【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

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朝顔・ほおずき市

入谷の朝顔市と、浅草のほおずき市を紹介しましたが、もう一ヶ所のこちらも4年ぶりの文京区の朝顔・ほおずき市に出かけました

 

文京区の「傳通院」前回は桜の季節に紹介した名刹ですが、この日は朝顔市の会場です

 

朝8時前に着いたのですが、朝顔がなくてこれから出すのかと思ったのですが、売り切れと知り
びっくりでした、4年ぶりの開催の2日目でしたから仕方ないかな

 

本堂にお参りします

室町時代の応永22年(1415)に開創されました、慶長7年(1602)に徳川家康公の
生母於大の方の菩提寺にしたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました

 

境内には千姫をはじめ徳川家康公ゆかりの女性の墓が多くあります

 

本堂から見た境内、いつもなら参道いっぱいに朝顔が並んでいるのです

 

8時過ぎでもかなり暑くなっていました

 

傳通院から善光寺坂を行くとすぐに「澤蔵司稲荷」(たくぞうすいなり)の前に出ます

 

慈眼院は元和6年(1620)傳通院塔頭寺院として創建されました、この学寮で修行に励まれた
多くの学僧の中に、わずか3年で宗義を極めた澤蔵司と言う修行僧がおられました

 

ある夜、和尚の夢に現れた澤蔵司は「余は千代田城内の稲荷大明神である。かねて勉強したいと
思っていた長年の希望ここに達した、今より元の神に帰るが、長く当山(傳通院)を守護して、
恩に報いる」と告げて暁の雲にお隠れになりました、そこで傳通院の住職は境内に稲荷を祀られ
澤蔵司稲荷となりました

こちらはまだ展示の準備中でした

 

すぐお隣には「月山堂善光寺」 傳通院の塔頭寺院として、慶長7年(1602)徳川家康公の
生母於大の方の念持仏をご安置し開創。

 

於大の方は、家康公とご自身の現世・後世安楽を願い、この年持物に手を合わせていたと
伝わっています、古来より月参堂とも呼ばれ、これは月に一度の寺参りを勧めるとともに、
月は仏さまに喩られており、仏さまのお堂をお参りするお堂を指すことに由来します

 

大輪朝顔の展示

 

変化朝顔も展示されていました、こちらも久しぶりでした

 

寺前の道は善光寺坂と呼ばれ、朝顔会場とほおずき会場を結びます

 

こちらはほおずき市会場「源覚寺」 「こんにゃくえんま」

 

例年入り口の2段にぎっしりとほおずきの鉢が並んでいますが

 

こちらも待ちかねた人々により残り少なくなっていました

 

焔魔堂にお参り

毘沙門天堂

 

塩地蔵

 

鐘楼のそばには弥勒菩薩像

 

いろいろお参りできました。

 

(7月23日)

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