しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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ブルーベリー摘み

立川の従妹から「ブルーベリーが食べごろになった」という知らせに出かけたのは7月18日でし
従妹の家は玉川上水土手近くで、緑がいっぱいの所です。

子供の頃住んでいた近くなので懐かしい場所です。

従妹の家の前はいつも花がいっぱいです、すぐ近くで畑も楽しんでいます

 

カサブランカが1輪

 

従妹の家から近いブルーベリー畑の一部に大きな実の柿の木も栽培しているお宅です

 

ブルーベリー畑はネットの中なのでかなりむし暑い

 

若い実はピンクでかわいい

 

この果樹園の初摘みのブルーベリーは初体験でした

 

熟れた実を選び摘むのでいつもより少し手間がかかります

 

例年8月になってから出かけていたので、初摘みは大きな実で甘みも強く魅力的でした

 

 

翌日になってしまったけど、大粒で美味しかったので撮ってみました。

 

 

こちらのキュウリもブルーベリー畑のお宅の自家用です

 

帰りに畑に連れて行ってもらい、葉生姜はたくさんもらったので酢漬けにしました

 

このキュウリも収穫

 

トマトも赤いのを選んで収穫、甘くておいしかった

 

茄子は収穫してあった白くて大きなのをもらってきました、白い皮の茄子は美味しい食べ方を
教わり翌日試しました、オリーブオイルで焼くだけなのですが柔らかくて瑞々しく、味は
少し甘味があり、かなり大きい茄子でしたが一つ食べてしまいました

 

小型でも西瓜はさすがに持ち帰れないのでよく冷えたのをご馳走になりました、
すごく甘くて瑞々しく美味しかった。

 

今は年中行事のブルーベリー摘み、友人たちにも初摘みのおすそ分けを発送したので
この日は従妹に手伝ってもらい7㎏も摘みました。

いつも帰り道が大変、野菜をいろいろいただいてくるのでカートを持って行くのですが
電車や地下鉄に乗るのにエレベーターやエスカレーター利用しなければならないほどです。

8月にもう一度ジャム用のブルーベリーを摘みに行きたいと思っています。

(7月18日)

 

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如水会館のレストラン「Jupiter」

イタリア文化会館で一緒だった、Minakoさん、Yokoさんと三人で待ち合わせたのは
「如水会館」この日は1階のフレンチレストラン「Jupiter」でレデイースランチを
楽しみました。

 

圧倒的に女性のお客さんが多かったです

 


東京会館のレストランです

 

前菜  美しい色どりです、スパークリングワインが付きましたが、ノンアルでした。

 

お隣の席の年配のご夫婦らしきカップルのご主人がステーキを食べていて、それを見て
3人ともメインはお肉をチョイスしましたが、ステーキでもちょっと違いました(笑)

 

一つ目のデザートはフルーツとアイスクリームなどでした

 

もう一種類デザートが付きました、レディースランチならではですね

 

いつもはカフェなどに立ち寄るのですが、ロビーに誰もいなかったので続きのおしゃべりは
ロビーでした。
右手の胸像が気になり近づいてみると今話題の人でした

 

どなたかわかりますねそう渋沢栄一氏でした。

如水会館は一橋大学の創設に尽力した渋沢栄一により命名されたそうです。

 

こちら如水会館は一ツ橋大学の同窓クラブ「如水会」の同窓会館として大正8年に建設された
歴史と伝統のある会館です。

 

ご主人が一ツ橋大学の出身で親しくして頂いていた六本木に住むご夫婦のお誘いでランチを
ご一緒したことがありますが、ずっと昔のことでしたので様子が変わっていました。

Minakoさん、Yokoさんは私よりかなり若い人たちで、毎年イタリアや海外に出かけられ
ているのですが、この2年ぐらいは無理でした。
コロナ禍の一日も早い終息を願うのみですね。

楽しいひとときはあっという間に終わってしまいました、またランチをご一緒したいです。

 

(7月15日)

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天ぷら「天庄」

江戸東京博物館から友人と待ち合わせた眼鏡屋さんに向かいました。

私も何回か買っているお店なので、さっそく検眼して老眼鏡を作りました。

友人は遠近両用と、老眼鏡を注文してお店を出るとランチ時間の終わりごろで、
上野広小路に向かいこちらのお店に入りました。

 

湯島天神の近くに本店があり、一緒に出かけたこともあります、こちらのお店は支店で
広小路から春日通を少し行ったところにあります。

 

今日は天丼にしましょうなんて話しながら歩いたので、着くころにはすっかり天丼モード。

こちらの天丼は天ぷらの種類も多くアナゴにエビにイカなど、どれも美味しかった。
私は朝食の時間が早いのでお腹が空いていて待つ間の天ぷらの香りだけでワクワクでした。

大好物の天丼です楽しんでいただきました。

お店を出て近くのこちらもいつものお店広小路の「風月堂」の喫茶に立ち寄りましたが、
1階にあった喫茶はなくなり、商品の販売だけになっていました。

2階のレストランも営業してないようでひっそりしていました。
風月堂のこんなに寂しい光景は初めてです。

 

いつも立ち寄る食品店やデパートでの買い物もやめて早めの帰宅になりました。

 

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「江戸東京博物館」

映画「HOKUSAI」を見てから久しぶりに江戸時代の生活状況など見たくなり久しぶりに
「江戸東京博物館」のホームページを見ていたら来年4月から3年間も改装で休館という
事を知り早速出かけました。

開館したばかりの時間だったので見学者も少なかったのですが、こちらの二人は外国人で
取材のようでした、まず日本橋から出発のようでした。

「寛永の町人地」江戸初期、日本橋北詰付近の町人地です。「寛永の大名屋敷」松平忠昌の
上屋敷とほぼ同じ面積を復元したもの、敷地が広く多くの建物が建っていた大名屋敷に比べ
町人の家は一戸が極めて狭かった。

でも楽しそうな様子がうかがえます

 

「寛永の大名屋敷」 江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主・松平伊予守忠昌の
上屋敷である。広大な敷地に桃山風の豪壮な建物が建っていたが、明暦の大火により焼失し、
以後このような華麗な大名屋敷は姿を消した。

幕末の江戸城  江戸城の中心部です内堀の囲まれ内郭は本丸。二の丸・西丸・吹上御所
などから構成される

 

「東都高輪風景」 文久3年(1863)3月 東海道を江戸に向けて進む、参勤交代の大名行列を
描いた錦絵。
行列の右手には海が広がり、左手には高輪の丘陵が迫る。現在の品川周辺を描写したもの。
長く続く大名行列が周辺の人々に権威をはなっていた光景を伝える。

「蒔絵女乗り物」 江戸時代中期  蒔絵から酒井家にかかわる女乗り物と思われる。

 

 

こちらは庶民の棟割長屋、長屋はひとつの棟を数戸に区切った住居で仕切りの壁のほとんどが
木と紙からなる木造建築で、火事にもろかった、江戸の約2割に当たる狭い地域に多くの庶民が
部屋を借りて暮らしていた、代表的なものに「九尺二間の裏長屋」がある。
間口九尺(約2,7m)奥行二間(約3,6m)約3坪の広さで、居間は4,5畳あった。

 

復元した棟割長屋は九尺二間の部屋が3戸と間口2間、奥行2間の広さに居間が6畳の部屋が
2戸で、いずれの部屋も、戸口を入ると台所兼用の土間があり、置き竈や水がめが置かれている
部屋には押入れはなく、衣類などは行李(こおり)という入れ物に衣類などを収納し、布団と
一緒に片隅に片づけて生活スペースをあけました。

指物師の部屋

お産の風俗 棒手振り商人の家のお産

洗い張り 洗い張りは着物の縫い目をほどいて洗い、しわを伸ばして乾かすことを言う。
江戸前期には専業の洗い張り屋が登場した。

「寺子屋師匠」 江戸期に普及した、寺院における子弟教育から始まったことから寺子屋の
名称が残ったと考えられる。

「上水井戸の構造」 江戸市中には上水を流す樋が道路下に埋設され水を供給していた。
長屋に設けられた上水井戸を通して人々のもとに届けられた。
上水井戸は、地中で底を抜いた桶をいくつか重ねて水をためておき、必要な時に竹竿の先に
取り付けた小さい桶で汲み上げる仕組みとなっている。

(左手の建物に立てかけてあるのが洗い張りして乾かしている板)

 

「一石橋迷子標」 迷子への対処のため、町人が資金を出し合って
設けたもの。
迷子や捨て子は親が見つかるまでの期間、それを発見した町の負担に
よって教育することが義務づけられていた。
そのためこのような石碑を立て「たずぬる方」には子供を探す親が我子の
特長などを記した札を貼り「しらする方」には迷子を保護した町から情報が貼られた。

 

「俳優見立夏商人 水売り」 水売りは夏季に限った商売で、水を
二つの手桶に入れて、天秤で担いで売り歩く。
売り声は「ひゃっこい、ひゃっこい」である、前の手桶には茶碗や
白玉を入れる屋台が見える。
冷たい水に白玉・白砂糖入りで一杯4文だったが、注文によっては
砂糖を増量して8文、12文で売った。

夜商内六夏選(麦湯売り) 夏の夜に見られた麦湯売りを描く見立絵
麦湯は現在の麦茶と同様のもので、「麦湯」と書かれた行燈を掲げ
屋台を出して売っていた。
冷蔵庫のない時代冷えてはいない、だか、夜風にあたりながら麦湯を
飲み、また涼しげな浴衣を着た看板娘が目にも涼をもたらした。

「日常の膳」 一、目刺し鰯  一、八杯豆腐  一、白飯  一、沢庵漬
「日用倹約料理仕方角力番付」をもとに作成したもの。

 

寿司屋の屋台 現在の寿司と比べると1貫が大きく赤酢を使用しているのでお米が赤っぽく
なっています、タネは江戸前の魚が多く、酢に浸したものを主に使用した。

 

江戸の町では店を構えず、町中での屋台で営業する商人も多く見られました。
扱う品物も食べ物・飲み物・日用品・嗜好品など多種多様でした。(二八そば屋)

 

「絵草紙屋」 「東海道名所図会」に描かれた和泉屋市兵衛の店(甘泉堂)をもとに
江戸の絵草紙屋の店先を復元した。
和泉屋市兵衛が店を構えていた芝神明前三島町(港区芝大門1丁目付近)は東海道の脇にあたり、
地本問屋が集中する区域のひとつであったが、出店時期は不明である。

「世の中五用心」 江戸の暮らす庶民が、日常生活で心がけておくべき
事柄として「身の用心」「戸締りの用心」「日の用心」「あつささむさの
用心」「おしり(お尻)の用心」の5つを取り上げている狂歌と挿絵を
楽しみつつ、教訓的な内容を学んだが、最後の「お尻」とは物事の最後の
意味で、ここから転じて大晦日の借金の期限のこと意味している。

年貢米を江戸に運ぶ船

 

「三井越後屋江戸本店」 江戸時代の代表的な呉服店で駿河町にあった「三井越後屋」の
店前を再現したもの。
創始者三井高利は伊勢松坂の出身、1673年京都に呉服の仕入れ店を設け、江戸の販売の店を
開いた。
模型で復元したのは「東見世」部分であり、さらに同程度の間口で「本見世」がある、
いかに三井越後屋が大きかったかがわかる。

賑わう店内を見ると、鴨井には手代の名を記した紙が吊るされその下で反物を出し、対面売りを
する手代の様子や湯茶のサービスなどを行っている子供などを見ることができる。

この販売方法は「店前売」といい、客は多くの反物を手に取ってみることができた。
それまでの商法では、商人が得意先に行って商品を渡し、あとで利息を付けた対価を受け取る
後払いであったが、新商法は店頭で現金販売とする代わりに利息をかけない。「現金懸値無し」
というものであった。

「神田明神行列」 神田祭の華やかで壮大な行列のありさまを当時の絵画資料をもとに
代表的な山車や神輿などを抜き出し復元した。

 

「両国橋西詰」 西詰の広小路には軽業や歌舞伎芝居を見せる見世物小屋、髪結い床、水茶屋
などがいくつも立ち並び、寿司、天ぷら、うなぎなどの屋台、西瓜売り、朝顔売り、などの
物売りや大道芸人も多く集まった。

夏の間は花火見物に興じる屋形船、屋根船、猪牙船が浮かびその間を物売りやウロ船や花火船が
行きかった。

天保の改革の取り締まりの記録をもとにして、改革前の盛り場の姿を1500体の人形を配置して
再現したものです。

 

「芝居小屋」 歌舞伎は当初屋外で行われたが享保期ごろから客席を含めた全体を大きな屋根で
覆う形式の小屋が許可され、晴雨にかかわらず芝居を楽しむ劇場としての設備が整った。

「助六の舞台」 江戸歌舞伎の代表的な演目を、架空の場面設定で展示した。
助六は1713年に2代目市川團十郎の「助六由縁の江戸桜」の舞台

花魁 揚巻

 

中村座の前でも撮影が行われていました、出演者とカメラマンの二人だけですから
江戸東京博物館の説明だけなのでしょうか。
歩きながら話していましたが、残念ながらどこの国の言葉か分かりませんでした。

 

こちらは3階の出入り口、この屋上広場に休憩所があるのですが、こちらも入れませんでした。

 

この日は入館と同時に友人から電話があり、外出がしにくい日々なので彼女に合わせて
1時間半後にこちらから15分ほどで行ける眼鏡屋さんで落ち合うことにしました。
江戸時代以降のエリアはまたの機会に見物することにしました。

来春からの改装工事は思いがけないことで、開館からもう30年も過ぎるということにも
驚きました。
一時閉館までにまたゆっくり訪れたいと思いつつ江戸東京博物館を後にしました。

 

(7月6日)

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銀座ランチ 「天壇」

久しぶりに友人が浅草橋でアクセサリー用の天然石を買いたいというのでお付合いしました。

ネックレス用のいろいろな種類の天然石を選びお店を出たらちょうどお昼時で美味しそうな

お店を探しましたが、下調べしてなかったので地下鉄でやっぱり銀座に出ました。

 

ずっと以前入ったことのあるお店で、銀座の晴海通りと昭和通りの角、歌舞伎座向かいの
ビル10階の焼肉店、この道を通るとき久しぶりに寄ってみたいと思っていました。

京都の老舗焼肉店ですが、窓際の席だと眺めがよいのですが、混んでいる時間帯で席は
選べませんでした。

焼肉コースには前菜のナムル、キムチ三種、サラダが並びました

 

セットの上タン塩

 

網に手前の油を塗って焼くように言われました、まずはお味見、薬味もついていましたが
レモンで頂きました、塩味もちょうどよくて美味しかった。

 

天壇ロース・特選カルビ・ハラミ盛り合わせ

 

肉好き二人ですから、京都風食べ方にも興味津々

 

こちらのお店の大きな特徴はお出汁で頂くこと、牛骨スープの透き通ったお出汁なんです、
濃いめの味に付け込んだお肉を焼いて出汁で頂く、これはこれで美味しかったです。
どの部位も柔らかく、お出汁で頂く焼肉はさっぱりしていくらでも頂けそう!

 

お肉を食べてからコースではクッパか、冷麺が付きます、両方頂いてシェアしました。
焼肉は白いご飯で頂きたい気もしますね。(写真は撮り忘れました)

 

デザートはたっぷりお抹茶の付いたわらび餅、こちらも京都風ですね、それにアイスコーヒー
美味しい組み合わせでした。

 

東京人の友人には焼肉は”お出汁につけるより甘辛たれのほうが好みのようでした。
甘辛いたれをつけた焼肉に白いご飯は食べ慣れた味ですから。

友人と出かけて何年ぶりだったのでしょうか、だし汁で頂くなんて忘れていました。

いつも銀座からは都営地下鉄で馬込方面に帰る友人とこちらのお店が見える晴海通りを
東銀座まで歩きましたから、交差点で見上げたこともありました。

いつものように東銀座で、友人は浅草線、私は日比谷線に乗りました。

 

(6月30日)

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「すみだ北斎美術館」

映画「北斎」を見たら美術館にも行きたくなり出かけました。

 

墨田区は北斎ゆかりの地です

 

建物のいろいろな窓から見えます。

 

 

「北斎のアトリエ」です、84歳の頃、区内の榛馬場に娘の阿栄とともに住んでいました。
その様子を門人の露木伊逸が絵に残しています。
それを元に再現した模型だそうです。

 

北斎は炬燵に半分入りながら、熱心に絵を描き、阿栄はその様子を傍らで見守っています。
北斎を訪ねた人の話ではゴミが散らかっていても父娘は意に介さず、その中で平然と絵を
描いていたと伝わっています。

 

手の血管までわかります、本人がいるようですね、時々手が動き北斎が絵を描いている様子が
分かるようです。

 

この窓からも見えました

 

 

企画展をやってました

出かけて知った企画展でした

多くの作品が展示されていました

例えばこんな感じ  「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」

 

映像も見られます

 

しりあがり寿「飛沫瀧マスク」 (右)今や必需品のマスクを防水ウエアと合わせてみました、
むしろ花粉症に合うかも!  (左)浪裏&瀧廻りポンチョ 雨の季節、北斎の瀧をまとって
水も滴る何とやら。 という説明でした

長T 「distanceTシャツ」

 

等々

 

常設展で「北斎漫画」も見ましたが、なんだかあまり頭に入らなかった。

 

常設展は見たのですが、何となくこの日は「富嶽三十六景」にも気持ちが入らず、中途半端な
気持ちでの帰宅でした。

この日帰りに近くの「江戸東京博物館」にも立ち寄れたらと思っていたのですが、
日を改めることにして家に戻り、江戸時代のことを少し勉強した時の本など見直しました。

 

7月に六本木ミッドタウンで「浮世絵展」が開催されるようなので楽しみにしましょう。

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映画「HOKUSAI」

久しぶりに家の近くの映画館に行きました、10時20分からの上映でしたが観客は
10人ほどでした。

 

江戸時代の天才画家、「葛飾北斎」楽しみな映画でした。

 

90年の生涯で描いた作品3万点以上

 

米ライフ誌の「この千年で最も偉大な功績を残した100人」に
レオナルド・ダ・ヴィンチなどと並び、日本人でただひとり選ばれた
世界的アーティスト、葛飾北斎

 

そのダイナミックで独創的な浮世絵は時代を超えて世界中の人々を魅了し、国内では「富嶽
三十六景 神奈川沖浪裏」が2020からパスポートに採用され、2024年に導入される新紙幣の
絵柄になることも決定してます。

 

左から北斎青年期/老年期
自らを画狂人と呼び、絵にすべてをささげた天才絵師
若き日に苦悩を重ねるが、苦心の末開眼。圧倒的な
画力と唯一無二の創造性でヒット作を量産、芸術家が
抑圧される中で、筆で抗い続ける不屈の革命家。

蔦屋重三郎  絵や本の版元であり、出版販売もしている耕書堂店主
北斎、歌麿、写楽など、江戸を熱狂させる絵師を続々育て、出版した
当代きってのプロデューサー、早くから北斎の才能を見抜き、
気にかけている。

蔦屋重三郎にも興味があるのですが、北斎とは10歳違いだけど47歳で
没しているため70歳過ぎて「波の画」でメガヒットした北斎を知らなかったのです。

左から柳亭種彦  武士の家系でありながら文才に溢れ、剣よりも筆を好んだ戯作者、
北斎とは幾度もタグを組んでいる盟友、芸術を取り締まる立場でありながら身分を隠し、
強い信念をもって作品を作り続けた。

喜多川歌麿 江戸中に名をはせた美人画の大家、表情や構図など独自の表現方法で人気を博す。

コト    北斎を陰ながら支えた良妻、老年期の北斎の右腕として活躍する娘・お栄を生み、
育てた母でもある

高井鴻山  小布施の豪商で北斎の高弟、北斎を小布施に招き、老いた北斎は4回も小布施に
出向いた

青年期に関する資料がほとんど残されていないため、歴史的資料を
徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生み出されたオリジナル・
ストーリーだそうです。

町人文化華やぐ江戸の町。 貧乏絵師の北斎はある日、希代の版希の
版元。蔦屋重三郎に才能を見出され、一躍人気絵師になる

その後70歳から描いた「冨獄三十六系」が大衆を魅了する。誰もが知る
あの豪快な波の絵が生まれた。
発表作品は3万点

 

富士山が見える砂浜で休む北斎

 

1760年生まれ  6歳ですでに筆を取っていたという記述あり。

68歳の時に脳卒中になったが、お手製の薬で治してしまった。
86歳で信州小布施に旅行、80歳を過ぎて江戸~小布施往復4回
その距離なんと2000km
1849年 90歳 浅草にて没

生涯に引っ越し93回

大量生産の浮世絵版画なのにオークションで1枚1億円超の値付いたそう。
19世紀最高の画家でした。