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高知の旅最終日

高知の旅4日目の最終日も朝からの雨模様にがっかりでした、前日五台山の竹林寺や植物園で
雨に濡れて、雨はもううんざりで、この日は市内の中心地のアーケード街を歩きました。

 

「はりまや橋」有名な橋ですがこんなに小さな橋なんですよ、ここは以前見た時のことを
よく覚えていました、この辺りからアーケード街が近く、かなりの距離なので雨の日は
特に助かりました。

 

 

アーケード街の帯屋筋商店街の入り口の所にあるひろめ市場は地元の人たちはもちろん、
観光客にも人気の市場で賑わっていました、中には多くの商店が並びます。

 

 

高知に行ったらこれを食べなければと勧められたのはカツオのたたき、ところが私は
マグロをはじめ生魚は苦手なんです、でもせっかくなので注文、恐る恐る食べたのですが、
気になった生臭みもなく食べられました。
あと一品はこれも名物ウツボのから揚げ、こちらは美味しくいただけました。

旅の初日に食べたのですが、同じテーブルでビールを楽しんでいた一人旅の女性と話しました。
名古屋空港に勤務だそうで、ひと時おしゃべりができて楽しいランチになりました。

一人旅の気がかりは食事です、最終日にもこの市場の別のお店でカツオのたたきを食べました。
パンフレットにあったおいしそうな名物野菜寿司やウナギも食べたかったのですが、一人では
飲食店に入りにくく今回は諦めました。

 

7日の夕刻高知空港から東京に戻ったのですが、高知は午後まで土砂降りで、低気圧のため
東京からの便が遅れて、羽田空港到着が1時間以上遅れました。

 

自分から高知旅行をと願い出かけた旅ではなく、2日も雨でがっかりもしました、でもこうして
ブログにまとめているとよい思い出になったと自分ながら意外でした。

 

(4月7日)

 

高知県「牧野植物園」

牧野植物園南門近くの温室内のこのサボテンは覚えていませんでした

 

牧野植物園のバス亭は竹林寺の一つ先です、でも竹林寺でバスを降りた時に植物園の入り口が
見えて不思議に持ったのですが、竹林寺の見物が終わったとき雨もかなり降っていたのでその
入り口に行ったら、思いがけず(MY遊バス)竹林寺前の停留所が植物園の南門の所でした、
バスをひと停留場乗らないといけないと思っていたので嬉しかった。

衣類が少し濡れてましたから建物内の展示は嬉しく一息付けました、でもはじめは花も
あまり目に入らずゆっくりスタートしました。

写真を撮ったのでこの温室の花はきれいだったのは覚えているけど、気持ちが落ち着くまで
よく覚えていないのです

温室内は暖かくてほっとしました

ゆっくり見物して気持ちも落ち着きました

珍しい花を見かけましたヒスイカズというマメ科の植物で、フィリピンの固有種、ルソン島
やミンドロ島の低山の標高100~1000mの熱帯雨林の渓谷に自生しているそう、ここでは3~5月
が開花時期で、花の長いものは1m以上にもなるそうです、握りこぶしほどの特異なさやの実が
生ると説明にありました

先の見えない細い階段の道を行くか、このまま道なりに行くか迷いましたが、雨もかなり
降っていて濡れた足が気になり、この道に入るのを諦めました

オオデマリも咲いていました

こちらの道を進んだのです

咲いている花には(咲)という札があります

こういう場所でもよく見ると、何種類もの花が見られます

ひときわ色鮮やかなのはキリシマツツジでした

オキナグサ、こんな姿は初めてでした、翁草は和名のようですが、ぴったりですね

 

晴れていたらこの先の広場に行きたかったです

雨を逃れて建物の中に入りました

これが桜草ですね

似た花に見えましたが、名前を見ると全部違いました、たくさんの種類があるのですね

外に出ると牧野富太郎氏の銅像が見えました、先ほどの50周年記念庭園を行くとこの前に
出たのでしょう

ここは残念ながら登る元気がありませんでした

起伏に富んだ地形を利用、自然環境と調和を意識して、各植物を適地に栽培しているそうです

ようやく建物のある所に着きました、回廊があると教えてもらった展示館でした

こんな展示もありました

NHK朝ドラに出演の方たちもいらしたようですね

植物分類学の研究に94年の生涯を捧げた高知県出身の植物学者牧野富太郎博士
(1862~1975)

高知の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を見つけて
いきました
1884年、22歳で上京し、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の
研究に打ち込むようになります

94年の生涯において収集した標本は約40万枚といわれ、蔵書は約4万5千冊を数えるそうです
新種や新品種など1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として
知られています

からくり人形で独自の世界を構築するムットーニが、初めて実在の人物「牧野博士」を
モデルとして生み出した作品です
ある夜、植物学者の目の前で標本が動き出し、故郷の初年時代へと彼をいざないます

1940年には現在でも研究者や愛好家の必携の書である「牧野日本図鑑」を刊行

牧野博士を育んだ高知県の豊かな自然を、山地から海岸に至るまで多様な環境に生育する
植物を自然さながらに観察できます

展示館シアターもありました

ようやく回廊のところに出て、屋根の下を歩けました

回廊脇にも花がいっぱい見られます

「植物園を造るなら五台山がええ」90歳を超えた牧野博士のこの一言で、四国霊場第31番札所
「五台山竹林寺」跡の周辺を譲り受け、1958年に開園したそうです

こちらが正門を入ったところでした、ここから入場しようと思っていたのです

 

 

記念館本館にレストランがあったのでランチを楽しみました

 

シェフお勧めの一皿はチキンのレモンソースという名前だったと思います

パリッと焼かれたチキンに地元の生姜とレモン味のソースは爽やかでとても美味しかった
ご飯にもよく合いました(こちらはご飯のみです)

 

帰りは土佐の植物生態園の中を通り、正門からバス停に向かいました

 

ユキモチ草が咲いてますとの札

ここから入る予定だった正門に着きました

竹林寺のひとつ隣のバス停が植物園の正門前です、バス停ひと停留所分もの広さがある
植物園です。
この日は竹林寺とこの2か所で一日過ごす予定でした、雨だったのが本当に残念でした。

 

MY遊バスは桂浜が終点でしたが、この天候では諦めて高知駅に戻りました。

(4月6日)

 

余談ですが、92歳の親しい友人が、昔住んでいた近くにいつも庭に草がいっぱいな
家があり、どうして草を取らないのかしらと思っていたお宅が牧野さんの家だったと
後で知ったそうです。

 

(4月24日、昨日が牧野氏のお誕生日でした)

五台山「竹林寺」

高知の旅3日目はバスで目的地まで行くことにしましたが、朝から雨が降っていました

駅前の観光会館の横から出発のバスのチケットは買ってありました、9時出発です

 

30分ほどで最初の目的地である竹林寺に到着 山門に向かいました

 

五台山 竹林寺 四国霊場第31番札所 雨の中でも何人かのお遍路さんも見かけました

 

こちらはお参りだけして本堂への参道に戻ります

 

雨の中は風情もありますが、、、

 

本堂(文殊堂) 文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂と呼ばれる本堂は1644年、土佐二代
藩主山之内忠義公により造営されました

 

今日こちらに現存する最古の建造物、国重要文化財です、お参りさせた頂きました

 

四国巡礼のお遍路さんでしょうか、私のような旅行者と違い予定の日程で周るのでしょうから
雨の日は気の毒と思いました

 

五重塔 古くは三重塔があったそうですが、明治32年の台風により倒壊
塔再建を悲願とし、昭和55年、高さ31m、総檜造り、鎌倉時代初期の
様式をもつ、五重塔として復興しました

塔内にはインド・ブッタガヤより勧請された仏舎利を納め、初層内陣に
大日如来をお祀りしているようです、外からのお参りになりました

 

大師堂 弘法大師を祀る太師堂、本堂とは対照的に簡素な趣のお堂です

 

新緑が一段と美しい参道です

 

雨の中さすがに参拝する人が少なかったです

 

ひと時心を癒してもらったツツジは色鮮やかでした

もう一度「虚空蔵菩薩堂」の前を通り、書院に立ち寄りました

 

雨の中でしたが、庭園も見たかったのです

 

ふすま絵に少し驚きパンフレットを見ました、「竹林寺x宿り音サウンドインスタレーション」
こちらは3月11日~4月9日  (バックに音楽が流れていたような気もします)

竹林寺所蔵の昭和38年に制作された襖絵、堂本印象画伯出展作品「風神」「雷神」「太平洋」
「瀬戸内海」  抽象で描いた初めての襖絵だそうです

迫力ある斬新な襖絵でした

竹林寺開創1300年記念特別公開 体感! 堂本印象-その美の世界
「竹林寺襖絵x宿り音サウンドインスタレーション」とパンフレットには書かれていました

(音楽は及川潤耶氏)

 

庭に気を取られて、襖絵を見ただけで通り過ぎてしまいました

 

書院・名勝庭園  入母屋造りの主屋、切妻造りの玄関、庭園と一体となった江戸時代後期の
四国地方に希少な書院建築として高い評価が認められているそうです

 

書院を取り囲むように広がる庭園は、鎌倉時代後期に作庭、江戸時代中期に今の姿に
改められたといわれます、高知県下三名園のひとつに数えられ、2004年に国名勝の指定を
受けたそうです。

 

「秘仏本尊文殊菩薩の特別ご開帳」は、4月15日から1か月でした。

開山・行基作と伝えられる本尊・文殊菩薩は古来「日本三文殊隋一」の
霊場と尊ばれています。

本尊は秘仏にして50年に一度のご開帳と定められていますが、この度の
百年に一度の記念にあたり、特別ご開帳です。(次回は2064年)
本堂内陣で、文殊菩薩さまを直接拝むことができるそうです。

この日は4月6日、旅の日程が決まってから知り、本当に残念でした。

土砂降りの雨の中、山門前から少しの間去りがたい気持ちでした。

 

次の目的地は「牧野植物園」です。

モネの庭の「花の庭」

水の庭と駐車場を挟んで反対側に花の庭があります。

 

ギャラリーとショップがある建物から入ります。

 

ショップは下でした、お土産を少し買いました

 

チューリップと忘れな草はちょうど見頃

 

上から見た時、丸く人が集まっているので何かしらと思ったら皆さん寄せ植えをしている
様でした、庭で育てた花苗の販売をているそうです。

 

庭師さんにあちこちでバラが咲き始めていると教えてもらいました、
この大きな木に巻き付いたバラもその一種、見上げるとピンクの花が
数輪見えました。

色彩別の花壇も素敵です。

 

上の右側がカフェモネの家、左がギャラリーです。

 

花に止まって蜜を吸っているチョウにアッピールするかのように近寄るもう一匹のチョウ
でも蜜を吸うのに夢中なチョウは振り向きもしません、少しの間見てました、、、

 

庭師さんに教えてもらったもう一ヶ所はモッコウバラでした、たしかに咲き始めていました。

 

カフェテラスがあるのは庭が見渡せるこんな位置です。

 

メニューも事前に調べておいたのに、この日は外国の団体で11時半の開店から1時まで
貸し切りでした。

 

近くに食事ができるところがあるわけでもないので仕方なく隣の手作りパン工房のパンで昼食、
この日ここで食事を予定していたらしき人は皆さん貸し切りを知らなかったようでした。

 

すっかり見物してからだったのでおなかも空いていたし、がっかりでした。

 

結局バスは予定していた13時9分まで1時間も待たなくてはならならず、
もう一度ギャラリーに戻りました。

 

ギャラリーには休憩所がありこんな新聞を読んで待ちました。

 

お土産は買ってしまったけどもう一度見て回りました、プリントが美しい傘も素敵でした

 

この日のごめん・なはり線のフリー切符、高知駅から後免までは別料金260円だったかしら。
1日フリー切符の文字は車掌さんの手書きです。

 

夜須駅ホーム

奈半利駅で電車が一緒だった私よりかなり若い女性のほかに乗客も少なく、安芸で電車を
乗りかえるのに小さなホームで待つ間、その女性と話をするようになりました。
その人が東京にいたころ通っていた大学が私が中高通った学校から近くてお互いに学校を
知っていたので話が弾みました。

今は高知にお住まいで、用事で奈半利まで出かけたけた帰りだったそうで、乗り換えた
列車が高知行きで私は迷ったけど予定通りこの夜須駅で降りることにしました、そして
降りようとしたとき高知名物の芋けんぴを一袋頂いてしまいました、下りるときだったので
名前も聞けずにただ発車した電車を見送るしかできませんでした。

 

夜須駅駅前の道の駅に立ち寄りましたが、もう空いている棚もあり、買いたいものもなく
せっかく降りたのに残念でした。

 

道の駅の裏手がすぐ海岸で、晴れていればよく見通せたでしょうが、パークと言っても
取り立てて立ち寄るところもなく、仕方なく駅に戻りました。

 

夜須駅は駅舎もなく、改札もありません、ホームに上る階段とエレベーターがあるだけ、

細いホームに小さなベンチ、風も吹き曝しで少し強い風が怖いくらい、ここで下車したのを
後悔したほどでした。

 

このごめん・なはり線は後免駅から奈半利まで高架を走り、改札はないのかもしれません
車掌さんが切符を見ます。

 

夜須駅から高知まで直通に乗れました、高知駅が近ずくと建物や道がかなり濡れていたので
雨が降ったのだと気付きました。

 

北川村モネの庭にいるときも少し小雨が降りましたが、傘を長くさすほどではなかったのは
ラッキーだったようです。

 

(4月5日)

北川村「モネの庭」マルモッタン

高知二日目の朝、高知駅から電車で出発しました。

 

JR在来線で後免駅からごめん・なはり線に入り奈半利まで、快速直通で行くことにしました
目的地まで1時間12分ほどの乗車です。

 

ごめん・なはり線に入る後免駅はひと駅手前でした。

 

夜須駅からの眺め、後免から高架線なので眺めはいいです、海側は右ですよと教えられて
いました、帰りにここに立ち寄ります。

 

残念ながら青空ではなかったです。

 

安芸に近い駅です

 

奈半利駅到着

右手からモネの庭までバスに乗ります、小さなバスでモネの庭で下りたのは、5,6人でした。

 

チケットを買うとここから入場して水の庭に向かいます

 

モネの庭の桜も満開でした

 

小道を行くとモネが描いた水連が咲く池の所に出ました

 

残念ながら水連の花はまだ咲いていませんでした、この一週間後ぐらいに花が一輪咲いたと
聞きました、一輪でも見たかったです、開花時期は4月下旬となっていました

水連の葉の周りに散った桜の花びらが付いていました

 

クロード・モネ財団公認「モネの庭」  モネの愛した庭としてフランス・ジュベールにある
モネの庭、彼は43歳から生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごし、創作以外の
時間を庭仕事に充てていたといいました。

そうしたクロード・モネの思いを高知の自然の中に再現したのが北川村の「モネの庭」
マルモッタンです。

 

本家より世界で唯一「モネの庭」と名乗ることを許されているそうです。

 

水の池の周りには季節の花がいっぱい咲いていました。

アーチにバラの花が咲いたら一段と映えそうですね。

 

もう一度太鼓橋の所に戻りゆっくり見物します。

 

モネが咲かせたいと願い続けた「青い睡蓮」はジヴェルニーでは気候の関係で咲かせる
ことが出来なかったそうです。

 

温暖な北川村では6月下旬~10月下旬まで美しい花を咲かせるそうです。

 

睡蓮の花は見たことがりますが、午後には花を閉じてしまいますね。

 

バラのアーチが見られるのは5月中旬のようです。

睡蓮の咲く「水の庭」は美しかった。

太鼓橋の柵には藤の花が咲き始めていました、池に気を取られて気付かなかった。

 

水の庭からボルディゲラの方面に向かう道にも藤の花が咲き始めていました

 

4月5日でしかたから、やっぱり早い開花ですね

 

チューリップは終わりに近い花もありましたが、クリスマスローズはたくさん咲いていました

 

モネの作品とボルディゲラの風景からイメージし生まれたのが「ボルディゲラの庭」です
北川村の起伏に富んだ地形を利用し、ヤシやオリーブの地中海の植栽と高知の植栽を合わせる
庭造りにチャレンジたそうです。

モネが訪れた地中海、その光と色彩に感激して描いた作品から発想して作ったオリジナルの
の庭だそうです。

 

リヴィエラの小屋に向かいます。

 

休憩できるようになっていました。

 

そして太平洋が望めました。

 

 

少し小雨が降ったりしたので、この先の自然の森遊歩道に行くのはやめて、花の庭のほうに
戻ることにしました。

 

「モネの庭」続きます

 

高知の旅 「高知城」

4月4日早朝に家を出て、高知空港に着いたのが9時過ぎ、4日間の旅ですが天気予報が気になり
晴れているこの日に見物してしまおうと、荷物をホテルに置いて観光案内所に立ち寄りました。

 

高知の旅が決まったときに、銀座のアンテナショップで観光地の地図や資料をもらってあり、
ある程度は決めてから出かけたのですが、お天気は思い通りにはいきませんから、、、

高知駅に近いこちらの観光案内所と隣接するお土産のショップはリニューアルしたそうです。

 

駅前のおなじみの像、これは以前ここで見たのを覚えていました、4日間ずっとこんな青空なら
よかったのですが。

 

路面電車に乗り最初の目的地高知城に向かいました、駅からそう遠くないのですが、一度乗り
換えないといけないので少し面倒でした。

追手門
石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えを持つ、
門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっている。

 

門の2階には「石落とし」もあり、敵の真上から石を落としたり槍で突くこともできるように
なっています。

 

ここが忍び返しかしら、、、

 

石段は登りにくく下りやすいように幅が工夫されているようですが、本当に階段の幅が半端で
歩きにくかった、ここを通ったのは下りだけ、登りは後ろの坂道を行きました。

 

鐘楼堂に桜も素敵でした

 

建物内を見物

 

庭園の桜です

 

武者隠

上段の間 外の部屋より床を一段高くした藩主の御座所、来客応接の間として武家・大名の
屋敷には必ず設けられた。

武者隠しは藩主護衛の武士が隠れる場所です。

この小部屋は武者隠しの中だったとおもいます

 

天守閣は外観四層(内部3層6階)18,5mの望楼型天守です

 

やっぱり急な階段でした、登りより下りが怖かったです

 

一番上からの眺めです、黒漆が塗られた高覧が特徴的だそうです

左手の門は詰門  鉄門跡の階段を越えると右手前に三の丸、右手に二の丸、左手に本丸と
天守閣が迫り、真正面に数段の石段越しに黒塗りの詰問が見え、敵はここで自然に正面の
詰問側へと誘導され、石段を上るが最後、三方から矢と鉄砲の嵐に見舞われる造りです。

海棠も満開でした

 

近くで外から見た天守閣、思ったより小さく見えます。

 

山之内一豊の妻の像

 

慶長6年(1601)に山之内一豊が高知城築城を開始、慶長8年に入城、三の丸が完成しほぼ
全城郭が整ったのが慶長16年、城下町の大火で焼失、天守閣をはじめ城門など完成は寛延2年
(1749)現在の天守閣はこの時のもの、宝暦3年(1763)再建以来25年目にしてほぼ全城郭が
整う、明治7年(1874)高知公園として一般開放されたそうです。

 

300年も続く日本最大の街路市が開催される道を通り途中からアーケード街に入り、
ホテルへの帰路は徒歩でした。(日曜市の場所です、見物してみたいものです)

翌日から雨模様の天気予報に、この日に見ておきたいところを回りよく歩きました。

 

 

 

4月から始まったNHKの朝ドラは高知出身の牧野富太郎植物分類学者が
モデルですから、このポスターはあちらこちらで見かけました

「牧野植物園」は後日立ち寄ります。

 

(4月4日)

「好古園」

姫路城の入場のチケットを買うとき好古園のことを知りました。
それで好古園の入場券付きにしたのですが、場所は姫路城の中でなくお堀沿いに5,6分歩いた
ところで、9つの庭が集まる巨大庭園でした。

 

姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、姫路市政100周年の」平成4年(1992)に開園

 

江戸初期(1618)に武将・本田忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷跡に9つの庭園を造りました

 

「お屋敷の庭」から入ると、12月12日でしたが庭園内の紅葉がまだきれいでした

池泉には紅葉の奥に何か所か滝がありました

ここは花の庭、門を通ったところもあったのですが、それぞれの庭の
名前もわからずに通り過ぎてしまったようです

茶の庭、夏木の庭、松の庭、花の庭、築山池泉の庭など巡りました、素敵な庭でした。

 

好古園を出ると姫路城のお濠の所にでました

 

「姫路城」と「好古園」を一人でゆっくり見物しました。

 

 

神戸への帰り道、明石で下車、町を散策して「魚の棚商店街」(うおんだなという愛称だそう
です)に立ち寄りました。
活気のある商店街で、明石焼き屋さんを見かけて立ち寄りました、明石焼きを焼いているのが
見えるお店で満席でしたがすぐに入れて、本場の明石焼きを楽しみました。
これで1人前、多いようですがふわふわで薄味のだし汁につけて完食しました。

商店街の中の角店で、外から焼いているのが見えました。
良い雰囲気だったのに、お店の写真を忘れてちょっと残念!

商店街で名物の「いかなごのくぎ煮」も美味しいのが買えました。

 

帰りの電車の中で見かけた明石大橋、少し前から見えたのですが、カメラを用意している間に
通り過ぎてしまいました。

翌日この橋を渡り淡路島見物に向かったのでした。

 

(2022年12月12日)

 

「姫路城」

姫路城の駅を大通りに出ると正面に小さく姫路城が見えました、徒歩で15分ほどでしょうか
お濠のところに出ました

大手門から入場します

世界文化遺産・国宝「姫路城」です

白い姿を目にしただけでワクワクしました

菱の門 表玄関にふさわしい城内で最も大きい門、両柱の上の冠木(かぶき)に木彫りの
菱の紋があることから、この名前が付けられました

大天守と乾小天守、西小天守などが見えました

城内の道は迷路のようになっています

ようやく天守閣に通じる道に出ました

かなり距離がありました

10月桜でしょうか満開の木がありました

人一人がやっと通れるような門など、敵を容易に大天守へ到達させない
様々な工夫があります

ようやく天守閣に入れました

入ったところは大天守の地階です

流しや厠などありました

東西大柱があります

姫路城にゆかりの武将たち

正面突き当りが姫路駅です

二階は破風の間

釘の頭部を隠すための装飾、6枚の葉をデザインしていて、葉と葉の間に猪目と呼ばれる
ハート形の隙間ができます (ガイドさんの説明が聞こえて興味を持ちました)

大天守には多くの武具掛けがあり、天守が武器倉庫としても使われていたことを示しています

天守内はこんな急な階段で、下りるとき少し怖かったです

5階が東西2本の柱の最頂部で、地下から5階の梁まで通し柱となっています
接合部分は昭和の補修の際に鉄板で補強しています

長壁(刑部)神社 姫山の自主神で、近代になって天守内で祀られるようになった、
江戸時代には城内の小高い場所に鎮座していたようです

江戸時代のここからの眺めはどうだったのでしょうか

姫路駅まで本当に直線道路です

6階は壁面すべてに窓が開けられる予定でしたが、築城途中で設計が変更され、四隅の窓を
塞いだことが分かったそうです

別名は「白鷺城」  冬の青空にも映えて美しいお城でした。

 

 

二の丸あたりにこんなところもありました、播州皿屋敷で知られる「お菊井戸」です

 

姫路から江戸までの距離と時間  (江戸時代好きとしてはちょっと興味のある内容でした)
姫路城主、酒井忠以の「玄武日記」によれば、姫路に6か月滞在したあと19日かけて妻子のいる
江戸へ戻りました。

大名行列は約400m、東海道山陽新幹線のぞみ16両分、1回の費用は1億7千万円
大名行列はその土地の収穫高によって定められていました。
32万石の鳥取藩で2000両との記録が残っています。

15万石で距離もやや短い姫路藩の場合、想定される費用はその約半分1000両程度で
約1億7千万円。
大名行列の最大の経費は人件費です、経費節約のため雇っていたアルバイトが3~6割程度の
記録もあります。

日程の徒歩19日は車で約7時間、新幹線で3時間45分、、、

 

長くなりました。

朝の神戸港

7時過ぎ朝日がまぶしいほどの神戸港

 

フェリーを降りるとバスが待っていて神戸駅までの送迎がありました。

 

この日はホテルに荷物を預けて、1日息子夫婦と別行動にしました。
私は姫路に出かけました。

 

12月の旅の続き「小倉散策」

北九州の台所旦過市場  鮮魚を中心に野菜、食肉、乾物、果物、蒲鉾、製菓など120件ほどの
店舗数と、その食材の多さに驚く歴史ある市場だそうです

 

その歴史ある市場が2度もの大規模な火災に見舞われたのです

 

ニュースで聞いた時、聞き違いかと思いました

 

励ましが書かれたたくさんの石片を見かけました

 

木造の店舗が密集する旦過市場

 

残念ながら日曜日でしたから、ほとんどのお店が休みでした

 

小倉は私は初めての散策でした

 

小倉城も初めてです

 

今回は都合で中に入っての見物はしませんでした。

 

 

小倉駅から鹿児島本線で3駅の戸畑駅下車

 

駅から若戸大橋の船乗り場に向かう道はなんだか閑散としていました、人通りがないのです

 

戸畑区から若松区を結ぶ、若戸渡船乗り場

 

料金は100円

 

片道3分で着いてしまいます

 

吊り端は長さ627mです

 

洞海湾に架かる赤い橋は若松・戸畑のシンボル的存在

 

1962年の開通当時、東洋一の長さを誇り、日本の長大吊橋の先駆けと賞されたようです

 

若戸渡船は古くから市民の暮らしに欠かせない交通手段として活用されています

 

乗ってきた船はすぐ戻っていきました

 

片道3分はあっという間、”ポンポン船”の愛称で親しまれてきたそうです

 

こちら側は若松地区

若松側橋の近くにレトロな建物が見られました、ほかにもいろいろな建物があったようです

 

「旧ごんぞう小屋」

北九州市では昔、石炭荷役をする沖中士を「ごんぞう」と呼んでいました
ごんぞう小屋はもともと洞海湾の渡船発着場として明治34年に建設され、その後昭和40年ごろ
までまでにごんぞうの詰め所として利用されていたそうです、今は休憩場になっています

 

我が家の菩提寺のお坊さんで、ご住職の後輩にあたる方がこの若松出身だそうで、住所は
知らなかったのですがご実家あたりを少し散策しました、見つかりませんでしたが、、、

 

出入り船舶見張り所あと

 

若戸渡船に初めての女性船長という記事を見ました、最後まで残り見ていたのですが
こちらが初めての船長さんだったのでしょうか? 横浜市出身のようです

 

駅まで戻るとすぐ向かいの建物で「戸畑祇園大山笠」が展示されていました

 

今年は開催されるといいですね。

 

この日はフェリーで神戸に向かいました、到着は翌朝です

 

 

夕食はフェリーのレストランでした

 

フェリーは温泉付きです

 

レディースルームです、何人乗りか気になっていました

 

この日は私一人だけ、入り口は鍵がかけられますが、寂しいくらいでした。