月別アーカイブ: 2021年12月

「江戸三十三観音札所」 6番「清水観音堂」

この日の目的地は上野公園内

 

不忍池に面した高台にある

 

東叡山 寛永寺 「清水観音堂」です  寛永8年(1631)に天台宗東叡山寛永寺の開山
慈眼大師天海大僧正によって建立されました

 

ご本尊も清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎え秘仏としてお祀りしています
上野の山に現存する、創建当時の明確な最古の建造物で、ご開帳は年に1日、2月「初午法楽」の
日に行われるそうです

「月の松」正面に見えるのは不忍池と弁天堂

 

広重の「大江戸名所百景散歩」にある「上野山内月のまつ」
不忍池、池に突き出た中島、対岸の池之端町屋、本郷台に並んだ
大名屋敷を描いている

雪つりも完成していました

 

京都の清水寺を模した舞台造りのお堂です

 

「上野清水堂不忍ノ池」上野の山は江戸一番の桜の名所でした、ここは
徳川家の菩提寺であった寛永寺の開基であった天海僧正が大和(奈良)の
吉野山と同じように桜見物の場にしようと咲く時期を異にする吉野桜、
山桜、八重桜など参内に植えたので2月末から3月中頃まで桜の花が絶える
事がなかった場所です

帰りは不忍池のほうに下りました、青い屋根のお堂は中島にある弁天堂です、6月になると
蓮の花が咲きます、何回か紹介したことがありますが、一面に蓮の花が見られます。

 

この後、徒歩で行かれる湯島天神方面に向かいました。

5番札所 「大安楽寺」

山門と本堂

新高野山 「安楽寺」 高野山真言宗の寺院  ご本尊は「十一面観世音菩薩」

かつては一帯が伝馬町牢屋敷であり、「江戸伝馬町処刑場跡」の碑が
残っています、牢屋敷は1875年(明治8年)に市ヶ谷に移ったものの
跡地は処刑場跡であることが嫌われ、荒れ果てたままだった。

江戸八臍弁財天

遡って1872年(明治5年)この地に燐火が燃えるのを見た五大山不動院の
住職であった大僧正の山科俊海は処刑場で亡くなった者たちを慰霊せんと
勧進し、1875年(明治8年)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受けて
創建されたのが安楽寺です

寺名の「大」は大倉、「安」は安田の名前に由来する、翌1875年には
高野山より弘法大師の像を遷座し、新高野山の山号を称した

 

延命地蔵尊 半跏像です

 

人形町のお隣小伝馬町駅からすぐのところでした。

4番札所 「回向院」

名所案内に「回向院」は歴史の中で庶民とともに歩んできたお寺とありました

墨田区両国の「回向院」にも時々訪れています、夫がこの近くの生まれでゆかりのある場所
でした、この山門前の広場でいろいろなイベントが行われていたのです、国技館も近く
イベントには必ず大勢のお相撲さんも参加されていました

この日は久しぶりのお参りでした

 

正面が本堂 ご本尊は「阿弥陀如来」かつては本堂を背にして露天に安置されていた、
いわゆる濡仏さまだったそうです、宝永二年(1705)安置された、銅作りの座像です、
数年前にお参りしたときは賑やかなお堂内でしたが、この日は人影もなく静かにお参り
させていただきました

本堂から少し離れた場所に「馬頭観世音菩薩像」が安置されています
こちらが4番札所の観音さまです

場所を伺ったお坊さんがなぜこちらに安置されたかを教えてくださった
ので紹介します
4代将軍家綱公の愛馬が死亡しその骸をこちらに葬ることになり、その
供養するため馬頭堂を建て馬頭観世音菩薩像を安置したのだそうです

こちらの「馬頭観音菩薩」に祈願すると、当時最も恐れられていた熱病や天然痘にかからぬと
いわれ、時代が下がるにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音さまとして人々のあつい信仰を
集めたそうです

幾多の災難にあい当時のものは焼失してしまいましたが、今も多くの巡拝者で賑わっています

 

「塩地蔵」 右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると
塩を供えたことから。「塩地蔵」と呼ばれて親しまれてきました

 

こちらはおなじみの鼠小僧次郎吉のお墓
長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が
当時より盛んで、現在も特に合格祈願に受験生方が後を絶たず、前に
削ってもよい石が置かれています

こちらは猫塚

 

猫の恩返しの「両国物語」です

 

本堂横のこちらの建物内でも展示会など催し物で訪れたこともあります

 

「力塚」

日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのため勧進相撲興行の
形態をとっていました。
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年(1768)のことで、勧進相撲興行の
中心は回向院とされてきました、やがて天保4年(1,833)こちらで春秋2回の興行の定場所と
なり明治42年旧両国国技館が完成するまでの76年間「回向院相撲の時代が続きました。

 

お坊さんとも話したのですが、回向院前と両国駅の間を通行止めにしてイベントが開催される
日が一日も早く来ることを願っています。

 

 

3番札所 「大観音寺」

人形町には時々出かけるので、お参りする機会が多いお寺さんです

 

人形供養をお願いしたこともありました

ご本尊は「鉄造菩薩頭」と呼ばれる観音菩薩の巨大な頭部です

 

「鉄造菩薩頭」はいつも拝観できるのではなく、ご縁日である毎月17日です

 

拝観したことがありますが、人の背丈ほどもある大きさに驚きました。

 

 

大観音寺さんのすぐ横の小道はこんな雰囲気です

 

時計台下で見かけました、人形町にぴったりな粋な姿でした。

 

良く出かける人形町でもいろいろな催し物が中止になり寂しいです。

東京駅「ミチテラス」

2021年、今年のミチテラスは「夜明けの光景」 明けない夜はない  駅前の広場です

 

行幸通りは寂しい感じでした

 

こんな光景が見られました、あちこちで何組か見かけてプロの方たちのようなので撮りました

 

駅舎の後ろに高層ビルが増えました

 

こちらはKITTE(キッテ)ビル1階広場

 

今年は日本の伝統工芸・和紙を用いて、にっぽんのクリスマスを表現

 

音楽とともに色が変わります

 

天井から降り注ぐ約12,000枚の和紙でできた雪が素敵でした

 

キッテビル6階キッテガーデンに出てみました、左手ビルが新丸ビル、東京駅前広場です

 

バックのビルは、呉服橋、日本橋あたりでしょうか

 

八重洲側もかなり高層ビルが増えた感じです、中央ビルのエレベーターの動きが見えました

 

山手線や京浜東北線などの車両が通過中ですなど、左手の一段と明るい辺りは新幹線ホーム

 

右手下の駅舎2階に「とらやカフェ」があります

 

丸の内中通のライトアップ

 

今年の丸の内クリスマスは「魔法」がテーマだそうです

 

丸ビル1階広場のクリスマスツリー、ライティングショーが始まる
時間でした

 

ハリーポッターは3Dホログラムディスプレイで

 

本物の魔法生物がツリーの周りを飛び回っているような演出

 

「ボグワーツの魔法の樹」は素敵でした

 

丸ビルに比べると新丸ビルは

 

クリスマスツリーは飾られていますが、シックで静かです

 

帰り道バス停から見た新丸ビル、いつもの光景です。

 

23日の「ミチテラス」行幸通りは木に飾ったイルミネーションだけで少し寂しかったですが
東京駅舎と広場のライトアップ「夜明けの光景」は静かな美しさでした。

 

 

(12月22日)

「江戸三十三観音札所」2番 江北山 清水寺

この日乗り物の都合で先に立ち寄ったのは銀座線で浅草の一つ手前
田原町のかっぱ橋商店街です、お参りを終えて奥浅草辺りの
この道を通り浅草寺に向かいました

 

江北山「清水寺」(せいすいじ)台東区松ヶ谷、かっぱ橋商店街の
中にありました、2階建てのモダンな建物です

 

門が開いていたので人影はありませんでしたが、2階の本堂でお参りさせていただきました

ご本尊は千手観音菩薩、詳しくは千手千眼観世音菩薩、千本の手とその掌に千の眼を持ち、
世のすべてを見透し、私たちの苦難消除に縦横の威力を振るってくださるあらたかな仏さまです

 

およそ380年ばかり前の慶長年中、慶円法印が比叡山正覚院の僧正の
協力を得て中興され、徳川家康の入府で江戸城築城のため馬喰町に移り
さらに明暦3年の振袖火事ののち、現在地に再興されました。
(清水寺縁起より)

 

今回私はお参りだけで御朱印は頂いてないので声はかけませんでした

 

浅草寺に続く2番札所をお参りしました。

「江戸三十三観音霊場」 1番 金竜山 浅草寺

子供のころから出かけている大好きな浅草ですから、「江戸三十三観音霊場」1番札所でも
最初にお参りに行かなかったことが気になり、この日出かけることにしました

 

雷門の大提灯の裏側にかかれてい文字は風雷神門でした

 

朝9時過ぎ頃だったので参道の仲見世も開いてなく、人通りもまばらで久しぶりの光景です

 

山門は942年に創建され、その後、度重なる火災により焼失するが、その都度再建されてきた、
1648年には徳川家光の寄進により本堂、五重塔とともに再建されたが、1945年3月10日の
東京大空襲により。本堂、五重塔、経堂とともに焼失、現在の山門は1964年(昭和39年)に
再建された鉄筋コンクリート造で、経堂を兼ねた建物

本堂の創建は古く628年、江戸浦(隅田川)で地元の漁師、檜前浜成(ひのくまはまなり)・
竹成(たけなり)兄弟の網に黄金の観世音菩薩像がかかりそれを祀ったのが始まりと伝えられ
ています、しかし創建された長い歴史において幾度も被災し、再建されました。

江戸時代には徳川家康が祈願所とし、上野寛永寺、芝増上寺と並び隆盛を極めました

浅草寺の本堂はご本尊の聖観音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれます
階段の上にせり出した直径4,5mの大提灯が掛かる本堂です

 

本堂内は「施無畏」と書かれた扁額がかかる外陣と内陣に分かれている

座敷内の内陣には中央にご本尊を泰安する御宮殿(ごくうでん)があり、その内部にお逗子が
安置されています、ご本尊聖観世音菩薩は秘仏です

毎月18日観音さまのご縁日の本堂参拝の折は内陣に上がり、観世音菩薩のお慈悲を
身近に感じることができますと書かれてありました

江戸時代の参拝者は天井を見上げて天人にも祈願していたようです

 

五重塔  最上階には、スリランカのイスルムニヤ寺院からの仏舎利が
納められている

1973年に再建された鉄筋コンクリート造りの塔で、外から見ると、塔は
地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の
上に建っていることに今回初めて気が付きました。
塔の部分だけ見ていてのでした。

 

やはり三十三観音霊場の第1番 浅草の観音さんで親しまれている浅草寺に
お参りして気持ちは落ち着きました。

新丸ビルでのランチ

丸の内新丸ビル内で友人と待ち合わせしたのが午後2時、友人が歯医者さんに出かけた帰りで、
こんな時間のランチになりました

 

6階「船橋屋」で海老天丼をいただきました、ランチが終わりの時間でお店は空いていました
船橋屋さんは懐かしいような浅草の味です。

 

この日は朝から雨で荒れ模様でした、友人は逗子まで帰るので通勤で混む前にと思い
いつものように長おしゃべりは出来なくて、ランチの後はコーヒーショップで過ごしました。

長年の親しい友人でおしゃべりは尽きませんが、また次回の楽しみにしましょう。

(12月8日)

 

 

3日後別の友人が行きたいと言っていた新丸ビル6階の中華料理店「四川豆花飯荘」東京店に
友人が高島屋で買い物のあとに立ち寄りました

 

テーブルに置かれているお茶の中身はクコの実やナツメなどの乾燥フルーツ、
ナッツと乾燥菊の花、お茶の葉などと氷砂糖ひとかけらが入っています

 

ティーマスターと呼ばれる茶芸職人の芸術的なパフォーマンスでお茶が楽しめます

 

次の料理に備え後味を整えるため、茶芸師が何杯でもお茶を注ぐそうです、ほんのり甘みの
ある香りのよいお茶でした

 

以前いただいて美味しかった五目焼きそば、友人に話したら行きたいと言われ案内しました
この日もよく焼かれた麺にたっぷりの具のあんかけでとても美味しかった

 

食後は定番ですが杏仁豆腐、こちらもたっぷりでお腹がいっぱいだったのでデザートもう一品
ゴマ団子は持ち帰りにしてもらいました

 

新丸ビル前バス停から、左手は丸ビル、間の行幸通りで暮れのライトアップが始まります。

込み合うので今年は早めに出かけることにしましょう。

 

(12月11日)

「学士会館」でランチ

神保町駅から近い入り口もあります、こちらはレストランに近い入り口

 

旧帝国大学出身者の親睦の場として昭和3年に創建されたレトロモダンなシティーホテル、
玄関の半円アーチやスクラッチタイルの外観が特徴だそうで、趣のある建物です

「発祥の地」だったのですね

 

近くのイチョウが散り始めて秋も深まっていました

 

反対側の少し先に、前回同じ友人たちと出かけた「如水会館」(奥のビル)が見えました

 

この日待ち合わせたのは、イタリア文化会館で一緒だったいつもの友人3人で、忘年会でした
「Tatin」フレンチレストランです

 

日差しが差し込む心地よい店内

 

ランチコースをいただきました

 

前菜は伝統のスモークサーモンとアボカドのタルタル、ハーブサラダとビーツのクーリ
スモークサーモンとアボカドの相性がよくとても美味しい一皿でした

 

白ワインもいただきました、3人ともアルコールに強くはなくて
1杯でも赤くなるほどですが、こんなお料理の時は頂きたくなります

 

ジャガイモのクリームスープ、スモークアンチョビオイルが少し
かけてあるだけで香りは強かったですが、混ぜるとほとんど暖かい
スープに溶け込み美味しい味にプラスされた感じでした

メインは珍しくお魚を選びました、カジキマグロのカツレツ、美味トマトソースとクレソンの
サラダ  カリッと揚がったフライは軽くてトマトソースとの相性もよくとても美味しかった

家で早速生カジキマグロを買い真似しました、カジキマグロの厚みもポイントと思いました

デザートはパンナコッタ、イチゴ味です

雰囲気も良く、ゆっくり過ごせて楽しいひと時でした

 

カーテン越しでもまぶしいくらいの日差しにテーブルの
かわいい花も一段と美しく見えました

 

MinakoさんとYhokoさん、二人ともイタリアにも
出かけられず残念ですね。
MInakoさんにはリモート授業の様子など聞かせて
いただきました。

一緒に勉強していたころが懐かしいです。
勉強したい気持ちはあるのですが、とても難しくなり
また初歩からやり直しするようかしらなどと思うと
残念ながらハードルが高いです。

 

(12月10日)

「南谷寺」(通称:目赤不動尊) 

「定泉寺」の少し先だったので立ち寄った目赤不動尊「南谷寺」こちらにはお参りしたことが
ありました、地図を検索中に気が付きました

 

山門を入ると右手に六地蔵さんと目赤不動尊の不動堂

 

都内の「江戸五色不動」の碑がありました

 

通称;目赤不動尊 以前ご開帳の時だったのでしょうか、多くの人が
お参りしていました、この日は扉越しにお参りしました

 

大聖山東朝院 「南谷寺」 ご本尊は阿弥陀如来
創建は元和年間、開基は比叡山南谷出身の万行律師、のちに南谷寺の寺名もこれに由来、
不動明王を信奉し、比叡山を下りて三重県赤目山にて修行を重ね1寸2分の不動明王を授かり
江戸に赴き当初は駒込動坂(堂坂)に庵を結び赤目不動尊として日々民衆を教化していました

駒込動坂近くには将軍家鷹狩りの場があり当時の目黒・目白にちなみ目赤不動と改称するように
申し渡されたのです。

 

文京区の動坂は、もともとこの不動尊があったことに由来し、不動坂あるいは堂坂と呼ばれて
いました。

 

(11月20日)