しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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東武鉄道の小さな旅 

旅というほどのことでもありませんが、東武鉄道の切符を息子からもらったので
気晴らしに日帰り旅に出かけるとにしました。

 

列車の時刻表も作ってもらい、梅雨の晴れ間を選び朝6時に家を出ました。
時刻表を見たときそんなに早く! とは思ったのですが、何度か乗り換えていると途中で
通学時間と重なり結構混みました

南栗橋からようやくクロスシートの列車に乗り換えて下今市に到着は9時7分、3時間も
かかりました、日光の一つ手前で、日光街道の街ですが、静かでした

徒歩5,6分の道の駅、日光街道ニコニコ本陣に立ち寄り観光情報館で街のマップを入手、
すぐ近くの「報徳二宮神社」に行きました

小田原生まれの二宮尊徳がなぜこの地にと思いましたら、日光御神領の農村復興に力を尽くし、
晩年今市の報徳役所にて70歳の生涯を閉じたそうです

清々しい朝の空気の中お参りできました

 

明治31年(1898年)に創建された神社です

手水舎がアジサイの花でこんな美しく飾られていました

水に浸す神水おみくじをは中吉、このあと干支ごとに分かれている棚に置くと、
お焚き上げしていただけるようです

 

神社から次に向かったのは浄土宗のお寺さん「如来寺」

江戸時代日光社参の折、徳川将軍が宿泊する御殿がありましたが焼失してしまったようです
ご本尊は阿弥陀如来坐像、本堂は開山500年記念で大改修後の美しいお寺さんでした

二宮尊徳氏の葬儀もこちらで行われたそうです、境内は全く人の気配もありませんでした。

 

 

道の駅でひと休みしてから、予約してないので無理かと思いましたが、蔵元片山酒造さんに
行ってみました、仕事関係の人らしい3人と一緒に見学させてもらえました

お米を蒸す窯

少人数で経営の小さい醸造所ですが、いろいろこだわりがあり詳しく説明していただき、
お酒を造る情熱を感じました

日本酒の味を左右する搾りの工程は、なるべく圧力をかけずに搾ることだそうで現在も
佐瀬式」という「もろみ」をひとつひとつ人の手で袋詰めし、丹念に積み重ねて上から
ゆっくり圧力をかけてお酒を搾るそうです、こちらが佐瀬式の機械です。
15分ほどでしょうか興味深い内容でした。
解説の後は試飲です、4種類でしたがあまり飲めない私でもちょっと味がわかりました、
美味しい1本をお土産に買いました。

 

ちょうどお昼時、予定していたお蕎麦屋さんは杉並木の近くでした

 

おそばと天ぷら好きで、天ざるにしようと思っていたのに、早朝の出発でかなりの空腹、
もりそばと小天丼にしてしまいちょっと失敗、やっぱり量が多すぎましたが、美味しく
頂きました。

 

お蕎麦屋さんの向かいに追分地蔵尊のお堂が見えます

 

日光街道杉並木は初めてです、やはり趣がありますね

 

追分地蔵尊は日光街道と例幣使街道(江戸と京都)の分かれ道にあります

 

江戸時代初期に大谷川の大洪水で流れ着いた石を石工が割ろうとノミを
入れたところ石から血がにじみ出てきて掘り起こしたら巨大なお地蔵
さまで分岐点に安置。 北関東最大で高さ2m、重さは8トンだとか。

普通お地蔵さんは錫杖と宝珠を持っているのですが、このお地蔵さんは、
大日如来の手印を結んでいます。

 

この船村徹記念館の広場向かいに道の駅があります、お土産を買ったのに写真撮り忘れました。

 

日光には何度か出かけているのであえて下今市にしたのですが、見物が早く終わりやっぱり
日光に向かうことにしました、下今市駅で停車中の手前の急行に乗車券だけで乗れますよと
言われて一駅ですが、乗車しました、2人掛けで、車内は空いていました。

 

東武日光駅です、お土産はロッカーに入れて身軽に散策できました

 

世界遺産巡りバスで下車したのは輪王寺入り口の勝道上人像前

 

12年にわたる平成の改修工事が終わっていました、前回は全面シートに覆われていた三佛堂、
でも改修工事の様子を特別にかなり上から足場なども見物させていただいた覚えがあります

日光山第一の大伽藍、三佛堂ご本尊は阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音の三仏、
各7、5m 金色木造の坐像です。
日光三社大権現の本地仏でもあります。

 

大護摩堂 お堂の位置は三佛堂の裏手です、護摩法要に参加させていただきました。

 

大護摩堂を出て右に曲がると正面が東照宮です

この日は東照宮には寄らずにこの道を下りました、歩く人もなく
何だかさみしい道でした

東照宮、輪王寺、二荒山神社参道案内の石碑

参道入り口の向かい側の赤い橋、神橋は「日光の寺社」の玄関ともいえる美しい橋です。

この近くからバスで駅に戻るつもりでしたが、お土産屋さんなど見ながら日光駅まで
歩いてしまいました、途中でちょっと後悔、駅は思ったより距離がありました。

 

駅前を入ったところで思い出して立ち寄ったのは蜂蜜屋さん、なぜかそこに熊本の名物
”いきなりだんご”を売っているのをネットで見たのを思い出しました

蒸し上がっているのが一つありベンチで頂きました、いきなり団子とは
サツマイモの上に餡をのせお饅頭のように包んで蒸しあげたもの、
銀座のアンテナョップ熊本館で買うこともあります、好物なんです。

なぜ日光で販売しているか聞きそびれました。

 

東武鉄道の小さな旅、前回の日光の旅は友人と3人で特急の個室でした。
金谷ホテルで食事をしたり、、前回とは違う日光の旅になりました。

今回の小さな旅も楽しかった、こんな小さな旅もいいものです。

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青森「竜飛岬」

北海道新幹線の津軽二股駅は静かな駅でした

こちらは在来線でしょうね、列車も人の気配もありません

左側が新幹線ホームのようですが、こちらも人の気配もなく、とにかく静かでした

道の駅はいつも楽しみです

目的地竜飛崎は紫陽花が満開でした、建物は青函トンネル記念館、ここから坑道見物です

 

実際工事に使った坑道に行きました、日本一短い私鉄「青函トンネル竜飛斜坑線モグラ号」で
見物します

海面下140mの体験坑道です、青函トンネル工事における作業員の移動や物資の輸送を
目的に建設された本州側の竜飛定点「旧竜飛海底駅」に通じています

こんな乗り物が行き来していたのです、海底トンネルの不思議な体験でした

モグラ号のすぐ脇にまっすぐのびる階段がありました、係りの人に聞いたら1260段だそうです。

 

青函トンネル記念館の脇を上ると真っ白な灯台がありました。

竜飛崎灯台です

竜飛崎(龍飛崎とも書くようです)は青森県の津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬、
津軽国定公園の一部です

冬には厳しい寒さの津軽海峡も美しい空と海の色でした

竜飛崎の真っ白な灯台

この季節に紫陽花が見られるとは思いませんでした、浜にも下りられるようです

津軽の夏の花々

こちらにも「津軽海峡冬景色」の碑、石川さゆりさんの歌声が流れてました

 

竜飛崎近くの紫陽花が咲くこの階段は

何と国道です  国道339号その名も「階段国道」

竜飛漁港バス停と竜飛崎灯台を結んでいるそうです。

 

ホテル竜飛で食事と温泉にも入れました、こちらはロビーですが、すぐ近くに
不思議な場所がありました、真下を北海道新幹線が通過しているそうで、時刻表があり
通過する時は灯りで知らせます、音も聞こえるようです。

 

津軽国定公園を通り次の目的地に向かう車窓です。

 

 

五所川原の太宰治記念館「斜陽館」です   太宰が生まれる2年前明治40年(1907)に
父によって建てられた豪邸で、欅の階段、瀟洒な洋間と和洋折衷の建築で豪邸です。

 

 

夜は五所川原の立佞武多(たちねぷた)を見物しました。
行列が見られる中心地までは車で入れず、指定のバスに乗り換えました。

 

「立佞武多の館」を出発する大型の立佞武多
(不本意ながら慣れないスマホのカメラで撮った写真です)

館には数年間の立佞武多が展示されているようです

巨大ネプタの全盛は明治時代だそうです、それは富豪たちの力の象徴だった

平成8年に「立佞武多」誕生、80年ぶりに苦難の復元が始動しました

平成8年、1回限りの復活、1回限りの復活と思っていたのに2年後に
立佞武多の運行が決定したそうです。

平成10年街を練り歩く準備が始まり8月に高さ22m総重量8tの立佞武多が
30人の若者に引かれて闇にその威容を浮かび上がらせた。

 

お囃子も青森のねぶたとは違っていました、そして跳人(はねと)もリズムが
違い、高く跳ねるのが特徴のようです

青森のねぶたとは違う五所川原の「ねぷた」を楽しみました。

 

(8月5日 撮影)

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メモリアルシップ「八甲田丸」

青森と函館を結ぶ青函連絡船が就航したのは1908年(明治41年)

八甲田丸の就航は1964年(昭和39年) 最終就航1988年(昭和63年)3月13日
歴代55隻の青函連絡船の中でもっとも長い23年7ヶ月の間津軽海峡を往復し、
最終就行船の大役も努めました

青函ワールド

昭和30年代の青森駅前の連絡船待合室の様子をジオラマで再現しています

こちらは船長室、イケメンの船長さんでした

ブリッジからの眺め

1F 車両展示室

5月にイタリアでシチリア島往復に乗ったフェリーを思い出しました
こちらは郵便車など車両9両も展示しています

B1F エンジンルーム

八甲田丸は全長132m、旅客定員1、286名  積載車両48両

おなじみ「津軽海峡冬景色」の歌碑、曲が流れます

 

八甲田丸が係留されているのは、青森駅のすぐ近くです、高い建物は観光物産館アスパム
青森を訪れるのは3度目ですが八甲田丸には始めて乗船しました。

青森と函館を結ぶ青函連絡船が就航したのは1908年(明治41) 以来80年間にわたり
1億6千万人の乗客と2億5千万トンの貨物を運びました。
その航行距離は地球2019周分にも及ぶそうです。

 

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十和田湖「発荷峠」と湖畔散策

発荷峠から十和田湖の眺めは素晴らしかった。
十和田八万平国立公園を代表する景勝地のひとつです。

 

晴天に恵まれました

青森と秋田にまたがる十和田湖は火山活動により形成されたカルデラ湖です

十和田湖を訪れるのは2度目ですが、1度目は遠い昔のことでした

発荷峠展望台からは湖に突き出た二つの半島や休屋港も眺められました

ウン十年昔、港近くでボートに乗ったのですが、岸からすぐのところでも透き通った水で、
湖底の倒木が見え怖いような美しさだったことを覚えています

2つの半島に挟まれた中湖では327mもの水深だそうです

休屋港を散策しました、希望者がなくて予定の遊覧船観光は中止でした

浜近くの小さな島、神社が祭られているのでしょうか

この岩には解説がありました

 

高村光太郎作  「おとめ像」は十和田湖のシンボルで、昭和28年(1953)
完成の1対のブロンズ裸婦像です。

多くの観光客を避けたらこんな角度になりました。右手は湖です。

 

 

このあと八甲田山中の一軒宿「酸ヶ湯」に立ち寄りました。

 

むかし、鹿が傷を癒した温泉で「鹿ヶ湯」が「酸ヶ湯」になったとか。
国民保養温泉第1号だそうです。
湯治場としても有名ですよね。

希望者は温泉に入れました、酸性度が強いそうで、貴金属類は
全部外しての入浴でした。
かなり熱めの温泉でしたが、慣れると入れました。

 

温泉を楽しみこのあと青森市に向かいました。

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史跡「尾去沢鉱山」

盛岡で散策と、さんさ踊りを楽しんだ翌朝、次の目的地青森に向けて出発です。

 

ホテルを出発したのは8時半ごろ、見える橋は北上川に架かる開運橋

鹿角市尾去沢(おさりざわ)で鉱山を見学です

1300年の歴史がある鉱山だそうです

国内最大規模の銅鉱脈群採掘跡

ひんやりした坑内です

山神社がありました

熟成貯蔵庫に温度や湿度が最適なのでしょう

坑内休憩所

坑内事務所

立坑(エレベーター)

今でも掘っているわけではありません、人形が置かれているのです、薄暗いしマスクを
しているので、いきなり出会うとびっくりします

横にも坑道が続きます

 

 

なにやら雰囲気が変わりました

出口近くのこちらは慶長(江戸時代)の坑道でした

江戸時代の坑道採掘風景です

 

江戸時代から採掘していたのには驚きました、そして女性もいたのですね。

 

秋田県の北部は常に日本国内のおける各種金属の主要供給源となっていたようです。

 

 

 

秋田県鹿角市の道の駅でランチを頂きました

 

いなにわうどんと山菜寿司に小鉢です、さっぱりしていて野菜も美味しかった。

 

 

このあとに味噌きりたんぽを食べたいとランチを控えた人もいました。
今回秋田に立ち寄るのはこちらだけと聞きお土産選びをしていたので、
きりたんぽは食べられませんでしたがランチでかなりお腹いっぱいでした。

 

次の目的地は十和田湖です。

 

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イタリア旅行最終日

荷物を造りホテルに預けてこの日は3人でローマ最終日を楽しみました。(5月21日)

 

Museo del Trasporto di ATAC 交通博物館は、ローマ市内、近郊路線で使われていた車両の
屋外展示や歴史説明家屋内展示室がありますが、車両に乗れるので子供たちには人気の
ようです。

 

少し歩くと、テルミニ駅近くの五百人広場にもあるイータリーという食品デパートがあります。

 

パスタの種類の多さはさすがです、パスタ好きとしてはどれも持ち帰りたかったです

もちろんワインや日本酒も見かけました、食に関するものは何でも揃う魅力的なデパート

 

肉売り場の種類の多さにも、そして天井から下がるハム類にもびっくりです

こちらは魚売り場、日本で見かける魚も多かったですが、もちろん見たこともないような魚も
あり思わず見てしまいました、別の場所にお寿司も見かけました

 

私はちょっと重いと思いましたが、どうしても欲しくなったのがこの本「パスタの百科事典」
美味しそうなパスタがいっぱい!
かなりたくさんの種類が載っています、内容はいつかまた別の機会に紹介しましょう。

イータりーは食のデパート、イートインもありちょっと魅力的でしたが、何しろローマ最終日
ちょっと先を急ぎました。

 

イータりーのあるエリアは、少し行くとトラム(路面電車)にも乗れました、バスやメトロには
乗りましたが、トラムは始めてです

 

次に向かったのはポポロ広場(piazza del Popolo) 中央に高さ24mのオベリスクが建ち
ライオンの噴水が四方を守っている広場です

広場が眺められる場所がピンチョの丘です  かつてピンチ家所有していた公園の一角、
階段を上りポポロ広場に張り出したテラスからサンピエトロ大聖堂のドームも見えます

 

最終日は2人に案内してもらったので、自分では予習なしでちょっと残念でした、修復中なのは
教会のようです、また1箇所次回にゆっくり見物したいところが増えました

 

緑がいっぱいの

かなり広い公園でした

ポポロ門  鉄道がなかった時代、旅人はこのポポロ門をくぐりローマに入るのが決まりでした
こちら側がポポロ広場、巡礼者はここで身元を調べられ税を納めて市内に入ることを許された
といいます。

 

ここからはスペイン広場も近かったのですが、私は前回見ているのでこちらも次回ゆっくり
見物することにしましょう。

 

メトロ駅も近くにありましたがこの日の移動はトラムで市内をめぐりました。

 

前回ローマの町を見物したとき、ガイドさんに「ローマの町をゆっくり見物したら
1週間かかりますよ」と言われたのを思い出しました。
今回私は1人で歩いたのはローマで3日間、今になるともう少し時間が欲しかったです。

 

ローマから列車でシチリアをめぐり、南イタリアを一周してローマに戻るというコースは
イタリアの20州のうち列車での通過も含めると10州行ったことになりました。

南イタリアのB&Bのオーナーさんたちや、町で道を尋ねた人たちなど親切な人ばかりでした。
ローマはまた是非ゆっくり歩きたいと思っています。

 

5月9日夜出発して、21日夜遅く羽田空港に到着した、素敵な旅でした。

 

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ヴァチカン市国とサンタンジェロ城

ヴァチカン市国は世界最小の独立国で、聖人が高みから見守るサンピエトロ広場、各時代の
粋を集めたこの広場はベルニーニのデザインにより1667年に完成したもの。

ローマカトリック教会の中心をなす聖堂で、キリスト12使徒の一人聖ペテロの墓所があった
所に建てられました。

サン・ピエトロ大聖堂の前は空いているように見えましたが、正面右側が入る人たち左側は
出てくる人たちで列ができています

前回は1月だったからか大聖堂には待たずに入れたのですが、クーポラ(半円形の屋根)に
上る時間はありませんでした

広場をぐるっと取り囲む半円形の回廊には4列に円柱284本並び、その上部に140人の
聖人像が飾られています

広場の右側の回廊の奥の建物には法王の書斎があります、最上階右から二つ目の窓から
毎日曜正午、法王が姿を見せて広場に集まった人たちを祝福するそうです

聖堂のファサードにはキリストと洗礼者ヨハネ・ペテロ以外の11人の使徒の像
左手前はペテロ像、

回廊は入場を待つ人々で埋め尽くされていました

大聖堂のクーポラに上がりたいと思ってましたが、こちらも2段とも人でいっぱいです

前回(4年前)サン・ピエトロ大聖堂に行った時に買った日本語の本「ヴァチカン」を
思い出して見ると写真がありました、クーポラからはこんな景色が見えたでしょう

中央の巨大なオベリスク、聖人ペテロ(サン・ピエトロ)はこのあたりで
処刑されたと言われます

オベリスクの左右に噴水があります

博物館に入場の列と思っていましたが聖堂に入る人々の列でもありました、ここまでの倍
以上の列が続きます、セキュリティーチェックもあり何時間待つやら想像もつきません、
列がなかなか動かないのです

朝7時ごろにでも出かけないとスムーズには入れないそうです、7時ごろでも行けたのに、、、
一人歩きはこの日が最終日、がっかりでしたが諦めるより仕方ありませんでした

ちょっと諦めきれずに正面のところに出て振り返ってもまだまだこれから行く人も多かった

サン・ピエトロ大聖堂に入るのを諦めて次の目的地サンタンジェロ城に行きます

正面のサンタンジェロ橋、下を流れるのはテヴェレ川

135年にバトリアヌス帝が自分の廟として建てたもの、その後ローマ歴代皇帝の墓となった

観光地でおなじみの光景

城内は国立博物館になっているので入場は10ユーロでした、武具なども展示されています

中世以降は要塞や法王の住まい、牢獄など様々に使われていました

テラスからはテヴェレ川とローマの街が眺められます

サン・ピエトロ大聖堂に続く道もよく見えます

本からもう一枚、サンタンジェロ城側から眺めた大聖堂は本当にまっすぐ先に見えます

教皇が聖堂からサンタンジェロまで外に出ないで行ける道があったとか、、、

「ローマの休日」の主人公2人がパーティーの会場で川に飛び込んだシーンがありましたが、
サンタンジェロ城あたりのテヴェレ川だったように思います

天使が並ぶサンタンジェロ橋、その先にはローマ一日目に行ったナヴォーナ広場があります

テラスからの眺めは絶景でした

下から眺めると要塞のように見えます

 

サン・タンジェロ城 (聖天使城)の名は590年のペスト禍の際、この城の上に悪疫を打ち払う
天使が現れと、間もなくペストは消え平穏が訪れたと言う伝説によるのです

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋の向こうにまだクーポラが見えていました。

 

次回は是非あの一番上からローマの街を眺めたいと思います。

 

 

 

サン・ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城に向かう途中のレストランで一人ランチでした

普通のサラダでしたがオリーブオイルやバルサミコ酢、塩を使い自分で味付けします
フレッシュオレンジジュースもとても美味しかった、そして紙袋入りのパンも

パスタはローマ名物アマトリチァーナ、豚のほほ肉、玉ねぎのトマトソースにペコリーノチーズ
(羊のチーズ)を使います、アマトリーチェはローマのあるラッツィーオ州にある町の名前で
アマトリーチェ風です、程よい量で美味しかった、こちらのSignoraがとても感じがよくて
一人ランチも大丈夫でした

私は店内で頂きましたが外の席も満席

このあたりのレストランではほとんど外にも席がありました、左側はそのまま飲むことが出来る
水道です、私もあちこちでペットボトルに詰めました、冷たくて美味しいのです。

 

ヴァチカンにサンタンジェロ城とローマ一人歩きの最終日でした。
ちょっと残念な散策でしたが、まだまだ行きたいところがいっぱいのローマですから
次回を楽しみにしましょう。

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 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

テルミニ駅から徒歩10分ほどで行けるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に着きました。

 

エスクイリーノ広場に面しているこちらは大聖堂の後陣(裏正面)

こちらが正面ですが入場にはセキュリティーチェックがありました、警備のため
でしょうか全体に柵があり、正面の離れたところから大聖堂の全体を撮るのは
ちょっと難しかったので、横からの写真で鐘楼が入りませんでした

内部は大理石の柱が並ぶ三廊式、正面主祭壇は天蓋に覆われています

天井は美しいモザイク、柱上部の壁には創建当時の貴重なモザイク

「聖母マリアに捧げるための聖堂」として建築されました

ローマの4大聖堂のひとつ、荘厳で落ち着いた雰囲気の聖堂です

近づいてみたら天蓋の下に入れました

キリスト生誕の折の「かいば桶の木片」が聖遺物だそうです

その前で祈りを捧げるのは大理石で造られた法皇

なんとも穏やかな表情でずっと祈り続けています

クーポラの内部にも美しいモザイク模様

洗礼堂内部と洗礼盤

この大聖堂もどちらを見ても美しいモザイクや絵があり、ゆっくり見て廻ってもあとで調べると
見てなかったところがありました

正面広場の円柱、塔の上には聖母マリア像

 

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と
テルミニ駅周辺は、人も交通量も多く気遣いの散策でしたが、聖堂の中では
心安らぐひと時を過ごせて、一人歩きにもだいぶ慣れ、さすがにここでは道に
迷うこともなく思い出いっぱいの散策になりました。

 

5月18日 (この日は妹の誕生日でした)

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ローマに戻って「一人歩き」

南イタリアレッチェを散策してターラントに戻り、1泊して翌日には
イタリア半島のアドリア海側を列車で北上してプーリア州からモリーゼ州を通り、
アブルッツオ州も通過して、マルケ州の州都アンコーナに1泊しました。

アンコーナでは町を散策して、マーケットに立ち寄りました、込んでいる時間で
順番待ちは番号が書いてある小さな紙をちぎって待ちます、20番の人、なんて呼ばれます
待っている間に買うものを決めておくのですが、何種類か買うとちょっと焦ります。

翌朝アンコーナを出発してもう一度ローマに戻ります

12時半ごろローマに到着、ホテルに荷物を置いて、また息子たちと別行動、
私はテルミニ駅近くを散策することにしました

 

まずは腹ごしらえと向かったのは駅から徒歩で行けるポルケッタのお店
Er Buchetto 1890年創業のポルケッタ、子豚の丸焼きのお店です、
本で見たりネットで調べていたのですが、思ったより小型のお店でした

 

ニコニコでポーズを取ってくれたのは、オーナーのAlessandroさん、タバコを吸いに
外に出てきたのでちょっと話しかけてみたのです。

こちらのお店日本でも有名ですと言うと ”Tutto il mondo”世界中で、と言われました
店内にはいろいろな国の取材の写真や記事がたくさん貼られていると教えてくれました。

入り口を入ったところに見える子豚の焼いたのをその場で切ってくれます、そのままビール、
ワインとともにランチにしている人は多かったですが、満席でパニーノにしてもらい、外の
テーブルで若い女性2人の真似をして食べました、皮が少し付きそれが香ばしくてとても
美味しかった。

 

 

テルミニ駅に程近い共和国広場

広場に面している教会と思えない建物はサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・ディ
マルティリ教会

サンタ・マリアは聖母、アンジェリは天使、マルティリは殉教者と言う意味で、
古代ローマ時代の浴場跡に1562年、ミケランジェロの設計で建てられた
教会です

ミケランジェロがローマ時代の面影を残して設計したとして有名な教会なのです

中はとても広く、美しい絵画が多く飾られています

荘厳な雰囲気です

広い床にも模様が

星座でしょうか?

こちらは日時計だそうです、この教会で最も重要なものとか、、

1702年に当時のローマ教皇クレメンス1世によって作られ、1849年まで
使用されていたようです

壮大な絵なので、離れてみても、近づいても何か惹かれるものでした

 

こちらはイタリア政府の教会だそうで、会葬を行うときには必ずこの教会で
行われるそうです

 

イタリアで教会を何箇所か訪れて、身近な仏教と違う荘厳さに触れて
あらためて心のより所にしている人たちの気持ちは仏教も同じと思えて
教会がとても身近に感じられました。

テルミニ駅から徒歩圏内のもう一箇所教会を訪れます。

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プーリア州 「レッチェ」

ブリンディシから列車で約30分のレッチエに向かいます。
プーリア州の観光地としてはアルベロベッロのトゥルッリという真っ白な壁に、灰色の円錐形の屋根を
持つ建物が有名で魅力もありましたが、私が行きたかったのはレッチェでした。

 

それは去年見たイタリア映画「カプチィーノはお熱いうちに」が レッチェが舞台だったのです

それでコースを決める時にレッチェを選びました

駅前に停車中のバスに、「プーリア州、レッチェ町」と書かれてました、こんな遠くまで来てしまったと
あらためて思いました、レッチェは長靴型のイタリアのかかと部分サレント半島にある町です

 

ドゥオーモ広場  駅から古都の町並みを楽しみながら徒歩で行けます

 

右側がドゥオーモ 12世紀の教会跡に1659年から70年にかけて造られました

 

このときは息子夫婦と一緒だったので、またあとでゆっくり寄るつもりでした

 

町中はレッチェ独特の石灰岩を使ったレッチェ・バロック芸術の宝庫となっています、
ここでも見かけたストリートミュージシャン

レッチェバロック様式のファサードをもつ、サン・ティレーネ教会
このあたりではアジア系の人にはほとんど出会いませんでした

サントロンツォ広場に出ました

 

広場にそびえ立つ一本の柱は、ブリンディシにある2本の「ローマ円柱」のひとつ、
(ブリンディシで見られなかったのが今でも残念に思います)

こちらの円柱の上には町の守護聖人サントロレンツォの像が見守っている

 

円柱の横には保存の優れたローマ時代の円形闘技場、ちょっと目立つブルーの椅子が並べられて、
ステージも造られてコンサートの準備でしょうか

 

ちょうどお昼時、プーリアの名物のひとつ、品数の多いアンティパストをメインに食べられるお店で
ランチにしました。

 

たくさん並んだ中から好みのものを選びます

 

茄子にズッキーニ、パプリカ、ビーツにフィノッキ(フェンネル)など選びました、野菜ばかりで
さっぱりしているのでかなり食べられます

 

以前に何回か紹介した東京広尾のプーリア料理店「アンティキ サポーリ」で知ったアンティパストです
本場で食べてみたいと思ってました。

 

飲み物とカネロニ(ひき肉をパスタで巻いてホワイトソースとトマトソースをかけて
焼いたもの)と白ワインのランチです

 

広い窓側の席は満席でこちらは奥の席

アンティパストは前菜ですから本来ならこれにパスタや肉料理を頂くのですが、たっぷりの前菜だけで
パンも食べきれないほどでした。

 

 

広場にも近いレッチェで有名なジェラーとお菓子屋さんの「NATALE」(ナターレ) クッキーを少し買い、
もちろんジェラートも食べました

 

ここで2人と分かれて私は1人で町をもう少し巡ります。

 

市立公園は市民の憩いの場所なのでしょうね、賑わっていました

 

公園の向かいの政庁舎の中庭を通り地図を確認しながら歩きましたが、
このときも教会を1箇所見逃しました

通りかかった人に聞いてもよく分からなかった教会の前を通り地図を見ながら
歩いたのですが目的の広場は見つからなくて

その次に行くつもりだった凱旋門(ナポリ門) 前に出てしまいました、こちらは内側、
なぜか飾りのある表側の写真がなかったのです、気持ちが落ち着かなかったのでしょうか

その先にはオベリスク   凱旋門の前をまっすぐに行けばドゥーモの前に出るはずでした

 

行けども行けどもドゥオーモ広場に着きません、車の通行できない道にはこんな乗り物が通ります

お昼前に通ったサントロンツォ広場に出たのでドゥオーモ広場への道が分かりました

ドゥオーモ広場から出発してもまた分からなくなり、教会内のクーボラのフレスコ画を見る余裕も
ありませんでした、自転車に乗ろうとしていた人を見つけて駅への道を尋ねました

私の持っていた地図を見ながら教えてくれたのですが、行けども行けども駅には
着きません、旧市街のせっかくの町並みも写真を撮る余裕もなかったようです、
息子たちと待ち合わせの時間は迫るし心細くなりました。

通る人も少なく広い道に出たところで立ち話をしていた女性に尋ねたら、斜めに駅から
遠ざかる道を歩いていたようです。
かなり歩き、教えてもらったロータリーのところに出て駅が見えたときはほっとしました。
どうして地図を持っていたのに間違えてしまったか、、、町歩きに自信がなくなりました。

 

レッチェは素敵な町です、道を教えてくれた人たちも優しかったし治安もよいそうです、旧市街の路地で
迷ってしまったことがとても残念です

往路は駅前のこの道に沿って行くとドゥオーモ広場に出たのですが、何故迷ったかトロリーバスを
見ながらこのときはまだ信じられない気分でした。
もう少し余裕を持ってというか、もっとしっかり調べておけばよかったと思いました。

 

映画はこの町の人たちが暮らす新市街なのでしょうか、雰囲気がかなり違いました。
雨の中、主人公2人が屋根のある小さなバスの停留所で出会ったシーンを思い出します。
ちょっと残念な町歩きで、是非もう一度訪れたいと思ったレッチェの町でした。