月別アーカイブ: 2021年5月

「芝東照宮」と芝公園

芝公園は日本で最も古い公園のひとつだそうで、どこからでも東京タワーが間近に見えます、
明治6年に上野、浅草、深川、飛鳥山と供に芝の5か所が、日本で最初の公園として指定され、
以後公園造成の先駆けとなりました

当時は増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後の政教分離により境内の部分が除かれ、
環状の公園になりました

「芝東照宮」  芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿でした

 

神前結婚式の準備のようでした

 

明治初期の神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となりました
境内の一角に緑の桜「御衣黄」の大きな木があり、見に行ったこともあります

 

芝公園内には歴史の古い公園らしく、クスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木が所々に
あります、この左手の道を行くと木々が生い茂るところに通じているのですが、そのあたりは
またの機会に紹介しましょう

現在はスポーツ施設として、野球場とテニスコートがありますが、芝公園は東京の公園における
運動施設の始まりという歴史も持っているようです

 

朝の内で人の気配も少なく公園を少し散策しました

 

この日もチョウチョを見かけました

 

アブラナ科の植物でしょうか、チョウの好みのようです

 

増上寺の前を戻り懐かしい場所の散策を続けます、この道の右手に
小さな入り口がある東京プリンスホテルの前を通り抜けました

 

近道をして愛宕下通りにでました

 

歩道橋から正面に増上寺の屋根が見えますその右手がプリンスホテル

 

この日はタワーには寄らずに懐かしい道を次の目的地にむかいます

 

歩道橋から直に入れるビルのスタバで一休みしました。

いつも珈琲なのですが、この日は気温が上がり、珍しくこんなものを
頂きました。

日曜の朝でオフィスビルは人気も少なく広々した店内で喉を潤し、
次の目的地に向かいました。

子供のころと、子育てのころに長く住んだ場所近くですが、あまりの
景色の変わりように少し戸惑いました。

 

次の目的地は愛宕山です。

港区 大本山「増上寺」

1回目のワクチン接種を終えて少しだけ気分転換をと思い日曜の早朝、長く住んでいた
懐かしい場所近くの増上寺に久しぶりに出かけてみる事にしました。

 

大門は三解脱門からかなり浜松町寄りにあります

三解脱門   大門から三門 約108間 三門をくぐり108の煩悩から解脱します

三門から大殿 距離にして48間 阿弥陀仏の48願    屋根の修理中とは知らずちょっと残念

参道から大殿に至る階段 18段。阿弥陀仏の本願、第18弾

大殿に登る階段は25菩薩をあらわし、25階段です

本殿の中には入れなくてこちらで参拝です  ご本尊は阿弥陀如来仏

おとなりの安国殿も残念ながら開いてませんでした

すぐ横の西向観世音菩薩

こちらにはお参りできました

千体子育地蔵菩薩が並んでいます

裏手には徳川将軍家墓所がありますが、こちらも中には入れませんでした、こちらに埋葬されて
いるのは2,6,7,9,12,14代6将軍、女性は5人の正室、側室は3代家光の桂昌院など
5人そのほか将軍の子女を含む計38名だそうです

墓所のすぐ前には4菩薩像がありました

圓光大師堂

2011年に宗祖法然上人800年忌を記念し建立された御堂です

増上寺内はどこからでも東京タワーが見えます

慈雲閣

上から黒門が見えました

こちらが黒門 三解脱門の並びにあります

三解脱門  東京都内有数の古い建築物であり東日本で最大級を誇る門は、慶長16年(1611)
徳川幕府の助成により建立、慶長19年(1614)に強風により倒壊するも、元和8年(1622)に
再建、増上寺が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に
指定されています

緑豊かな境内です

鐘楼  桜の花が咲く季節に行ったことがありますが見事でした

正面に大門が少し見えます、その先は浜松町方面

日曜の朝でしたから門の前をジョギングやウオーキングを楽しむ人が
多く通っていました

旧台徳院霊廟惣門  寛永9(1632)年造営の2代将軍徳川秀忠の廟所、昭和20(1945)年の
東京大空襲で罹災を免れ保存された門のひとつです。

 

この後芝公園内を散策しました。

 

(5月23日)

墨田区「牛島神社」

聖天さんの帰りに、隅田公園に出てみました。

 

見えたのは言問橋とその先のスカイツリーは浅草界隈ならどこからでも大きく見えます

 

隅田川沿いの公園ではアジサイが咲き始めていました

 

以前紹介した東武線陸橋、日光方面に向けて列車が通過中、特急でしょうか

 

鮮やかな花も咲いていました

 

ちょうちょを見かけると撮りたくなります、母親が花好きで図鑑を持っていました、チョウを
見るといつも母に会えたような気がしてカメラを向けてしまいます

 

言問橋を渡ろうと思ったのですが、以前紹介した東武線陸橋脇の歩道橋を行くことにしました

 

この日はまだ朝の内で歩行している人は少なかった

 

隅田川と吾妻橋

 

途中にこんな場所もあります、去年行ったときはなかったような気がします、鍵がたくさん
集まりそうですね

 

台東区から橋を渡り墨田区側を行くことにしました

 

言問橋方向に戻ります

 

言問橋の手前に「牛嶋神社」(うしのごぜん社)があります

 

860年慈覚大師の御神託により創建、五年に一度の大祭では、牛車を中心とする古式豊かな
行列が氏子五十町安泰祈願巡行します。祭礼は9月15日、今年は開催されるといいですね。

この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり牛車を曳きます

撫で牛さんにも挨拶、自分の具合悪いところを撫でて、快癒を祈願しました

 

境内は静かでした

 

横の鳥居の先、スカイツリーはすぐ近くです

 

境内近くの公園に寄ったら、珍しく鳩たちが水浴びが見られました。右手奥が隅田川です。

 

この辺り近くの「三囲神社」にも寄りたいところでしたが、早朝に歩いてから出かけたので
少し疲れて、でも休憩する場所も難しく、吾妻橋からバスで帰宅しました。
神社仏閣は早朝にお参りできますから、乗り物もラッシュ時を避けで出かけられます。

 

この朝は浅草聖天さんに参拝して、隅田川を渡り墨田区の「牛嶋神社」にもお参りしました。

今はただコロナ禍の一日も早い終わりを願うのみですね。

 

(この日5月12日は息子の誕生日でした)

 

「心寄せる花」展

京橋の「ギャラリーくぼた」で開催された「心寄せる花」展に友人
Teiさんと出かけました、Teiさんはこちらの川岸富士男先生のファンで
以前にも紹介したことがありましたが、優しい花の絵を描かれる方です

 

川岸さんの描く花は、桜や牡丹のように華やかな花でもほのぼのとした
とても繊細な色合いが本当に素敵です

 

 

繰り返し繰り返すことで頭の中が空・・・・空になるまで繰り返す
この単調な繰り返しの中のひとつの行為が一草一花を描き続ける
ことであった。

いざ描き始めてみると、
知っているつもりでも、思いのほか知らなかったり、
見ているつもりでも、思いのほか見ていなかったことに気づく、
この気づきがことのはかうれしく、
今日まで描き続けて来られたのではないかと想う。

この小さな気づきをすべての行為に照らし合わせてみる。
いつもより丁寧に墨を摩り、丁寧に墨を筆に付け、
丁寧に筆を紙の上に運び線を引く・・・
この小さな気づきの中で、一草一花の絵が仕上がってゆく

この単調な繰り返しの時間は頭の中を穏やかに整え、
心を軽くし、和らいだ風を迎えることができる、
この風こそがが一歩、一草一花に心寄せられた瞬間であり
描き続ける楽しみでもある、

川岸富士男

 

会場に飾られた花々もご自分で生けられるそうです。
お住まいが小石川植物園の近くだそうです。

 

素晴らしい「心寄せる花」展でした。

 

 

京橋に出かけたら寄りたくなる「桃六」さん  和菓子が美味しい老舗店ですが、古くからの
芸能人女性ファンも多いのです、季節の草餅を買いました。

 

ランチ時はお弁当も買えます、以前紹介しましたが
おこわ茶飯のお弁当が大好きですが、この日はTeiさんと
ランチの約束があるのにやっぱり買ってしまいました。

 

 

せっかく友人と出かけたのでランチに寄ったのは、京橋エドグランの焼肉店、早めのランチ
時間でしたが、もうお席はほとんど埋まっていました。

久しぶりの焼肉なのに自分の分を焼くのに夢中になり、写真撮るのをすっかり忘れました。
美味しいランチでした。

「桃六」さんのお弁当は夕食に頂きました。

 

(4月8日)

「待乳山聖天」

待乳山聖天・本龍院 (まつちやましょうでん)は浅草寺の支院の一つで宗派は「聖観音宗」

左提灯に大根、右には巾着 境内各所に印されています

こちらでお供えする大根を買いました

大根は身体健全、夫婦和合の功徳を表し、ご供養に欠かせないお供物とされています

 

本殿にお供えしてお参りしました

境内のあちこちで見られる巾着は財宝を表し、商売繁盛、事業繁栄の御利益を示しています

新緑の緑が建物に映える季節です

聖天さんは隅田川を望む高台にあります

階段ですが昔は「天狗坂」という名前だったようです

本堂裏手には稲荷尊

 

数多い年中行事の中で最も知られているのは、1月7日の大般若講・大根まつりです、残念ながら
私はまだ参加したことがないのですが、法要ののち、正月中にご本尊聖天さまにお供えされた
大根を調理した風呂吹き大根がお神酒とともに参拝者に授与され、大いに賑わうようです

神楽殿

本堂に向かって右手に庭園があります

下に広がる庭園

こんな階段で足元に気を付けて下ります

ツツジは終わっていました

緑いっぱいの庭園です

鯉に餌をあげていた係の方が教えてくれたのは

河津桜のサクランボ、一粒頂きました、中が真っ赤でしたが酸っぱかった!

こちらに門がありますが、こちらから出入りはできません

緑豊かな庭園でした

入り口近くに「歓喜地蔵尊」がありました

中央の階段は天狗坂を降りたところ、左にはさくらレールという小さなモノレールがあります

何度か訪れている聖天さんなのにまた道を間違えました。
隅田川に近いところと思いながらちょっと離れてしまったようです。

隅田川の畔を少し歩きました。

 

私が聖天さんに入った階段下に「池波正太郎氏誕生の地」というプレートがあります。
こちらに建てられたころを知っていますが、残念ながら読みにくいほど傷んでいました。
池波ファンとしてはちょっと残念でした。

 

(5月12日)

 

「築地本願寺」

2010年に刊行された五木寛之氏の「親鸞」を、久しぶりに読み返したら、築地本願寺に
お参りに行きたくなり青空の広がった朝出かけました。

 

「築地本願寺」は我が家からは近いので思い立って出かけることもありますが、行事が全部
中止だったので2年前の4月、花まつりの時に珍しく夫を誘い出かけて以来でした

 

我が家にゆかりのお寺さんではなく、私に懐かしいお寺さんで、以前にもふれましたが
中高校と浄土真宗西本願寺系の女子校で6年間朝の礼拝時にお経を読んでいました

 

それでこちらの西本願寺派「築地本願寺」は懐かしいのです、でもコロナ禍の中いろいろな
楽しい行事は残念ながら中止になっています

 

本堂で浄土真宗のご本尊「阿弥陀如来」や親鸞聖人像に手を合わせ心なごむひと時を過ごし、
こちら本堂にいた間いつも誰かがお参りしているほど参拝者が絶えませんでした

 

この日は本堂内でこんな催し物が見られました

 

一日一訓カレンダーフォトコンテストの入門作品写真展「ほとけの心」です

 

このところ断捨離を考えていたのでちょっと気になった一枚でした

 

 

浄土真宗の宗祖親鸞聖人像

遠い昔、中高の授業を受けたころのことはあまり残っていないのですが
大人になってから何かと気になることが多く、誕生の地京都に出かけたり、
のちの流刑地新潟に出かけたり、「恵信尼の里」にもゆきました。
五木寛之氏の「親鸞」の中では妻恵信さんとの出会いなども書かれていました

「親鸞」の中では苦悩に満ちた若き親鸞の姿、比叡山での修行のの日々、そして師である
法然聖人との出会いなど、あらためて感じることが多かったのです。

 

 

本願寺の一角にカフェもありますが現在は営業していませんでした

 

本堂でお参りをしてひと時を過ごすことができコロナ禍の今、心なごむひと時を過ごしました。

 

 

(築地本願寺の様子や、朝夕のお勤めの様子などもLIVE配信しています)

 

(4月30日)

千歳烏山のお寺さん

真新しい列車のようですが、これは先日京王線千歳烏山に行くとき乗り換え駅に来た列車が
見慣れない新車だったのでスマホで撮り息子に聞いたら、京王ライナーの折り返しでしょうと
言われましたロングシートにもできるようで、桜上水に車庫があるからではないかとのこと、
一番後ろの車両で誰も乗ってなかったので、一瞬乗ってよいのかしらと思いました。
座席の向きを変えてない列車に後ろ向きに乗ったのは少しの時間でしたが、面白い経験でした。

 

 

 

この日出かけたのは我が家の菩提寺千歳烏山の「妙寿寺」さん、家人の命日の墓参でした

 

本堂裏手の墓地でお参りしていると、鶯の鳴き声が聞こえたのですが、あまりにはっきりした
大きな鳴き声で、笛かなと思うほどでした

 

声の聞こえる方向で探したのですが鶯の姿は見つかりませんでした

 

妙寿寺さんの本堂です、いつも建物の中から入ります

 

世田谷区の指定有形文化財でもある客殿、佐賀鍋島家の支藩であった蓮池家のお屋敷を
昭和2年に移築したものです

 

「妙寿寺梵鐘」  享保4年鋳造(1719年)

 

門横の大きな銀杏の木の幹に両手を置いてじっとしている女性、なんだか気持ちがわかります

 

お隣バス停前の浄土宗「宗福寺」さん

 

お向かいのお寺さん

 

なぜこの街にお寺さんが多いのかといいますと、1923年(大正12年)の関東大震災で

焼け出されたお寺が集団移転したからだそうです

 

その数は22,現在は少し増えて26の寺院が立ち並ぶ寺町になっています

 

こちら乗満寺さんの前で小学生ぐらいの子供たち大勢が列で通りかかったので、
見送りました

 

ここはバス停前でバスが見えたので千歳烏山駅まで乗ることにしました。
バスが止まっていたのは大勢の子供たちの列が通っていたのででしょう、一方通行の
とても狭い道なんです、歩道らしき道の中央の電信柱もよけながらの通行なんです。

この日はバスを待ちながら寺院通り少しだけ散策しました。

 

(4月27日)

大本山「護国寺」

文京区の「護国寺」に出かけました。
上野広小路、松坂屋の前から護国寺前まで池袋行きのバスで行けます。
バスを降りるとすぐ目の前が「惣門」でした。

 

惣門は本坊に通ずるところにあり、形式は寺社系のものでなく、大名屋敷の表門の形式で、
柱や冠木なども太く、全体的にどっしりした構えです。
五代将軍徳川綱吉公の祈願寺でもあり、将軍と桂昌院の御成のための格式の高い門が
造営されたのだそうです

惣門から入り本坊に通じる道を行くと不老門前に出ます

不老門  昭和13年4月の建立、様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計され、仁王門と本堂の
中間に建立された

観音堂(本堂)前

観音堂(本堂) 本尊は如意輪観音菩薩 元禄10年(1697年)完成した江戸の面影を今に伝え
親しまれています

薬師如来はMedicine Buddha

薬師堂  1691年建立  小規模ながら元禄期の標準的な遺構として価値ある建造物だそうです

真言宗 豊山派 大本山「護国寺」本堂は重要文化財です

本堂横のお墓です、特別な方のでしょう

霊廟  平成8年完成、霊廟落慶、聖観世音菩薩の開眼法要が執り行われた

多宝塔  昭和13年の建立 塔は石山寺の多宝塔(国宝)の模写、大日如来坐像安置です

鐘楼  江戸中期の建立 梵鐘は天和2年(1682年)寄進されたもので銘文には五代将軍綱吉
の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、幕府の厚い庇護を得ていたことを
示す貴重な歴史資料なのだそうです

不老門から降りたところに「音羽富士」という案内を見かけて、寄りました

緑豊かなところでした

見えたのは富士山にたとえたこんもりとした丘、1合目、2合目との案内があったのですが
思ったより急で登るのも下りるのも一生懸命で案内を見る余裕がなくなってしまいました

下から見たより上ると高く感じた音羽富士、音羽はこちらの地名なのでしょうね

近くにこんな碑がもありました

仁王門  八脚門、切り妻造りで丹塗。元禄期造営の本堂、薬師堂や太子堂からなる、
徳川将軍の祈願寺としての中で、重要な表門です。
建立は観音堂(本堂)元禄10年(1697)よりやや時代が後と考えられるようです。

 

何回かバスで通りかかったことはありましたが初めての「護国寺」さすがに立派な
お寺さんでした。

帰路根津神社の前を通るので、ツツジ見物は少し時期が遅いようですが立ち寄ろうかと
思っていましたが、バスの中から歩く多くの人が見えたので途中下車は諦めました。

(4月25日)

亀戸天満宮の「ふじの花」

天満宮のふじの花を見るのも久しぶりの気がします

 

いつもの景色ですが、この季節はふじ棚に緑がいっぱいです

 

急に思い立って出かけたので、この光景を見て嬉しくなりました

 

いちばん長い花をつける木も満開状態です

 

4月末から5月の連休のころが見ごろの時期もありました、今は4月中に満開になります

 

時期もあるかもしれませんが一番長い花をつける棚です

 

ふじの季節が「新東京百景」だそうですがこんな景色が認められたのでしょうか

 

こちらは地上のふじ棚、花の房は短いですが見事に咲いていました

 

それぞれの棚の花の咲き方も違うように思います、早咲きと遅咲きもあるのでしょうか

 

桜の花のこんな光景は花筏といいますが、ふじの花びらでも花筏でしょうね

 

ふじの季節は新緑の季節ですから境内いっぱいに緑が広がります

 

鳥居をくぐるとすぐのふじ棚です

 

 

亀戸天神さんにお参りしたときは必ず立ち寄る船橋屋さん、この季節はお店のふじ棚も満開

 

このところ早い時間にはオープンしてなかったのですが、ふじの季節は開いていました

 

老舗の雰囲気ですね

 

船橋屋さんといえばくずもちです、やっぱりこちらで頂くのが美味しいです。

 

晴れた朝ふじ花を満喫してからくずもちを頂く、非常事態宣言になれば外出できませんので
一日も早い終息を願いつつひとときを楽しみました。

 

(4月23日)

国立科学博物館「自然教育園」

港区白金台の自然教育園に出かけたのは4月22日朝でした

初めての場所でワクワクしました、入るとすぐ通路際の路傍植物園が始まります

こんな道が続きます、道の両側でいろいろな植物が見られます

こちらは見ごろの花です地下茎の形がエビに似ていることから海老根の名前がついたようです、
落葉樹林などに生育し、日本の野生ランの中では、普通にみられる種のひとつでしたが、美しい
花の魅力によって大量に盗掘され個体数が激減しているそうです

フタリシズカ 名前は能の「二人静」に由来し、静御前の霊とその霊に憑かれた菜摘女が
舞を舞う姿を見立てたと言われています

こちら左側の白い花をつけているのは、ホウチャクソウ、今が見ごろで和名の宝鐸とは寺院の
堂塔の四隅の軒などに吊るす大きな鈴のことで、下向きに咲く花になぞられているようです

チョウジソウ 花の下の部分が胴長で、この形が香辛料となるチョウジの花に似ることから
名前がつきました、有毒植物、川岸の木の下や湿地にまとまって生えますが、園芸目的の
採集や埋め立てなどにより減少し、絶滅が危ぶまれる植物です

ひょうたん池  カワセミなどの観察地のようでカメラを持つ人たちを多く見かけました

新緑が本当に美しかった

外側の大きな花びらの根元にある模様が綾目であることが名前の由来といわれています、少し
乾燥した草地に育成しますが、野生のものはかなり少なくなっています。
万葉集などで菖蒲と書いて「あやめ」と読んでいたのは、ショウブ科のショウブのことで
本種ではないそうです

名前はカキツケバナ(掻付花、書付花)の転じたもので、花の汁をこすりつけて染めたことに
よります。「万葉集」や「伊勢物語」などの古典文学に登場し、家紋にも用いられるなど
古くから日本人に親しまれた植物です

アヤメとカキツバタ見分け方は ?

サギでしょうか一羽だけ見かけました

チョウジソウによく似ていますが ”のうるし”と書いてあり、たくさん咲いていました

ツボスミレの中にもホウチャクソウを見かけました

水生植物園を見渡したところ、豊かな緑と水のコントラストが素敵です

武蔵野植物園への道は少し手前にもあたのですが、あまりにも寂しい道で戻ってしまい。
この道を行くことにしました

こちらはフキです

こんな山道のような寂しい道が続きます

こんな場所もありました

最初に行きかけて寂しい道で戻ったところに出ました、たまには人に出会いますが、、

水生植物園の所に戻ってきました

別の小道を行くと水鳥の沼のほとりに出ました、ここは来た道を戻ります

ハクウンボク 満開の白花が白雲を思わせることから白雲木の名前がつきました。新しい枝の
先に総状花序をだし、白い花が20~30個つり下るそうです(咲き始めたばかりのようでした)

キンポウゲ科のニリンソウの中にもホウチャクソウを見かけました

路傍植物園あたりに戻ると行くとき気が付かなかった見ごろ情報に載っていたムサシアブミを
見つけました、葉が大きいので覗かないと見えない花でした

花を包む仏炎苞が、武蔵国(現・東京都、埼玉県、神奈川県にまたがる)で作製したあぶみに
似ていることからついた名前、湿った林の下でよくみられる植物だそうです

幹に張り付いている動物のようなのは”つた”でした

植物の名前は面白いですね、この植物がひげのように見えたのでしょうか

”ふたりしずか”という植物と同じように見えますが、こちらは花が3本のようですね

入り口近くに戻りました。

花に解説を付けたのは、こちらの「見ごろ情報」によるものでした。

 

たくさんの植物を見られました、花が咲いているほうが印象に残りますね。
都会の真ん中に大きな森や池があり、山道を歩いているような感じになりました。
今度は別の季節に来てみたいと思いながらの帰宅でした。

 

(4月22日)