額、總持寺の祖院がある能登には見事な龍の形をした
松樹があったことに由来しています。
総門棟の続きの右奥に「新到安下所」があります。
仏道を志す修行僧が最初にワラジを脱ぎ宿泊する建物だそうです。
三門 鉄筋コンクリート造りでは日本一です
寺域だけでも8万坪とか、初めてのお寺さんでどちらから見せていただこうかと思いました。
三門を抜けて振り返ると確かに立派な三門です
向唐門 勅使門です
こちらの長い廊下を見て福井県の永平寺を思い出しました、同じ曹洞宗の大本山でした
長い廊下には3箇所に門がありますがここが「玉兎門」 夜を表わしています
昼を表わす中雀門とその先の金鶏門は朝を表わしているようです
「仏殿」七堂伽藍の中心部に祀置されている殿堂 禅宗のご本尊釈迦牟尼如来は中央の須弥壇上です
「大雄宝殿」とも呼びます
「大祖堂」 開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿
静かな寺域です
戻ると駐車場のところに慰霊碑ありました。
これは昭和38年(1963)11月、新子安、鶴見間で脱線転覆した貨物列車に
衝突した上り横須賀線電車が脱線、さらに横須賀線下り電車が衝突して
大惨事になった事故の慰霊碑です。
このお寺さんはこの人でも有名で、昭和の大スター
真新しいお塔婆に最近年忌があった様子、調べたら30回忌だとか
そんな昔になるのですね。
石原裕次郎さんの墓前には沢山の花が供えられていました。
エアコンの効いた休憩室で一休みできて、これは近くで見かけた電話ボックス。
始めて訪れた「總持寺」広い寺域は樹木も庭もとても美しく心休まる
お寺さんでした。
講和や座禅も行われているようです。
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