【添乗員同行】青森ねぶたと東北の遺構を訪ねる旅2024

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夢の島公園

江東区の新木場近くの「夢の島公園」に出かけてみました。

東陽町駅前のバス停で新木場行きに乗り換えて夢の島公園までは10分ほどでした。
新木場駅からは徒歩13分ほどのようです。

 

この「夢の島」という名前はとても懐かしいのです、子供のころ海水浴場があり、どこから
乗ったかは覚えてないのですが、たぶん浜松町あたりから船で夢の島に渡り1日海水浴を
楽しんだ場所でした

その後、ごみ処理場になり、海水浴場はなくなったようですが、そんなことを思い出しながら
東陽町駅からバスで出かけました、夢の島公園の中にマリーナもありました。

「夢の島熱帯植物館」は残念ながら3月7日まで臨時休館でした

是非みたい植物があったのですが、ネットで調べて休館中とは気が付かなかった

次回はぜひここを訪れたいと思いました

 

こちら「第五福竜丸展示館」は開いてました

木造りのマグロ漁船「第五福竜丸」は昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島に
あるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被爆を受けました

木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで
魚を求めていったのです

昭和42年(1967年)廃船になったものです、船体実物を近くで見られます

水爆実験後は練習船に改造され東京水産大学で使われていました

水爆実験にであい「死の灰」(放射性降下物)をあびて被害を受けました、この水爆は
広島原爆の1千倍の爆発力で巨大なキノコ雲が起こり海と環境を汚染しました

30分の1の模型

水爆実感の被害、乗組員の病状、マグロ騒動、放射能雨、原水爆反対運動、太平洋核汚染状況
日米政府による事件の決着、マーシャル諸島の核被爆、世界の核実験・核開発年表などの
展示がありました

1967年廃船処分となり、東京のごみ埋め立て場所だった夢の島に捨てられました、それを知った
人々が船を保存しようと声を上げ、全国で取り組みがすすみ、1976年東京都により展示館が
建てられたそうです

「死の灰」をあびた23人の若い漁師たちは被ばくによる重い症状が出て
日本に戻ってから入院し半年後には無線長の久保山愛吉さんが無くなりました

核実験・核兵器反対の声が広がりました

第五福竜丸のことは知っていましたが、ここに展示されていることは初めて知りました

少し重い気持ちもこのマリーナを見ているうちに癒されました、青空が美しい日でした

夢の島公園は都心に近い大規模緑地として野外音楽イベントで使用される機会が多いそうです
周辺に住宅地もなく環境にも適しています

きれいな色の歩道橋でした

帰りに渡って気が付きました、この歩道橋の先が熱帯植物園でした、開館したらぜひ見に
行こうと思います

「夢の島」なんていい名前ですね、ここは歩道橋近くの都営バスの停留所です。

 

スポーツの競技場もあり広い敷地でしたが、この日は園内でほとんど人には会いませんでした、
音楽イベントの時には新木場駅から人の列が続くのでしょう。
そんな日が早く来るといいですね。

 

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